善意
一時間目の終わり、私は早退した。そして楓の通う中学に向かった。ずっと悩んでいたのだ。楓を麗の葬式に参加させるべきかどうか。それは楓に残酷な現実を突きつけるということだ。でももしも葬式のことを伝えなければ、お別れの機会を奪ってしまう。
私は中学校の職員室に向かって、顔なじみの先生に事情を説明する。するとその先生はすぐに楓を呼んでくれた。私は状況を掴めていないらしい楓の手を引っ張って、帰路につく。
「どういうことなの?」
「……行けば分かるよ」
帰り道はいつもの道を通った。私は楓を葬式に参加させることに決めた。それなら、少しずつ衝撃に慣らしていったほうがいい。そう考えたのだ。
麗が死んだ交差点に差し掛かる。信号の柱のすぐ脇には花束がたくさん置かれていた。楓は突然足を止める。しゃがみ込んで頭を抱えていた。まるで嫌なことを思い出そうとしているみたいな。
でも楓はしばらくすると立ち上がった。
「急に頭が痛くなって。……でももう大丈夫だから」
そう言って、歩行者用信号の赤信号をじっとみつめていた。
〇 〇 〇 〇
家に帰るとお父さんとお母さんは喪服に着替えていた。その姿を見て楓は「誰かのお葬式に行くの?」と告げた。お父さんとお母さんは、本当のことを告げるべきか困り果てた様子で「まぁ、そんな感じだな」と頷いていた。
楓は「麗お姉ちゃんはいかないの?」としきりに問いかけていたけど、二人とも頷くしかない様子だった。私たちは車に乗ってお葬式場に向かった。到着したのは十時頃だった。
お父さんとお母さんはすぐに、参列者の受付の準備をしていた。それを見て、奇妙に思ったらしい楓は二人に問いかけた。「一体誰がなくなったの?」と。楓も無意識では気付いているのか、葬儀場に入ることはしなかった。
ずっとお父さんとお母さんの隣で立っていた。やがて、参列者がやって来る。親戚だけでなく制服姿も複数人いた。みんな気の毒そうに楓の表情をみつめていた。記憶を失っていることは知れ渡っているらしく、進んで麗の名前を出す人はいなかった。
だけどみんな私を見る視線は鋭く「なんでお前が生きてるんだ」とでも言いたげなように、私には見えた。やがて参列者の受付は終わり、私たちも葬儀場に向かう。奥には綺麗に彩られた祭壇があって、その中央には麗の遺影が飾られていた。
楓は言葉を失っていた。訳が分からないといった風に、周囲を見渡して。でもみんなが本気で心から悲しんでいる姿をみると、これが嘘でも冗談でもないと気付いたのか、ぽろぽろと涙を流し始めた。
「そうだ。麗お姉ちゃんは私を庇って……」
かと思えば急に叫びながら、壁に頭を打ち付け始めた。
「ああああああ! 私のせいで。私のせいでっ……!」
みんな楓を止めようとする。麗の同級生らしき人たちが、泣きながら楓を抑え込もうとする。でも楓は止まらなかった。本当に死んでしまうまで自分を痛めつけてしまいそうな雰囲気さえあった。
だから私は、一言、笑いながら告げた。
「麗が死んで、清々したよ」と。
参列者の視線が私に釘付けになる。特に、麗と仲の良かった同級生たちは今にも私に飛びかかってきそうだった。そしてそれは楓も同じだった。
「……本気で、そんなこと、思ってるの?」
嗚咽が漏れそうになるのを我慢しながら、私は告げる。
「思ってるよ。あいつのせいで、私の人生は散々だ。ずっと比べられて、馬鹿にされて。でもこれでやっと終わった。私はもう誰にも馬鹿にされない。もう、誰にもっ……!」
楓の拳が私の頬をとらえた。私は殴られた場所を手で押さえながら、楓をみつめる。
「お前が死ねばよかったんだ! なんで麗お姉ちゃんが……。麗お姉ちゃん……」
そして泣きだしてしまった。私は参列者たちのむき出しの敵意に晒されながら、席に座った。溢れ出してくる涙を誰にも気付かれないように拭って、麗の遺影をみつめる。
遺影の麗は笑っているのに、どうしてか今の私には悲しんでいるようにみえて仕方なかった。でもこれ以上、私にできることなんてない。だって私は麗ほど優秀じゃない。ただの劣等生の不良なのだ。
不良なら不良らしく、それ相応の手段を取るしかないじゃないか。
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