一歩
日曜日、私はひたすら勉強をしていた。千波からは「ちょっと怒られたけど大丈夫」とのメッセージが来ていて、私は安心した。どうやらお父さんが助けてくれたみたいだった。
お母さんは過保護だけど、お父さんは真逆なタイプらしかった。
五時間くらい勉強をして、疲れてきた。私は伸びをしてから部屋を出る。
そしてノックをして楓の部屋に入った。
「お姉ちゃん。どうしたの?」
楓は相変わらずパソコンで百合百合した絵をみていた。最近はずっとこうだ。部屋から出ることは増えたし、部屋も前のように綺麗になったけど、まだ外には出られていない。
「息抜きに一緒に外に出ない?」
「……やだ」
楓はパソコンに目を向けてしまう。
「もしも一緒に外に出てくれるのなら、千波との話、聞かせてあげるのになぁ」
すると楓は私の方をむいて、とても悩ましい顔をしていた。楓は百合が好きだ。私と楓がどんな風にいちゃいちゃしていたか、それを知りたいとも思っているはず。
「……お姉ちゃんは、私にまた元通りになってほしいの?」
「そう思ってる。楓だってまた学校に通いたいんじゃない。今朝、楓の友達が心配そうに家、訪ねてきてたよ? みんな寂しくしてるんだって」
楓はすっと黙り込んでしまう。考えるのは大切だ。私が何をしたところで、結局最後に決めるのは楓なのだから。でもできればまた通ってほしいと思っている。きっとそっちの方が楓だって幸せになれるはずだ。
長い時間考え込んで、楓はついに口を開いた。
「分かった。着替えるからちょっと待ってて」
「うん」
私は部屋の外に出て、楓を待つ。楓は凄い子だ。麗を奪った外の世界はきっととても恐ろしい場所なのに、それを乗り越えて変わろうとしている。
扉が開いて、可愛らしい服を着た楓が現れる。
「やっぱり楓は可愛いね」
「そんなこと言っても何も出ないよ?」
楓はぎゅっと私の手を握り締めた。
「本当のこと言ってるだけだよ」
リビングに向かうと、お父さんがいた。
「おお。楓、調子はどうだ」
「まぁまぁ」
「そうか。ところで、そんな余所行きの格好をしてどうしたんだ?」
「ちょっと外に出てみようかと思って」
「大丈夫か?」
「お姉ちゃんがいるから、大丈夫だと思う」
「そうか。頑張れよ。楓」
「うん」
そうして私たちは玄関に向かった。扉を開くと青空がみえた。久しぶりに外に出る楓はとても眩しそうに目を細めていた。
「外ってこんな感じだったっけ」
「新鮮でしょ」
でも楓は玄関で止まってしまっていた。内と外の境界線をじっと見つめて、震えている。
「怖い?」
「……うん」
「それなら私がおんぶしてあげようか」
「は、恥ずかしいよ。そんなの学校の人にみられたら……」
楓は顔を赤くしていた。
「そっか。まぁ焦らなくていいよ。楓は楓なりのペースで変わっていけばいいから」
だけど楓はとても不安そうに私をみつめていた。
「でもお姉ちゃんはどんどん変わってる。勉強だって頑張って千波さんと友達になって、しかも恋人にだってなって。あんなに人を避けていたお姉ちゃんからは想像もできないくらい、変わってる。……でも全然私は変わってない」
暗い声が鼓膜を揺らす。
「私はずっと引きこもってばかり。学校の皆は青春を送ってるのに、私だけは部屋で画面をみつめてるだけ。変わりたいとは思ってる。でも怖い。あの瞬間を、忘れられないの」
「やっぱり私がおんぶしてあげるよ。人って一度止まってしまうと、どんどん自分を嫌いになってしまうから。私は楓にそんな風にはなってもらいたくないんだ」
「……お姉ちゃんも自分を嫌いになってた?」
「そうだね。大嫌いだった。麗に嫉妬する自分も、そのくせ何の努力もしようとしない自分も、全部全部、殺したいくらい憎かったよ」
「だめっ!」
突然、楓が私に抱き着いてくる。楓の足は、境界線をこえていた。
「お姉ちゃんは死なないでっ!」
ぽろぽろと涙をこぼしている。「殺したい」なんて言葉、楓の前で使うべきでなかった。そう後悔しても遅い。楓はえんえんと泣きだしてしまった。
「大丈夫だよ。私は死なない。絶対に死なないから」
「……本当?」
ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、楓が告げる。私は頷いて、楓を抱きしめた。
私の胸の中で楓は告げる。
「おんぶして」
「分かった」
私はしゃがんで楓に背中を差し出した。楓の温もりが背中に触れる。
「……私も頑張るから、お姉ちゃんもあきらめないでね」
「うん」
私は楓を背負って立ち上がった。
昼過ぎの街は活気に溢れていた。私はできるだけ車通りの少ない道を選んだけど、それでも車は通りかかる。その度、楓は私に強くしがみ付いていた。
「大丈夫だよ。怖くないからね」
「……うん」
私が声をかけるとすぐに落ち着いてくれる。次第に余裕も出てきたようで、楓は私と千波に関する話を聞いてきた。
「二人って、もうキスはしたの?」
「したよ」
「どんな感じだった? ねぇどんな感じだった?」
興奮気味に楓は問いかけてくる。
「気持ちよかった。ふわふわで蕩けそうなくらいに」
「それじゃ、それじゃあ、エッチなこととかしたの?」
私は顔を熱くしながら否定する。
「そ、そんなわけないでしょ。まだ早いよ」
「お姉ちゃんはうぶなんだね。最近のカップルは付き合ったらすぐにエッチなことするみたいだよ」
ちらりと視線を向けると、楓はニヤニヤしていた。私は顔を熱くしているのに、どうして楓はそんなことを口にして平気でいられるのだろう。そんなことを考えてると、男勝りな声が聞こえてきた。
「お、紗香。奇遇だな。後ろに背負ってるのは妹か?」
宮城が正面から歩いてきていた。楓はその瞬間、黙り込んでしまう。宮城の存在は私の悪友として知れ渡っていたからだろう。でもそんなに悪い奴じゃないんだよってことも教えてあげないと。
「そうだよ。頑張って外に出てくれたんだ。偉いでしょ」
「そうだな。偉いな。妹」
「……あなたの妹じゃないんですけど」
楓は不満そうな声色ながらも、嬉しそうに微笑んでいた。
「勉強はどんな感じだ? 紗香」
「今日は五時間したよ。今は息抜きしてるところ」
「すごいなぁ。俺はまだ三時間しかやってねえわ。まぁ、俺ほどの天才にもなればそれくらいでも一位は余裕だろうけどな」
「その余裕がいつまで続くか見ものだね」
「おぉ? いうようになったじゃねえか」
宮城はがははと豪快に笑った。楓はその笑顔をじっとみつめていたけど、私が「どうしたの?」と問いかけるとすぐに視線をそらしていた。そのまま楓は問いかける。
「……えっと宮城さんは、不良さん、なんだよね?」
「でももうすぐ優等生になる予定だ。こう見えても中学は名門私立だったんだ。しかも東大よりも入るのが難しいような場所だ。そこでも俺は上位十位に入っていたんだ」
「すごい! もしかして麗お姉ちゃんと同じくらい賢い?」
「そうかもしれないな」
「……だめだと思うけど、お姉ちゃんも頑張ってね」
楓は私の頭をなでてくれた。まるで憐れむかのように。
「いやいや。まだ負けると決まったわけじゃないでしょ」
そんな私を楓はジト目でみつめてくる。
「はは。まぁ頑張れよ。紗香。俺も家に帰って勉強はじめるから」
宮城は私の肩を叩いてから、通り過ぎていった。
「……宮城さん、意外といい人なのかも」
楓はぼそりとつぶやいていた。
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