希望

「お父さん。お母さん。千波を家に泊めてもいい?」


「急にどうしたんだ」


 リビングで千波は肩身が狭そうにしていた。私がどう話すべきか悩んでいると千波が全てを話してくれた。それを聞いたお父さんとお母さんは、とても心配そうな顔をしていた。


「大丈夫だったのか? 紗香!」


「どこかケガとかしてない? 大丈夫?」


「大丈夫だよ」


「こんなことに巻き込んで、本当にごめんなさい」


 千波は頭を深く下げていた。お父さんもお母さんも困った顔をしていた。


「私が変わろうと思うきっかけは、千波なんだ。千波は今の私の恩人」


「……そうなのか。それなら恩人は無碍には出来ないな」


「そうね」


 お父さんもお母さんも千波を受け入れてくれるようだった。


「ありがとうございます。お母様、お父様」


 その丁寧振りに両親はとても慌てていた。私は千波を自分の部屋に連れて行った。


〇 〇 〇 〇


「おかえり、お姉ちゃん! って千波さん?」


「今日は泊めてもらうことになってるのよ。よろしくね」


「つまり同衾するってことですか!? ついにお姉ちゃんが千波さんとえっちなことを……」


 私は軽く楓の頭をチョップした。


「暴力反対!」


「楓が馬鹿なこと言うからでしょ?」


 千波はくすくすと笑っていた。


 千波は私の部屋に来ると、お父さんにメッセージを送っていた。表情は暗い。お父さんは警察に通報する、と返してきた。その言葉の通り、パトカーのサイレンの音がすぐに聞こえてきた。


 その日の夜、私たちは事情聴取をされた。だけど正直に話すとすぐに帰ってくれた。もちろん私たちが恋人であるということは隠していたけれど。

 

「お母さん、どうなるのかな」


 千波は不安そうに告げる。


 警察の人たちは暴行罪や脅迫罪に問われる可能性があると話していた。


「学校、休む? うちでくつろいでもいいんだよ?」


「ううん。大丈夫だよ。紗香と離れたくないから」


「……私もだよ」


 私たちは向かい合わせで手を繋いで見つめ合った。唇と唇が近づいていく。お互いに目を閉じたそのとき、誰かが扉を開けた。


 私たちはばっと顔を離す。扉の向こうに楓がいた。


「ちょっと。楓、ノックくらいしてよ!」


「お姉ちゃん! 千波さん! お風呂わいたよ。一緒に入ってくれば?」


「「えっ?」」


 私たちは顔を見合わせる。


「それは流石に」


「だよね」


 だけど楓はにやにやと私たちをみつめていた。


「包丁を向けられる、なんて経験をしたら心は弱ってるはずでしょ? だったら恋人なんだから、一緒にお風呂入って癒してあげないと」


 すると楓は真剣な表情で私をみつめた。


「……一理あるわね」


「えっ。本当に一理ある?」


「千波さんだって傷ついてるはずだよ。お姉ちゃんだって恋人なんだから、一緒にお風呂に入って癒してあげないと」


 楓は相変わらずたきつけるようなことばかりを。


 ただ私と千波の百合を楽しみたいだけでしょ!


「……私は別にいいのだけど、紗香は嫌かしら?」


 だけど千波にそんなことを言われると、断り切れなくなってしまう。


「い、嫌なわけないよ!」


 私だって人並みには性欲があるのだ。誘われたら受け入れてしまう。


「それなら二人とも、楽しんできてね。恋人同士、一緒のお風呂を」


 それだけ告げて、楓はばたんと扉を閉めた。


 私は千波から視線をそらして顔を熱くしていた。だけどすぐに千波に手を引っ張られる。


「早く入らないと冷めてしまうわ」


「そ、そうだね」


 今日の千波は妙に積極的だ。一体どうしたというのだろう。


 私は疑問を抱きながら、脱衣所に向かった。だけど途中でリビングを通ることになる。お父さんとお母さんは怪しむような視線を向けていたけれど、千波が楓の言葉を流用して説明すると、なるほど、と二人とも頷いていた。


 もちろん「恋人」の部分は「友達」に入れ替えてあるけど。


〇 〇 〇 〇


 脱衣所で千波はするすると服を脱いでいった。私も負けじと服を脱ぐ。千波の体は思わずみつめてしまうほど美しかった。スレンダーだけど腰のくびれとかはしっかりとあって、とにかくすごい。


 だけどじろじろ見るのは失礼だ。私は節度をわきまえた態度で、浴室に入り湯船につかった。千波と一緒に、向かい合わせで。目のやり場に困って、まぶたを閉ざしていると、千波は切なげな声で告げた。


「……同棲してるカップルってこんな感じなのかしらね」


「そう、なのかもね」


 私は目を固く閉ざして告げた。すると突然、唇に柔らかいものが触れた。目を開けなくても分かる。これは千波の唇だ。


「離れ離れになっても忘れないように、ちゃんとみて」


 そんなことを耳元で囁かれて、私は驚いてしまう。


「じゃないと今度は舌を入れるわよ」


 こんな状態であの快感を味わったら、どんな痴態をみせてしまうか分からない。私は慌てて目を開けた。本当に千波は綺麗だった。これから先、一生忘れないと誓えるほどに。


 でもそう思うのはきっと千波の綺麗さ以上に、愛おしさがあるからなのだろう。大切な人の裸だから、目に焼き付いてしまうのだ。


 私は顔を熱くしながら、千波をみつめる。千波もじっと私をみつめていた。だけどその視線はどこまでも寂しそうだった。


「……別れたくないわね」


 私も同感だ。どうにかして、千波を転校させない方法はないだろうか。


「お父さんを説得とかはできないの? 近くに引っ越すとか」


「お父さんはお母さんの手の届く範囲に私を置くことを、恐れてるんだと思うわ。今回の事件でそれは多分、決定的になった。よほど強い理由でもないと、聞いてくれないと思う」


「……私たちの関係を伝える、とかは?」


「無理なんじゃないかしら。お父さん、割と冷めてるところあるから。お母さんと上手くいってないせいかもしれない。恋愛ドラマとか恋愛映画とか流れてたら「つまらん」ってすぐにチャンネル変えてしまうのよ」


 それでも私たちの理由なんて、お互いのことが大好きだから。それが全てだ。


 千波が自由と恋愛を両立できる方法がもしもあるのなら、私はどんな犠牲を払ってでもそれを実行するだろう。でも何も思い浮かばなかった。


 そのとき、千波がこんなことを口にした。


「紗香。最後の思い出に、私に公開告白をしてくれないかしら。あ、もちろんいいのよ。紗香がいやならそれでいいの。みんなにどう思われるか分からないし。でも私としては、いつまでも忘れないような鮮烈な思い出が欲しいのよ」


 千波は言っていた。きっと好きな人に公開告白をされたら、とても幸せになれるのだろうなと。千波は意外なことにサプライズが好きなのだ。


 私はそれを聞いて、一つの案を思いつく。


「お父さんって、文化祭に呼べる? 二日目だけでいい」


「……頼めば聞いてくれるかもしれないわ。でもどうして?」


「二日目の最後に公開告白があるでしょ。大舞台でお父さんに私たちの思いと覚悟の強さを伝えて、説得できないかな」


 みんなの前で告白することで不退転の覚悟を示したい。


 浅知恵だってことは分かってる。でも私にはそれが限界だった。


「勝率の低い作戦ね。あの人を恋で動かそうなんて」


「でもそれしかくらいしか思い浮かばないんだよ」


「……分かったわ。私に任せて。絶対にお父さんは呼んでみせる。でも覚悟はできているの? 私たちの関係がみんなに知れ渡るということよ?」


「好きな人を好きだって言うことの、なにが悪いの?」


「……そうね。紗香の言う通りだわ」


 千波は微笑んで私を抱きしめた。


「大好きよ」


「私も大好きだよ」


 私たちの間に一縷の望みが浮かんでいる。それを掴めるかは私たちの頑張り次第だ。


 千波のお父さんの心を動かせるだけの思いを、私たちは言葉に込められるだろうか。


「そういえば、紗香ってもうすぐ誕生日なのよね?」


「そうだね。文化祭が終わった後だけど」


 すると千波は笑った。


「みんなでお祝いしましょうね」


「うん!」


 私も微笑み返した。


〇 〇 〇 〇 


「そろそろ寝ないかしら?」

 

 時計を見ると、十二時を回っていた。二人でいちゃいちゃしていると、時間はあっという間だった。私は「そうだね」と頷いて、布団を持ってくるために、部屋の外に出ようとする。でも千波に制止される


「一緒に寝ない?」


 私が先にベッドに入って、千波があとからベッドに入ってくる。


 シングルベッドだから必然、抱き合うような距離になってしまう。


 千波はとてもいい匂いがした。


「……好きよ。紗香」


 じっと向かい合わせで目を閉じていると、そんなことをつぶやかれてますますドキドキしてしまう。でも私は恥ずかしくて眠っているふりをした。


 すると千波はごそごそと動いて、私を抱きしめてくる。どうしてか私はあの日、悲しい顔で抱きしめてくれた麗のことを思い出した。


 千波は私の頭を撫でてくれる。そして悲しそうな声で告げる。


「もしも上手く行かなかったとしても、絶対にあなたを忘れないわ」


 私は寝たふりをしたまま、千波を抱きしめかえした。

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