理解者
私の葬儀場での発言は、すぐさま学校中に広がった。私への敵意は日増しに強くなっていって、それはもうほとんど虐めと言っても差し支えなかった。カバンがぐちゃぐちゃに引き裂かれていたり、教科書がゴミ箱に捨てられていたり、机が悪口だらけになっていたり。
流石にこれはやりすぎだと思ったのか、委員長がこんなことを告げた。
「紗香さん。すぐに謝りなさい。そうすればみんな許してくれるはずよ。私だって許してあげるわ。……流石にこれはやりすぎだもの」
「いったい何を謝れと? ただ思ったこと言っただけなのに」
すると委員長は私の机を乱暴に拳でたたいて、自分の席に戻った。
「おーい。紗香。一緒にご飯食べに行こうぜ」
でも味方がいないわけではなかった。私と同じくみんなから嫌われている宮城は、あの日、取っ組み合いになったことも水に流してくれたのか、私に声をかけてくれる。
私は席を立ち、宮城と一緒に校舎裏のベンチに向かった。
「なんでみんな憎まずにいられるんだよ。なぁ?」
「そうだね」
「俺たちはこんな風に地べた這いつくばってるのに、あの女は生まれ持った才能で散々甘い蜜を吸ってきた。人から尊敬されて、好かれて。でも俺たちはこのざまだ。あいつと同じように自分が望むまま生きてきただけ。なのに誰からも嫌われている。こんな不平等、許せるわけないだろ。みんな頭おかしいのかよ。なんで馬鹿みたいにあんな奴の存在を肯定してるんだ?」
「そうだね」
私は無表情でパンをかじる。そんな様子をみて、宮城は心配そうな顔をしていた。
「いじめ、ひどいんだってな。大丈夫か?」
「大丈夫」
そう告げて、私は笑った。
「みんなひどいこと言ってるけど、まともに聞くなよ」
「うん」
宮城は歪んでいる。でも人に優しい言葉をかけられる程度には、優しい人だ。そのことを私は今日、初めて知った。
これまでは、大人や同級生や人生への文句ばかり口にして、自分は何一つとして変わろうとしない。そんなしょうもない、私と同じタイプの人間だと思っていた。でもいい面もあるのだ。私とは違って。
私は麗が死ぬまで、何にも変わろうとしなかった。今憎まれ役をやっているのだって、楓を楽にするためではあるけど、私自身の罪悪感を少しでも減らすためでもあるのだ。
「あんたなんか、死ねばいいのに」
そう告げたあと、麗は本当に死んでしまった。そのせいで楓は死ぬほど苦しんでいる。最近は学校にも通わず、部屋に引きこもるようになってしまった。お父さんもお母さんも暗い空気だ。麗を慕っていた同級生や後輩の中にも、心の傷を負った人は少なくないだろう。
全てが私のせいだ、なんて思うつもりはない。私はそんな特別な人間じゃない。
それでもやっぱり、考えてしまう。
あの時、飛び出したのが麗ではなく、私だったなら。
死んだのが私だったなら、みんなここまでの傷を負わなくて済んだのではないか。
食事を終えた私は一人、昇降口に戻った。するとそこには待ち構えていたかのように、女子生徒たちが並んでいた。
「ちょっとあなた。私たちについてきて」
みんな私を睨みつけている。何をされるのか、だいたい見当はついた。だけど私は後をついていった。人気のない場所の女子トイレ。壁際に追い詰められて、私はバケツいっぱいの水をかけられた。
全身がびしょ濡れになる。前髪が張り付いて前が上手くみえなくなる。その瞬間、お腹に強い痛みが走った。
「あなたのせいで、あなたのせいでね。この子がどれだけ苦しんだことか」
前髪を払って目を開けると、一人の女子生徒が涙をこぼしていた。
「この子は麗先輩のことが大好きだったのよ? なのに「死んで清々した」なんて。今すぐに謝りなさいよ!」
もしも私がその発言をしなかったら、この人たちは怒りをどこに向けたのだろう。そんなことを思いながら、私は告げた。
「私が謝ればあなた達は救われるの? そうじゃないでしょ。あなた達が求めているのは怒りをぶつける相手。そうじゃないの?」
「いい加減にしなさい!」
リーダーと思しき長身の女子生徒が私の腹を殴ってきた。私が憎まれ口を叩くのを待っていたといわんばかりの迅速さだ。それを皮切りに、みんながみんな私に暴力を振るってきた。
腹を蹴ったり、顔を殴ったり、髪の毛を掴んだり。
そのたびに体と心がきしむ感覚があった。私の味方は宮城だけ。お父さんもお母さんも私があの発言をしてから、私を遠ざけるようになった。それに比べて私を嫌う人は信じられないくらい多い。
助けを求めてもきっと誰も助けてくれない。だったら、声をあげるだけ無駄だ。私は痛みに耐えながら、黙って殴られていた。だけど誰かの足音が聞こえてきて、女子生徒たちは硬直する。
扉がきしみながら開く。そこに現れたのは、委員長だった。
「何やってるのあなた達!」
びしょ濡れで痣まみれの私の所に委員長は駆け寄ってきた。
「いくら何でもこれはやりすぎよ。先生に報告させてもらいますからね」
女子生徒たちは苦虫をかみつぶしたような表情をしていた。私は委員長に告げる。
「伝えなくていいよ」
「なにを言っているの。紗香さん。あ、ちょっと! 待ちなさい!」
女子生徒たちは次々に逃げていく。私はその後ろ姿を自嘲的な笑顔で見送った。
「委員長も私を殴ればいい」
「そんなことしないわ。ねぇ、あなた、本当に何を考えてるの?」
「……別に。何にも考えてないよ」
「だったらどうして泣いてるの?」
私は慌てて目元に手を持っていく。するとバケツの水とは違う生ぬるい水が指先に着いた。その時初めて、私は自分の抱いていた感情に気付いた。
私は、怖かったのだ。敵意を孕んだ女子生徒達に人気のない女子トイレに連れ込まれて、冷たい水をかけられて、ボコボコに殴りつけられて。
一度気付いてしまえばもう遅い。私の涙は、止まってくれそうにはなかった。私は慌てて立ち上がり、女子トイレを出ようとする。でも委員長に腕を掴まれて引き止められる。
「あなたの考えていること、全部話しなさい。あなたはろくでもない人よ。仕事はさぼるし人付き合いもろくにしない。なにを考えているのか分からない。でもこれまで人を傷付けるような悪口は、一度も言わなかったでしょ? あなたは不良ではあった。でも悪人ではなかったわ。そんな人が、なんの考えもなしに死人を侮辱できるとは思えない」
「悪人だったってことでしょ」
私は委員長に涙を見られたくなくて、背中を向けたまま答えた。
「こっちを見なさい!」
だけど無理やりに顔を向けさせられてしまう。そして力強く抱きしめられた。突然のことに、私はすっかり動転してしまう。慌てて離れようとするけど、委員長は離れてくれなかった。
「私はあなたの敵ではないわ。あなたのことは嫌いだけど、敵だなんて一度も思ったことはない。私に話して。お願いだから……」
私はその委員長の姿を見て、麗を思い出していた。麗はいつだって私の味方でいてくれた。私がどれだけ拒絶しようとも、私を正しい方向へ導こうとしてくれた。なのに私はずっと拒み続けていた。結局最後まで、麗の言うことを聞いてあげられなかった。
「……分かったよ。話すから、離れて」
委員長は私から体を離した。でも手だけはしっかりと握っている。委員長の制服は私のせいで濡れてしまっていた。私はそれを申し訳なく思いながら、告げた。
「妹の楓のためだよ」
「楓さん? 楓さんって、麗さんが庇ったっていう子?」
「あの子、ショックのあまり麗が死んだ記憶をしばらく忘れてたんだ。でも葬式で麗が死んだってことを思い出して、自傷行為を始めた。壁に頭を打ち付けて、私のせいだ。私のせいだって。だから私は怒りの矛先を、私に向けさせることにした」
「それで『死んで清々した』?」
「この手、そろそろ離してもらえるかな」
そう告げると、委員長は至近距離で私の顔をみつめてきた。普段は意識していなかったけど、よくみると整った顔をしている。麗ほどではないけど、涼し気な目元とすっと通った鼻筋、薄い唇で、クール系の美人といった印象だ。
「離したらどうするつもり?」
「教室に戻るだけ」
「また悪人のふりをするの?」
「ふりじゃなくて、私は悪人なんだよ」
「そんなのだめよ!」
委員長は叫んだ。私は嘲笑しながら告げる。
「だったらどうしろっていうの? 麗が命を懸けてまで救った楓が自分を傷けるのを、黙って受け入れろって?」
すると委員長は私の手を強く握りしめながら告げた。
「楓さんを傷付けない手段は、他にもあるわよ。あなたが麗さんの代わりになればいいのよ。頼りになるお姉ちゃんになって、楓さんの心を癒してあげればいい」
「は? 私が麗の代わりに? そんなの不可能でしょ。私が麗を嫌いになったのは、いくらもがいても追いつけなかったから。なのにそんなの今さら……」
「追いつけてしまうかもしれないのが怖いの? もしも今頑張って麗さんに追いついてしまったら、もっと早く頑張っておけばよかった。そうしておけば、麗さんと仲良くなれていたかもしれないのに。そう思ってしまうから。だから考えもしなかっただけなんじゃないの?」
私は肩を落として告げる。
「追いつけるかもしれない、なんて思ったことないよ。それだけ麗と私の間には差がある。例えば見た目だって……」
「私は紗香さんの顔、好きだけど」
突然、そんなことを至近距離で伝えられて、私はすっかり驚いてしまう。私が目を見開いていると委員長も照れくさくなったのか、顔を赤らめながら告げた。
「いや、もちろん、恋愛対象とかそういう意味ではなくて……」
「そんなの当たり前でしょ。女同士なんだから」
「……そうね。まぁその、私が言いたいことはつまり、あなたは自分を過小評価し過ぎってことよ。成績は悪いけど、現代文の点数はいいでしょ? あなたは地頭がいい。だから頑張れば麗さんのように学年一位になることだって……」
「百歩譲って委員長の言ってることが正しいとしよう。頑張って頑張って麗と同じくらい立派な人間になったとして、果たして楓は受け入れてくれるかな? 私にはそうは思えないんだけど」
「どうして?」
「楓の前で、私は麗に理不尽な言いがかりを何度も付けてきた。極めつけに「死んで清々した」。要するに嫌われてるんだよ。いくら頑張ったって麗に向けるような視線を向けてくれるわけがない」
私がそう告げたとき、チャイムが鳴った。委員長は慌てた様子で私の手を引っ張る。
「この話はあとにしましょう。とりあえず服を着替えないと。そんな濡れた服で授業受けるわけにはいかないでしょ。保健室に予備の制服があるはずだから、それに着替えさせてもらいましょう」
私は委員長に手を握られたまま、保健室に向かっていく。途中、すれ違う同級生達が不思議そうに私たちの手をみていた。それに気づいたらしい委員長は慌てて私の手を離していた。
〇 〇 〇 〇
私たちは保健室で制服を借りさせてもらったあと、急いで教室に戻った。私はゆっくりと歩いて戻るつもりだったけど、委員長に引っ張られて仕方なく急いだ。
不良と委員長という正反対の組み合わせをみた生徒たちは、不思議なものを見るかのような視線を向けていた。私は席について、授業の内容を聞き流しながら考える。
私が麗の代わりになる。そんなこと、可能なのだろうか。
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