446話 博物館の書庫
水を飲み、ひと息ついてから休憩はおしまい。
広場を出ることになった。
名残惜しくて振り返ると、ゆらめく日の光のなかでまどろむ女性像が、変わらずそこにあった。
また、会いに来れるかな。
それとも、別の場所で会えるだろうか。
おかあさん。
どうにもしっくりこない響きだった。実感がわかないのかも。血縁があるというだけでは足りないっぽい。ほんとうに血縁関係があるのかも謎だし。
何かを知ると、同じだけ疑問も増える。
俺の出自についてはまだ謎だらけだ。
でも、アダンは俺が自分のことを知ったからといって未来は変わらないと言っていた。
ちょっとずつでいいか。
さようなら、『おかあさん』。
またどこかで会いましょう。
俺とご主人が次に向かったのは、上階だった。
円形の優美な階段を上がった先に、いくつか展示場があった。
それらを通り過ぎて、ご主人は奥の方にある部屋の前で立ち止まる。
何の展示があるんだろう。
外から見る限り、本がたくさんあるように思うのですが……。
「ここから先は、許可証もしくは身分証が必要となります」
入り口の横にあった受付でのんびりと本を読んでいた人に止められた。他の展示室と違って、入り口に人がいる。
しかも閲覧に許可が必要らしい。
初めての事態に、俺はちょっとうろたえた。
大丈夫なんすか、ご主人。
「まいったな、冒険者の身分証じゃダメか?」
「そうですね、それだけでは難しいかと……」
「うーん、じゃあ、これならどうだ」
ご主人は食い下がった。
ご主人は外套につけていた、青い羽飾りのバッヂを見せる。これは偉い人の護衛をやってますという証だから、もしかしたらいけるかも。
いつも押されっぱなしのご主人が押していくのはちょっと珍しい光景だぞ。
さあ、どうなる?
「……残念ですが、こちらでは許可証にはなりません」
「そうか……」
ダメでした。
この受付の人、よく見ると手首に白い線が見える。
奴隷だ。
たぶん、ここには滅多に人が来ないだろうし、恐らくものすごく退屈だから、奴隷の仕事になってるのかも。
それに強行突破しようとして傷つけたりしたら、それだけで罪に問えるだろうからな。普通の雇い人だったら傷害罪みたいなやつにしかならないが、奴隷の場合、他者の所有物を傷つけた罪も上乗せされる。
普通の雇い人と違って、奴隷は賄賂を渡すみたいな買収もしにくいし、ちょうどいいのかもなあ。武器で反撃はできないけど、書庫に武器を持ってやってくる人はそうそういないだろうし。
つまり、ここを突破するには正攻法でなくてはいけないということです。何らかの許可証が必要だ。
ご主人は考え込んだ。
引き下がらないところを見ると、どうしてもこの書庫みたいな場所に行きたいらしい。吟遊詩人の記録とかあるのかもしれないけど、図書館じゃダメなんだろうか。
うんうん唸ってダメ元でご主人が出したのは、宿でもらった木札だった。商店とかで割引してくれる、フリーパスみたいなやつ。
いや、さすがに無理でしょ。
身分保証してくれるフリーパスがあるか?
俺も渋々ご主人に倣って木札を見せた。
「確認いたしました。来訪者名簿に署名の上、どうぞお進みください」
「ありがとう!」
マジか。身分が保証されちゃったぞ!
あの宿、ヤバいな。
何をもって許可が下りたのか、まるでわからないんだが。なぜ環位の護衛をやってる証が、買い物割引券に負けるんだ?
やっぱり地元が強いのか?
何なんだろう、あの宿。超高級なのはだてじゃないし、超高級ってだけでもないらしい。割引券ひとつで身分が確かだってことになるんだもんな……。
俺たちは、とんでもない場所で寝泊まりしているのでは……。改めて恐ろしくなった。
意外な方法が功を奏して、ご主人はわかりやすくテンションが上がっていた。よかったですね。
俺たちが名簿に名前を書くのを見届けた受付の人は、閲覧時の注意点を説明してくれた。
「室内においては、飲食や魔法、インクを用いる筆記具の使用は原則禁止となっております。また、許可のない書類の持ち出しも禁止されています。これらの行為が発覚した場合、ただちに衛兵に引き渡され最低2週間の工場勤務となりますのでご注意ください」
「お、おう」
2週間の工場勤務か。
かなりキツいほうの刑罰だな、この国の人にとっては。
それだけ重要な場所ということなんだろう。
いったい何があるのか。
俺はゴクリと喉を鳴らして、ご主人の後から書庫に足を踏み入れた。
書庫の造りは普通の図書館とそう変わらないように見えた。本棚があって、本が並んでる。本を読むための椅子と机もある。
そう広くないけど、全部読もうと思ったら、普通に字が読める人でも1ヶ月はかかるだろう。ここにあるのが全部ってわけでもないだろうし。
ご主人いわく「ここには、この北の保養地の記録がいろいろあるんだ」とのことです。
郷土史のようなものを集めた場所のようです。
それなら博物館にあってもおかしくないか。
書架は項目ごとに分かれていた。
項目は『商人』とか『公人』とかで、書いた人の職種で分けてるっぽい。
誰かが北の保養地全体の歴史を記した、というより、個人的な記録を集めたもののようだった。
表紙とか装丁に統一感があるから、これは全部写本なんだろうな。
「……やっぱり、保養地のやつらは記録好きだな」
ご主人が本をパラパラしながらぼやく。
そうなのか。
うーん、考えてみれば、ここには隠居してる人がたくさん住んでる。余生を持て余した人たちが、自伝を書くようなかんじで家族や自分の歴史を記録してるのかもしれない。納得だ。
俺はご主人に、「何を調べればいいか、わかるな?」と言われ、元気よくうなずいた。
もちろん、吟遊詩人のことっすね!
誰かに聞けばいいって思ってたけど、誰かの残した記録を読むっていう手段があったとは。さすが、こういう調べ物はご主人の得意分野だ。
……しかし、どこに載ってるかな。
片っ端から当たるしかないか。
俺とご主人はしばらく、黙々と本を取り出してはページをめくる作業を続けた。
この作業、案外楽しかった。
半分くらいしか読めなかったけど、商売をやってる人の顧客の話とか、何年にどんな出来事があったとか、孫が生まれて盛大な祝宴を開いたとか、面白い。
塗りつぶされてる情報や、空欄もあった。
一般人が目にしちゃいけないやつだろう。なんか機密文書を読んでるみたいでワクワクする。
取引品目リストや従業員リストや、家系図もあった。
いろいろ目を通したあと、この北の保養所の変化について、少しだけ詳しくなった気がする。観光地化するようになったのは、わりと最近のことみたいだ。
うーん、興味深い。
いくらでも読めちゃうな。
だけど、なかなか吟遊詩人の情報には行き当たらなかった。
どの記録を読んでも、それらしい名前が出てこない。
吟遊詩人が出入りしていたであろう施設の経営者の記録も見た。楽隊や楽士、大道芸の話はあるのに、吟遊詩人はなかった。吟遊詩人って、そんなに特別なのか?
もっと昔の記録だろうか。
それとも、何か別の視点が必要なのかな。
頭を悩ませながら、ご主人の隣に行って何を読んでるのかのぞき込んだ。
……人の名前がいっぱいだ。
なんすかこれ、名簿?
ご主人が読んでるのは、この博物館そのものの歴史を記録した本だった。年ごとの館長や職員、関係者の名簿をじっくり読んでる。……これ、ぜったい関係ないやつだと思う。
吟遊詩人はどうしたんですか、ご主人。
抗議の声を上げようとして、声が出ないことに気づいた。
書庫に誰か入って来たみたいだ。
入って来たその人は俺たちを見るなり、あっ!という顔をした。知ってる人?
……なんか会ったことある気がするな。
青灰色の髪をした、軽薄そうな男の人。
誰だっけ。
「……あれ、その髪の色は、ハルク?どうしてここに?それに君は、シュザと一緒にいた奴隷の子供だね!いや〜こんな場所で会うなんて思ってもみなかったよ。君たちのパーティーも、この山麓の街へ来ていたとはね。これは果たしてよき巡りなのか、いや、そうに違いないよ!元気だったかい?」
その人は、挨拶もそこそこにいきなりペラペラと話し始めた。立板に水というやつだ。
俺とご主人は、その勢いに圧倒されてしまった。
ご主人は困惑しながら首をひねる。
「あー、お前か。奇遇だな。……えっと名前なんだっけ、なんか馬の名前みたいなやつだったよな?」
「馬って……リトだよ、情報紙を書いてるリトだ」
そうだ、リト!
前に組合本部で俺から情報を引き出そうとして、リーダーのカウンターパンチを食らってボコボコになってた、あの記者だ!
王都にいるんじゃなかったのか。
こんなところで会えるとは!
思わぬ再会に、俺はかなりびっくりした。
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