宝物

 集合場所は駅の正面入り口だ。私たちは地下駐輪場に自転車を置いてから、徒歩で正面入り口に向かう。もちろん、手を繋いで。


 手を繋いだことは何度かあったけれど、恋人になってから繋いだのは初めてかもしれない。さっきはキスをしたのに、ただ手を繋ぐだけで緊張してしまう。


 千波が指先を絡めて恋人つなぎをしてくるから、私も握り返す。


「時間まだ早いけど、どうしようかしら?」


 千波は頬を赤らめながらも、いつも通りのふりをしていた。


 きっと私と同じくらいドキドキしているくせに。


「勉強でもしようかな」


「だったら近くのハンバーガー屋さんで軽く朝食でも取らない? 紗香も朝ごはんは食べてないのよね?」


 そういえばそうだった。空腹感を覚えて、私は千波の言葉にうなずく。


「そうだね。軽く食べようか」


 今は早朝だし、人も少ないはず。勉強をするのに使わせてもらっても、そんなに迷惑は掛からないと思う。私たちは恋人つなぎをしたまま、人気のない早朝の駅前を歩いていった。


 流石に人前だと恋人つなぎは恥ずかしいから、手を繋ぐのをやめて店に入る。おいしそうな匂いが漂ってきて、お腹がなおさら空いてしまった。


 ハンバーガー二つとポテトのMサイズ。そして飲み物を二つ店員さんに頼んでしばらく待つ。できたてほやほやの食べ物たちが乗ったトレイを受け取って、私たちは二階に向かった。


 窓際の席で駅前を見下ろしながらハンバーガーを頬張る。私は一口でたくさん食べるタイプだけど、千波は少しずつリスみたいに食べるタイプみたいで可愛いなと思う。


「それにしても早朝っていいわよね。なんか異世界に来たみたいな気分にならない?」


「そうだね」


 私たちは運動部とか入ってないから朝練もないし、こんなに早く起きることもない。私は麗のことを思い出していた。麗は毎朝、こんな景色を見ていたのだろうか。


 誰もいない町を一人で歩いていく麗。想像をしてみる。麗の周りにはいつも人がいる印象だったから、そんな人が一人ぼっちでいる姿はとても寂しく感じられる。


 そういえば麗は今頃何をしているのだろう。


 ふと、そんなことを考えてしまって、私は首を横に振る。麗はもういないのだ。誰よりも完璧な麗は死と最も離れたものだと私は勝手に思っていたのに。


 私はハンバーガーを食べ終えて、ポテトに手を伸ばす。


 これからは私が麗の代わりにならないといけない。優秀で品行方正で完璧な存在にならないといけない。そして、大切な人が危険な目に会っていたら、例え命を落とすことになったとしても助けないといけない。楓にお父さんにお母さんに宮城、そして千波。


 全て失う覚悟で、救わねばならないのだ。


 あの日の、麗のように。


 私は千波と談笑しながら、そんなことを考えこんでいた。朝の空気がそうさせるのだろうか。千波はまるで異世界に来たみたいだと話していた。だけど私はどちらかといえば、昔の私がタイムリープしてきたような気分だ。


 感性が若々しくなっているというべきか。中学二年生の頃は、自分がなにか重大な使命を背負っているかのような感慨にふけることが多かった。


「まだ七時半なのね」


 千波がスマホをみつめながら告げる。


「つまり一時間半も勉強できるってことだね」


 私はニヤリと笑う。すると千波は感心した様子で告げていた。


「すっかりがり勉ね。紗香なら本当に一位を取れるかもしれないわ」


「取れるかもじゃなくて取るんだよ。私はたくさんのものを一位にかけてる。家族の信頼を勝ち取るためにも、楓のお姉ちゃんになるためにも、宮城のためにも、そして千波のためにも。だから休んでいる暇はないんだ」


 私は単語帳を取り出した。


「紗香は偉いわね。私はなんにも自分じゃ決められなかった。ずっとお母さんの言いなりで。ずっとずっと自我ってものを見つけられなかった。でもたった一つだけ守ってたものがあるんだ。……たった、ひとつだけ」


 千波はその先を告げなかった。でもじっと私をみつめていた。


「……本当に、良かった」


 私は千波に微笑み返す。


「私もよかったと思ってるよ」


 私はテーブル越しに体を伸ばして、千波にキスをした。千波は嬉しそうに微笑んでいる。私も微笑み返してから、単語帳に視線を落とす。


 全てを守るために賢くならないといけない。たくさん友達をつくらなければならない。そのためにはこれから美月たちクラスメイトに私の決意を、意思を、信じさせなければならない。


 私は大きく息を吐いて、英単語帳に集中する。


 しばらくしてから何気なく外を見ると、人通りが増えていた。


「紗香」


 千波の声に視線を向ける。


「どうしたの?」


「もうすぐ九時よ。そろそろ行かない?」


 集中しすぎて時間が経つのも忘れてしまっていたようだ。私は頷いて立ち上がる。千波と二人、待ち合わせ場所に向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る