爆発
家の扉を開くと、淀んだ空気が肺の中に入ってきた。リビングのお父さんは私を見ると「こんな時間まで遊んでいたのか、いい加減にしろ!」と怒鳴ってきた。お母さんだってうんざりした表情で、ため息をつくばかり。
私は一言「勉強してたんだよ」とつぶやく。すると父は怒鳴る。
「つまらない嘘をつくな! お前みたいなろくでなしが勉強するわけないだろうが!」
「そうよ。昔のあなたは素直でいい子だった。でも最近は……、本当にどうしようもない子よ」
信じてもらえない。口だけならいくらでも誤魔化せる。分かってる。だから私は結果を出さないといけない。それだけあの言葉は、私たち家族に影を落としていた。
「麗が死んで、清々したよ」
その場しのぎでもいいから楓を救うための言葉は、今では呪いのようになってしまっている。もしもあのとき、麗がいたのならもっと華麗に誰も傷つかない方法で解決したのかもしれない。でも私は麗ほど優秀じゃないから。
だから、麗のようにならないといけないのだ。
「お父さん。お母さん。私、次のテストで学年で一位とるから。友達だってたくさん作る。不良の友達じゃなくていい友達をたくさん。いつか私、麗みたいになるから」
「……お前、何を言ってるんだ」
お父さんは明らかに困惑しているようだった。昨日まで憎まれ口を叩くだけだったのに、突然こんな発言をしたのだ。驚くのも当たり前だろう。
「あなたが麗みたいになれるわけないじゃない」
お母さんは私の変化というよりは「麗みたいになる」という発言に拒絶反応を示しているみたいだった。それもそうだ。麗はこの世に一人の大事な大事な愛娘。
もう少し、良い言い方があったかもしれない。もしも私が麗なら、ずっと上手く二人に信じてもらえたんだろうなと思う。でも私は麗じゃない。だから泥臭いやり方で信じてもらうしかない。
「今は信じなくてもいいよ。でも私絶対に、この家を前みたいに、小学生の頃みたいに、明るい場所に戻してみせるから。楓だって、笑えるようにしてみせる」
それだけ告げて、私は自室へ向かった。カバンを置いてから楓の部屋をノックして声をかける。
「楓。起きてる?」
もちろん返事は帰ってこない。それでも私は語りかける。
「ごめんね。あの日は、あんなこと言って。私は諦めてたんだ。私が麗みたいになれるわけないって、妬んで、憎んでさ。でも今では後悔してるよ。最初っからこの手段を選んでたらよかったのにって」
ごそごそと扉の向こうから物音がした。
「楓。私、頑張るから。麗みたいになってまた楓を……」
突然、ばんと扉が強い力で叩かれる。
それはまごうことなき拒絶だった。
お前に麗お姉ちゃんの代わりなんて務まってたまるか。そう言いたげだった。
私は肩を落として、お風呂に向かおうとした。だけどそのとき、扉が開く。扉の隙間の暗闇から、目の下にひどいクマをつけた楓が私を覗いていた。
「私のためを思うのなら、私に殴られて」
憎しみのこもった声が、髪の毛もまともに整えていない楓から聞こえてくる。今の私には楓を救えない。だったら、楓の言う通り殴られてあげるしかないのかもしれない。それで楓の心が少しでもましになるなら。
「分かった」
私は頷いて、楓の部屋に入る。荒れ放題だった。まるでゴミ屋敷のようになっている。パソコンの液晶だけがまぶしく輝いていた。
ガタンと扉が閉まる。すると楓は突然、私に飛びかかってきた。私は仰向けに押し倒されてしまう。すると美亜は私に馬乗りになって、体を殴ってきた。
「お前のせいで! お前のせいで!」
信じられないくらい力が強くて、息ができなくなりそうになる。でも私は黙って楓の怒りに耐えていた。
「そう、だよ。私のせい、だよ。もしも、あの日……」
「黙れ黙れ黙れっ!」
「もしもあの日、楓を助けたのが、麗じゃなくて私、だったなら」
楓は両こぶしを私のみぞおちに振り下ろした。
「かはっ……」
呼吸ができない。息を吸い込もうとしても、肺がそれを拒否しているみたいだ。今の私はまるで陸に上がった魚のようだった。地上で溺れる。楓の激情に飲まれて、呼吸もできない。
私の呼吸が異常なことに気付いたのか、楓は私を殴るのをやめた。
「……お姉ちゃん?」
心配してくれる声が聞こえて、私は嬉しくなってしまう。もしも今、私が死ねば、楓は幸せになってくれるのだろうか。そんなことを考えながら、満足に息も吸えずに悶える。
「お姉ちゃん! お姉ちゃんっ……」
なのに楓はどうしてか涙を流していた。どうすればいいのか分からないのか、人工呼吸の要領で私の唇にキスを落としてくる。必死で必死で息を送り込もうとしてくれる。そのおかげか、少しずつ呼吸ができるようになってきた。
呼吸が正常に戻ると、楓は必死で涙をこらえるみたいな顔をして、私から離れようとする。だから私は楓を抱きしめた。
もしも私を傷付けることでも、私が死ぬことでも楓が救われないというのなら、私はやっぱり麗のようになるしかない。今の私じゃ、楓を癒すことはできないのかもしれない。でも絶対に、いつか麗のようになるから。
そんな気持ちを込めて、強く楓を抱きしめる。すると楓は泣き声を溢れさせた。
「紗香お姉ちゃんっ。……お姉ちゃんっ。ううっ。けほっ。けほ」
感情が荒ぶるあまりうまく呼吸できていないのか、咳をしている。私は仰向けで楓を抱きしめたまま、背中をなでてあげる。
「もしも死んだのが私だったなら、こんなことにはならなかったはず。なのに本当にごめん」
楓は何も答えずにただただ私の胸の中で泣いていた。
「でも私、頑張るよ。もう不良は終わり。麗みたいにちゃんとした完璧なお姉ちゃんになって、いつか本当の意味で楓を助けるから。だから待ってて。テストでは一位とるし、友達だって真面目な人をたくさん作る。委員長だって友達になってくれそうなんだ。頑張る。頑張るから、あと少しだけ待っててね。楓」
頭をなでていると、やがて楓はすうすうと寝息を立て始めた。腫れた目とその下のひどいクマから察するにしばらく寝ていなかったのだろう。私はそっと楓を布団まで連れていく。
そして静かに真っ暗な部屋を出ていった。
〇 〇 〇 〇
翌朝目覚めると、私はすぐに楓の扉をノックした。
「おはよう。楓。私、絶対にいつか楓のこと笑顔にしてみせるからね」
それだけ告げて、リビングに向かおうとすると、扉が開く音がした。振り返ると隙間から楓が覗いていた。小さくつぶやいている。
「……おはよう。お姉ちゃん」
私は嬉しくなって飛び切りの笑顔を浮かべた。すると楓も微笑んで手を振ってくれる。私も手を振り返してから、リビングに向かった。
「おはよう。二人とも」
お父さんは「おはよう」と返してくれた。でもお母さんは無言のままだった。私は朝食を終えて、身支度も終えると家を出る。
「行ってきます」
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