456話 登山
この山脈の地形は少し複雑だ。
遠くからではわからないけど、登っては下って登っては下っての、山あり谷ありな地形が北へずっと続いている。
ひとつの山にひとつの山頂、っていうようにシンプルじゃない。
その中でも、ひときわ高い場所があって、正式にはそこが山脈の頂上とされている。
俺たちが今向かっているのは、上から3番目くらいの高さの場所らしい。3番目とはいっても街から近くて子供の足でも1時間くらいで着くらしいから、そんなに高くない。
……はずです。
登山開始から10分くらいで、俺はちょっと息切れし始めた。
いけるかなと思って身体強化を使ってなかったのがあかんかった。思ったより登山きつい。なめてました。一瞬でふくらはぎがパンパンになった。
道はちゃんと整備されていて迷うようなことはなさそうだ。急な坂道というかんじ。馬には厳しそうだけどロバとかならギリギリいけるかも?
だが俺は人間です。
なので身体強化オンです。
みんなは平気そうな顔をしてるから、とっくの昔に身体強化オンしてたんだろう。それに基礎体力が違いすぎる。
身体強化したら、かなり足腰が楽になった。
晴れてるけど空気は冷たい。冷たい空気を吸いながらの登山はけっこうしんどい。勾配もどんどんきびしくなってくる。
これは登り慣れてないとつらいな。足が悪かったらなおさらだろう。
ところで、普段酒を飲んでゴロゴロしてるだけのダインは、なんで急にきつい運動して平気なんだ?寝てるようにみえて筋肉鍛えてたりする?
やわらかいが、筋肉だもんなあ。
それとも、治癒師秘伝の何かしらの技術があるのか。俺にも教えてくれんか。
「このあたりも、動物たちの動向に変化があったのかな。シュザがいればもう少し詳しくわかったんだけど」
「特に異変はないぜ」
「森じゃねェから俺にゃわからんが、変な感じはしねェなァ」
先頭を行くノーヴェは、あたりを見回している。
わかりやすいとはいえ、初めての道だから一応警戒はしている。
俺は今回はなんと、荷物持ちの任務を与えられた。
なんか、冒険者兼奴隷としては初めてふさわしい仕事をしている気がする。
羽のように軽い収納鞄を背負うだけの簡単なお仕事だ。だが俺が同行するための名目上、とても重要な仕事だ。俺の冒険者としての実績にも加算されるからな。
そのかわりに警戒は他のみんなの仕事になる。簡単な依頼でも、初めての土地だから決して気を抜いてはいけない。
森のような緊張感はない。
しかし同時に、ダインの権能の特典も機能しない。森じゃないからワヌくんの力も及ばない。
みんなは気楽な会話をしながらも、しっかり気を張っていた。俺もしっかりと鞄を背負い直した。
山の中からは、ときおり小鳥の声が聞こえてきて穏やかに見える。数日前の異変からは立ち直ってるのかな。
それに、ご主人がいるから何が起きてもなんとかなる?それはそう……。
いや、ご主人は最強だけど、同時に厄介事を引き寄せる体質でもあるのでやっぱり警戒しなきゃダメ。気を抜いてこれまで何回大変な目に遭ったことか。
1時間、途中で何回か小休憩を挟みつつ山道を登り続けた。幸いトラブルらしいトラブルには見舞われなかった。平和なものだ。
やがて、木々の隙間から小屋のような建物が見えてきた。
「あ、あれだ。思ったより近かったな」
おお、ついに山頂に到着!
木が生えてるから、あんまり山頂ってかんじがしない。
小屋、と呼ぶには立派な山小屋の前まで来て、ひと息ついた。山小屋の周囲はけっこう切り開かれている。
来た道を振り返ると、木々の隙間からわずかに街が見下ろせる。
あそこから登って来たのか。すげえ。
達成感やばい。
体は疲れてるし、汗かいてるけど、これまでの疲労が吹っ飛ぶような爽快感がある。
「なんた、お前たち」
しばらく感慨に浸っていたら、山小屋から髭面の人が出てきた。俺たちの来訪に気づいたようだ。
「オレたちは、冒険者組合の依頼で荷物を届けに来ました。これが組合証と依頼書です」
ノーヴェが代表して自己紹介する。
男性はじっくりとノーヴェの組合証と書類を見て、じっくりと俺たちを観察した。
めっちゃ警戒されてるな。特に俺。なんで子供がいるんだって顔だ。荷物持ちですよ。
「……いつもの奴じゃないな」
「ああ、それは数日前の異変でほとんどの冒険者が調査に出ているそうで、外から来たオレたちがこの仕事を引き受けることになったんです」
「フン……調査するほどの異変なぞなかろうに。まあいい、とにかくご苦労。中に入んな」
いちおう認められたのか、男性は顎をくいっとして俺たちに小屋の中へ入るよう促した。
ノーヴェが丁寧な態度を崩さないので、きっとこの人はけっこう高齢なんだろうな。髭でわかりにくいけど。
案内された小屋の中は、なんというか……完璧だった。
ため息が出るほど完璧だった。
丸太を組んで造られた部分と、しっかりした石造りの部分がうまく融合している。
でかい暖炉にはチラチラと火が見えて、そばにはくつろげる椅子があり、壁にはさまざまな道具が並べられている。
割られた薪が暖炉のそばにきっちりと積み上げられていて、暖炉で料理するための道具も揃っていた。目立たない場所にベッドらしきものもある。
石造り部分は、たぶん倉庫になってて食糧とか道具とかが揃ってんるだと思う。石壁が意外にも装飾的で、伝統的な模様のタイルが壁に埋め込まれていた。丸太を割って磨いて並べた床には、古びているがいいかんじの絨毯が敷かれている。
異様に居心地がいい。
完璧な山暮らしの家だ。
俺、将来はここに住みたい。
うんと先の話だけど、隠居生活はこういうのがいい。理想的すぎる。
ノーヴェに促されて荷物を取り出すまで、俺は口を開けたまま山小屋の雰囲気に浸っていた。
あぶない。任務を忘れるところだったぜ。
「……いつもの物資は揃ってるな。あとは俺からの委託品を引き渡すだけだ。少し休んでいきな」
「確認ありがとうございます。そうします」
男性は無愛想なままだったが、荷物を確認したあと木のベンチを暖炉のそばへ置いて、そこに腰掛けるように促した。それから俺たちにお茶を淹れてくれた。
元気そうに見えるけど、片足をわずかに引きずっている。ちょっとでも足が悪かったら、あの道を行き来するのは大変だろう。
そう考えると、山暮らしも楽じゃないな。
何かあった時に頼れる人がいない。
男性が淹れたお茶は、初めての味だった。あたたまるような、ホッとするような。やさしい味。
ノーヴェがお茶について質問すると、どうやらこの近辺に生えてる適当な葉を乾燥させてブレンドしているらしい。適当っていってるけど、ノーヴェは「これ薬草にもなるやつだ……」と呟いていたので、ちゃんと考えられてるお茶だ。すごい。
「山には麦以外は何でもある。だから少々荷が届くのが遅れたところで生活に支障はないんだがな。冒険者組合ってのは律儀なやつらだ」
男性はそう言って鼻を鳴らした。
世話されるのが苦手なタイプなのかも。だから人里離れた場所で暮らしてるのかな。
ノーヴェはそんな男性の態度を気にせず、お茶を楽しみながら微笑んだ。
「オレたちは外から来たので詳しい事情はわかりませんが、あなたが近辺の山や木々を管理してきたおかげで、冒険者たちが円滑に仕事をこなせるのでしょう。皆、感謝の気持ちがあるのだと思いますよ」
「……フン」
男性は否定しなかった。
きっと、その通りなんだろうな。ノーヴェが丁寧な態度なのもそれをわかってたからなのかも。
世捨て人のように暮らしていても、この男性は人との繋がりを捨ててはいないし、この人なりにそれを大事にしてるんだろうな。
だからこそ、支部の人たちもこの人のために何かしようとしてるんだろう。
忘れちゃいけない。
北の保養地は、引退した人が暮らす場所だ。
これまで活躍してきた人を支えるための場所なんだ。引退した人の生活形式は様々で、その人たちを支える方法もいろんな形がある。
組合支部なりの支え方が、こういう付かず離れずで見守る形なんだろう。それが、この北の保養地で活躍する冒険者たちの在り方なんだと思った。
俺も、わずかでもそこに加われてうれしい。
山を登った甲斐があった。
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