445話 俺を作るもの




 頭の中でぐるぐると思考が回る。


 回るだけ回って、結局わかったのは、何もわからないということだけだった。


 それでも、整理しようと頑張った。


 俺は王都の東区にある像を思い浮かべる。


 片手には槍を持ち、もう片方の手は地面から何かをすくい上げるような仕草をしている、長い髪をなびかせた女性の巨像。


 見慣れた景色だ。下を何回か馬車で通ったし、あの像の下にはお天気おじいさんや子供たちが住んでいる。


 三大聖人のひとり、大戦士ベハムーサ。

 恐ろしい伝説があるらしい救国の戦士。


 そして、去って行ったベサミィを思い浮かべる。


 温泉を堪能して、俺の頭をポンポンして、ゴツゴツした手のひらをしていて、ご主人とやり合えそうなくらい強い女性。


 強いとはっきりわかるのに、態度は穏やかで余裕があって、優しい人。


 桜の花吹雪の下、懐かしそうに笑っている。

 そんな姿を思い浮かべた。


 ベサミィが、ベハムーサか。

 噛み合うような、合わないような。


 ……ん?待て。


 桜ってなんだ。

 桜のイメージはどこから来たんだ。


 季節的に桜なんて咲かないだろうし、こっちに来てそんな花は見たことないぞ。どうしてそんな映像が浮かんだんだろう。


 どこかで会った?

 そういえば、さっき草原がどうとか言ってたな。



 あっ。


 俺は目の前の眠る女性像を見上げた。


 頭の中では、カチカチとピースが合っていく音がしていた。


 俺は知ってる。


 どこかで、夢のような場所で、会ったんだ。

 ぼんやりとしか思い出せないけど、たしかにそんな夢を見た。何度も見た。草原が広がっていて、いつも赤みがかった髪の女性に会って……。


 そして、桜に似た花が咲き続ける林。


 そうだった。なんで思い出せなかったんだろう。


 俺は、この夢を見ている女性を知っている。

 そしてベサミィのことも。


 立ち上がって、そっと像の服のすそに触れた。

 硬くて冷たくて、ザラザラしていた。


 夢の出来事は気を抜くとするすると手のひらからこぼれて忘れてしまいそうだけど、今のこの感触は本物で、現実で、忘れようがない。



「おれの、『おかあさん』……」


 呟いた言葉は、思ったより大きく人のいない広場に響いた。


 そう、この人は俺の『おかあさん』だ。

 そしてベサミィは俺の──。



「アウル?」


 ご主人の困惑した声で我に帰った。


 困惑しながらも、何かを感じ取ったのか、ご主人は後ろから俺をギュッとしてくれた。


 正直に言って、すごくありがたかった。

 俺はどうしようもなく寂しかった。喉の奥がぎゅうっとなって、胸がざわざわする。


 こんな気持ちになったのは初めてだ。

 みんなに置いてかれて拠点で留守番してたときだって、こんなに寂しくなかった。


 これは、たぶん子供の本能だ。

 俺の理性も記憶も凌駕してしまう、制御不能の感情。何かを強く求める気持ち。


 俺は振り返って、ご主人のおなかにぎゅっと抱きついて顔を埋めた。


 ご主人はまだ困惑気味だったけど、背中や頭をトントンしてくれた。


 頼れる人が近くにいてよかった。

 ご主人の側は、世界一安心できる場所だ。


 いつのまにか小ワヌくんが俺の肩に乗って、慰めるように顔をぺろぺろしていた。親を呼ぶような強い感情を受け取ってしまったのかも。心配させちゃったな。


 ありがとう、ワヌくんやヴァウドゥのことも、俺は信頼してるよ。たくさん親がいてうれしいね。


 落ち着いてから2人でベンチに座り直し、ご主人は俺に謝った。



「俺、お前のことびっくりさせちまったかな。ごめん」


 ご主人が何かしでかしたり問題発言をするのは、いつものことですが。


 今回は俺に関わりのありそうなことだっから、ショックが大きかっただけだ。


 でも、やっぱりはっきりさせておいたほうがいいよな。



「……ベサミィがベハムーサって、本当ですか」

「うん、間違いない。本人も否定しなかった」


 そっか。


 そういえば、温泉でご主人はベサミィに見覚えがあるって言ってたけど、あれは温泉の効能とかじゃなかったわけだ。王都のベハムーサ像と似ていたからなんだろうな。


 ベサミィも王都は居心地悪いとか何とか言ってたし。


 そりゃ、街に自分のメチャデカな像がドーン!とあったら、いたたまれないわ……。



「年代が噛み合わない気もするんだけどな。ベハムーサは何百年か前の戦士だから、あんなに若い外見をしてるはずがない。ミドレシアから遠く離れた皇国ハルディラに住んでる理由もわからないしな。何か事情がありそうだ」


 それはきっと、この眠る女性像、マティウと関係のあることなんだろう。


 そして俺にも関係がある。


 そう思ったが、尋ねられるまでは、ご主人にそれを話さないことにした。


 話しても困らせるだけだし、これは俺の問題だ。

 そして、仮にも俺の今の『親』は、ご主人だ。


 寂しくなったら、俺はいつでも寂しいですってご主人に言える。それを許されてる。だから、この話はしない。


 ご主人も、俺の呟きについては追及しなかった。

 きっといろいろ察するものがあったと思うけど、黙っていてくれた。……いや、何もわかってない可能性もあるな。


 これでいいんだ、俺とご主人は。



「……すごい人に会っちゃいました」

「そうだな。手合わせしてみたいよ」


 伝説と伝説のぶつかり合い?


 それは……王都陥落どころじゃなくなりそうなのでやめてほしいです、絶対に。大陸陥没とかしそう。


 思えば、お天気おじいさんは俺から戦士の気配がすると言っていた。そして、俺もまた『ベハムーサの子』であるとも言っていた。


 何かの隠喩かと思ってたけど、文字通りの意味だったのかもしれない。


 どうしてそうなるのか、どんな経緯があるのか。

 それが真実なのか、説明はできない。


 それでも、ベサミィは、ベハムーサは。


 たしかに俺の、おばあちゃんなんだ。


 その事実だけで、ふわふわしたようなむずむずするような、それでいて満たされたような不思議な気持ちになる。


 俺は向こうの世界で、大好きだったおばあちゃんを亡くした。あの蛇男から受けた恐怖のせいで思い出した。


 その悲しみが、今の俺を作っていると言っても過言じゃない。


 だから、たぶん俺にとっておばあちゃんというのは特別なんだと思う。ベサミィにとりわけ強い繋がりを感じたのもそのせいかもしれない。


 その特別なおばあちゃんと会って話をして、頭を撫でてもらったのは、すごく重要なことだった。


 よかった、思い出せて。

 俺とベサミィがどんな関係でも、問題じゃないとさっきまで思ってたけど、そんなことなかった。


 正直、ベサミィの正体こそどうでもいい問題だ。

 俺のおばあちゃんであるという部分が重要なので。


 これこそが、よき巡りというものだろう。

 俺は血縁にも出会いにも恵まれていた。


 あとは、ベサミィとご主人が手合わせとかせずに済むように、物事が運んでくれることを願うのみだ。無理かな。無理そうだな。


 ワヌくんもそう思う?

 そっかあ、無理かあ。


 俺は祈るような気持ちで、夢見る女性像を見上げた。わずかな微笑みをたたえるその顔を見ていると、心が凪いでいく。


 また、会いたいな。




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