殺意

 私たちは手を繋いでいた。学校を出てしばらく歩くと、千波の家が近づいてくる。私はそっと千波から離れようとしたけれど、千波は離れてくれない。


「どうせあと一週間で関わりを持たなくなるんだから、どう思われてもいいわ。それよりも私は少しでも紗香と一緒にいたいの」


「分かった」


 私は頷いて千波の家に歩いていく。するとそこには千波の母が待ち構えていた。


「本当にろくでもない子ね。まだこの不良と関わってるなんて。それを隠しもしない。どうせあの男の所にいくから、どう思われてもいいとか思ってるんでしょう? これまで必死にあんたを育ててやったのに、この恩知らず!」


 千波の母は突然、千波の髪の毛を引っ張った。


「ちょっと。止めてよ!お母さん!」


「どうせお母さんだなんて思ってもいない癖に!」


 千波は苦しそうにしていた。私は大切な人を乱暴に扱われるのを許せなくて、千波のお母さんの手を力を込めて掴んだ。


「なにしてるんですか。こんなことしたらダメです」


「あなた、何なのよ。私は千波の母親よ!? これは家族の問題なの。干渉しないで!」


「私は千波の友達です。だから……」


「友達? 要するに切り捨てようと思えば、いつでも切り捨てられる仲ってことでしょ?不良のゴミが家族の問題に口を挟むなんて身の程をわきまえなさい!」


 そう告げて、千波の母は、私の頬を殴った。鈍い痛みが走る。その瞬間、ぷつりとなにかがキレたような表情を千波は浮かべていた。それでも母親はなおも私を追撃する。


「どうせ千波のことも都合のいい道具程度にしか思ってないんでしょう? 委員長で性格もよくて頭もいい。そんな人を懐柔できたらそれはそれは便利でしょうねぇ?」


「私を道具だと思ってるのはあなたの方でしょう!? 紗香はあなたとは違う」


「だったらどうしてその不良は、あなたがここに留まるように説得しなかったのかしら?そんな思い入れがあるのなら、何をしたってここに留めおくようにするべきでしょう?」


 千波は苦々しい表情を浮かべていた。私は代わりに告げる。


「それは違います。私は心から千波のためを思って、千波を送り出すことにしたんです。ハッキリ言います。あなたは千波にとって障害でしかない」


「ちょっと、聞いた千波? こいつ、私を侮辱したわよ。あなたの母親である私を」


「紗香の言う通りだよ。あなたは私の行動を散々制限してきた。友達付き合いも恋人も全部全部私の自由にはしてくれなかった。あなたのせいで、私の人生は暗いものになった。でも台無しになったとは言わないわ。だって、紗香に出会えたから」


「だからなんでわからないの? そいつはただの友達なんでしょ? 簡単に切れる仲としか思ってないのよ!?」


 千波は意を決したような表情を浮かべて、私と手を繋いだ。私はまずいと思った。もしも事実を知れば、この人はどんな反応をするか分からない。でも間に合わなかった。


「紗香は私の恋人よ!」


「は?」


 千波のお母さんは、額に青筋を浮かび上がらせていた。


「は? あんた何言ってるの? 女同士で恋人? 散々教えたわよね? 私の言う通りにすれば間違わないって。なのになに? あんた頭おかしいの? ……いや、そんなわけないわよね。おかしいのは、おかしいのは……」


 なにかを小声でブツブツ言いながら、千波の母は家の中に戻っていった。


 私たちは手を繋いだまま動けなかった。千波の母の様子が明らかに異常だったからだ。


 しばらく動けずにいると、玄関の扉が開く。ぎしりと音を立てながら、千波の母が現れる。その手には、包丁が握られていた。夕焼けに照らされてオレンジ色に輝いている。


「おかしいのは、お前だ! お前が私の千波をおかしくしたんだろ!」


 そう叫んで千波の母は私に突撃してきた。


「逃げるよ!」


 人に明確な殺意と刃物を向けられる。そのあまりの恐怖に動けなかった私は、だけどなんとか千波の声で正気を取り戻す。千波に引っ張られるようにして、夕焼けの街を二人で逃げた。走りながら振り返ると、千波のお母さんは追いつけないと思ったのか、遠くから私たちをみつめている。


 それでも私たちは荒い息で逃げ続けた。


〇 〇 〇 〇


「どうしよう。私、また間違えたのかな」 


 それは千波ではなく、私の声だった。


「なんでそうなるの!? 紗香は何も悪くないよ」


「……でも、私が」


 もしも千波に逆らって、途中で私だけ帰っていたら。


 もしも千波が恋人だと告げるのを止められていれば。


 実の母が包丁を持って、人を殺そうとする。そんな光景をみたらどんな気持ちになるだろう。なのに私はそうなる可能性も考えずに、安易に行動してしまった。


 また大切な人を傷付けてしまった。


 千波は呆然とする私の肩を掴んで告げた。


「紗香。あなたは神様じゃないでしょ?」


「……でももしも私が麗だったら」


「麗さんだって、神様じゃないでしょ? あなたは、きっと責任を感じているんでしょうね。どうしてみんなから嫌われている自分が生きて、みんなに好かれている麗さんが死んでしまったのか。そのせいで今もなお苦しんでいる。でも変わろうとしてるでしょ?」


 千波の瞳には涙を流した情けない姿が映っていた。


「いい加減に気付いて。あなたは十分立派なのよ?」


 本当に辛いのは千波のはずなのに、私は励まされてしまっている。こんな奴のどこが立派な人なんだ。


 そもそも元はと言えば、私が千波と関係を持ったせいで、千波の家は滅茶苦茶になってしまった。私が全ての原因を背負っているなんて思わない。私は特別な人間じゃないから。それでも千波の人生には、大きな影響を与えてしまったはずだ。


「……ありがとう。千波。でもやっぱり私はだめだよ。口先ばかりで行動が伴わない。そんな私をみんな信じ始めてくれているけど、期待に答える自信がないんだ」


 だけど。私は流れる涙をぬぐいながら告げる。


「でも、私は絶対に諦めないよ」


 私に期待してくれてる人がいる。宮城、楓、お父さん、お母さん。そして千波。


「そう決めたんだ。千波に助けてもらったあの日に。自信はないよ。でもそれは止まってもいい理由にはならない。私は進み続けないといけないんだ。麗みたいにならないといけない。私にはその責任があるから」


 だって、私は後悔しているから。麗はずっと私を気にかけていた。でも最期まで私は立派な姿を麗に見せることができなかった。


「……あなたは間違ってる。でもそれがあなたにとっての正義なんでしょうね」


「そうだよ。だから千波。今日は私の家に泊まって」


「えっ?」


「今家に戻ったら、どんな目に会うか分からない。それとお父さんにも連絡して。今日のことは伝えたほうがいい。私にできることならなんでもするから、言ってね」


 千波は私の手を握った。そして微笑んだ。


「ありがとう。でも気負い過ぎないでね?」


「うん」


 そうして私たちは私の家に向かった。


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