決意

「いやー。あなたってクズなわけじゃないですかだったらそれ相応の誠意は見せるべきだと思うんですよ。この前だって課題を提出するのさぼっていたでしょう? 私一人に押し付けて。そんな奴が一位になりたいから助けてくれ、なんて虫が良すぎるとは思いませんか?」


 町田は醜悪に表情を歪めていた。恐らく、私の言い分を信じていないのだろう。こんなことを告げる。


「委員長は懐柔できたかもしれませんけど、私はそうはいきませんよ。私は学年一位の秀才。あなたみたいな劣等生に騙されるわけないじゃないですか」


 千波は無表情で私を引っ張って立ち上がらせた。


「紗香さんの話は全て真実よ。もしも嘘だったとしても、そんな下品で低俗な頼みをしてくるあなたよりはずっとましだわ」


「何を根拠に? その女は人が死んだことを喜ぶような女ですよ? どうして学年一位の私を信じずに、そんな奴の言葉を信じるんですか? 私には理解できませんよ。委員長さんのこと。そんなやつが変われるわけないじゃないですか」


 きっとみんな、町田のような考えを持っているのだろう。私はそれだけどうしようもない人間だったのだ。


「確か、宮城とかいう不良とつるんでいるんでしたよね。 あいつも馬鹿で低俗で下品でどうしようもない女ですよ。中学の頃は賢かったのかもしれませんが、今ではゴミくず以下。ゴミはゴミ同士引き合うって本当だったんですね」


「宮城はゴミなんかじゃない」


 我慢できなかった。私はこぶしを握り締めて、町田を見下ろす。


「確かに宮城は言葉遣いが荒い。デリカシーもない。それでもあいつは私をいたわってくれたんだ。あの一言に、どれだけ私が救われたか」


「ゴミ同士の傷の舐めあいってやつですね。 本当に笑えます」


 はっ、と町田は嘲笑する。私はたった一人の友達を侮辱されたことが許せなくて、掴みかかってしまう。


「……訂正しろ」


「はい?」


「訂正しろって言ってるだろ!」


「ちょっと待って! 紗香さん。こんな人の言葉なんて聞かなくていいわ」


「千波には分からないと思う。千波はしっかり者でみんなから尊敬される立場だから。でも私はずっとずっとみんなから見下される立場だった。麗に勝てないからって何もかも諦めて、荒んだ心で誰とも関わろうとしないで。なのに、一人ぼっちは怖くて。そんなときに、宮城は私のそばにやってきてくれた。確かにそりはあわなかったかもしれない。でもそれでも、いつだってそばにいてくれたんだよ。あいつは」


「……紗香さん」


「だったら、私と勝負をしませんか? 次のテストで私とあなた、どちらが一位になるかの勝負です。もしもあなたが一位になれば、私は宮城やあなたに敬意を示しましょう。でも私が勝てばあなたは宮城と絶交する。これでどうです?ずっと目障りだと思っていたんですよ。あなた方みたいなゴミがつるんでいるのをみるのは、本当に気分が悪い」


 町田は嘲るような笑顔を浮かべていた。それに苛立ったのか、千波は告げる。


「嫉妬してるだけじゃないの。自分に友達がいないから、成績で劣ってる紗香さんと宮城さんを見下さないとやっていけない。そういうことなんでしょ?」


「この糞委員長!」


 図星なのか町田はボキャブラリに乏しい言葉で千波を罵倒した。とはいえ、千波の言葉は私にも刺さっていて、何とも言えない気持ちになる。中学の頃の私は、麗に勝てない腹いせに自分よりも下の成績の人を見下していたのだ。


 それはともかくとして、町田の提示した条件なら、私も飲める。どうせ私は宮城と絶交したようなものだし、失うものなんて何もない。


「分かったよ。町田。あんたが勝てば私と宮城は絶交。私が勝てばあんたは私と宮城に敬意を払う。それでいいんだね」


「ええ。もちろん」


 町田は一転、不敵な笑みを浮かべた。そして立ち上がったかと思うと、図書室を出ていく。


 私はため息をついて、椅子に座った。千波も同じような態度で私の隣に座る。


「まさか、町田さんがあんな人だったとはね」


 本当にその通りだ。まさかあんなにも屈折していたとは。


「……とりあえず勉強しようかしら?」


 私は頷いて教科書を開く。こんな風に真面目な態度で勉強に取り組むのはいつ以来だろう。麗の才能に心を折られてからはすっかり勉強から逃げていた。


 私は千波の指示通り、基礎的な部分を重点的に暗記した。英単語や古文の単語や数学や物理の公式。一通り終える頃になると、辺りは暗くなっていた。


 その頃になると、図書室には私たち以外誰もいなかった。


「そろそろ帰ろうか」


「そうね。あまり帰りが遅いと母に怒られてしまうわ」


 私たちは昇降口に向かった。リノリウムの床を叩く私たちの足音だけが響いている。夜の学校は想像以上に静かだ。生徒達はおらず、教師たちが職員室で仕事をしているだけ。窓から光がさすこともない。


 外一面に広がる暗闇をみつめていると、なんだか寂しい気持ちになってくる。


 家に帰っても、麗はもういない。楓は引きこもっている。お父さんもお母さんも前よりずっと暗くなってしまった。私は麗のようになれるのだろうか。また家を明るくできるのだろうか?


 不安に思っていると。千波が笑いかけてくれた。


「今日はありがとうね。紗香さん」


「えっ? 私、千波に何かしたかな……」


 考え込んでいると千波は告げる。


「紗香さん、変わろうとしてくれたでしょ?」


「私が変わろうとすると、千波は嬉しいの?」


「……うん。とても嬉しい」


 きっと心からの笑顔なのだろうと分かるくらい、眩しい笑顔。私も思わずつられて笑ってしまう。昔の私はどんな私だったか。何事にもひたむきで、人を恨むこともなくて、底なしに明るくて。


 本当に今の私とは正反対。でも現状を変えるにはそれでも足りないくらいなのだ。私は麗のようにならないといけない。


「そうだ。連絡先を交換しないかしら?」


「いいよ」


 私たちは連絡先を交換してから、昇降口で靴を履き替えた。外は真っ暗だ。


 それから校門の前で別れた。


「ばいばい。紗香さん」


「ばいばい。千波」

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