418話 正体見たり




 俺は思い出していた。


 『英傑マールカ』に出てくる蛇。

 ラマカーナに扮したマールカによって退治された、あの悪い蛇だ。


 男の形相は、まさに『大白蛇』のようだった。


 その異様な姿に、誰もが息を呑む。


 ご主人が言っていた、「人間じゃない」という言葉にようやく現実味が出てきた。


 あれは、たしかに人じゃない。



「へえ、やっと正体を現したな。人間の体を持っていても、所詮は獣の意識ってことか」

「……黙れ。消失せんばかりであった我の意識を、同胞が拾い上げ人の胎へと移したのだ。望んだ姿ではないが、世を我が主のため整えるには都合の良い体であったわ」


 男は肩で息をしながら、そう話した。


 マジか。


 本当に、あの『大白蛇』だったりするのか。


 ご主人と面識があるようだったし、倒されたあの『大白蛇』が人の姿で甦ったってことだろうか。


 1000年の時を経て、かの英傑が御伽話の宿敵に再び対峙している。


 俺たちは今、伝説を目撃しているんだ。


 うわ……。

 言葉にならない。



 ……いや、これ、とんでもないぞ。


 物語に出てくる『大白蛇』は『闇の従者』だったということになる。歴史的にヤバい新事実だ。


 その上、マールカが蛇を倒したのは1000年は昔の話だ。この男がそれだけの長期間生きているとしたら、どれだけの地域で、どれだけ影響を残しているのか。


 きっとこいつの所業すべてを挙げれば、俺を実験体にしたことなんかちっぽけに思えるくらい、ヤバいにちがいない。


 恐ろしすぎる。


 しかも、『同胞』とか言ってた。


 つまり、そんな恐ろしい『闇の従者』はこの男1人じゃないんだ……。


 俺はダインにしがみつきながら、身震いした。

 また恐怖が湧き上がってきそうだった。


 大丈夫、なんだよな。

 ご主人は最強だから、何とかなるんだよな?


 ご主人は相変わらず抑揚のない、感情のこもっていない声で話していた。



「整える?『穢す』の間違いだろう」

「下準備は上々。ここから本気を見せてくれよう」

「ほう、徒労に終わるだろうが、やってみろ」


 男はぐっと体に力を入れた。


 何をする気だ。

 思わず俺も身構える。


 すると、背後の荷馬車の中からうめき声が聞こえてきた。

 拘束した襲撃者たちを詰め込んでいる馬車だ。


 なんだ、何が起きた?



「なんだ?」

「拘束は解けぬはずだが」

「……いいや、これは苦しんでいるね?」

「くそ、治癒が効かねェ」


 アノンが急いで中の様子を確認した。


 どうやら、逃げ出そうとしたのではなく、苦しんでいたらしい。ダインが離れた場所から手をかざして何か魔法を使っていたけど、効果はないようだった。


 あの蛇男が何かしたのか?


 どうにも、男の力が増してるように見える。

 汚れていた服は綺麗になり、傷が癒えていた。


 あの襲撃者たちから力を吸ったんだろうか。

 なんという恐ろしいことを。


 でも、どうやって?



「……やっぱり、あいつらも傀儡かいらい兵だったか」

「フン。貴様に勝ち目がないと悟ったか。我には意識体を掌握したにえが幾らでもおるのだ。貴様が力尽きるほうが先であろう」


 蛇男は勝ち誇ったように嘲笑った。


 そんな……。


 ご主人が負けるのか?

 そんなの絶望だ。それこそ世界の終わりだ。



「知ってたぞ、そんなこと」


 ご主人はあっさりそう言った。


 そして、持っていた超長い刺身包丁みたいな剣をブォン!とひと振りした。



「だから、繋がりを全部斬っておいた」

「……は?」


 はい?


 沈黙が場を支配した。


 ご主人は、何を言っているんだろう。



「卑しい人の身でそのような戯言を……!」

「お前は、人間の意識体を闇で穢して歪めることで傀儡とし、意識体の持つ力を吸ってその命を繋いでいるんだろ?……試してみろよ、繋がりを全部斬ってやったから、もう力を吸えないはずだ」

「…………くっ!」


 ご主人の言葉の通りなのか、蛇男がもう一度体に力を入れても、目立った変化はなかった。


 意識体を穢す……それはつまり、『歪み』とかでおかしくなっちゃうことだろうか。


 こいつのエネルギー源にするために、人間の意識体を傷つける必要があったんだな。


 しかも、『傀儡』という言葉からして、意識体を掌握されてしまえば操り人形のようになるんだろう。


 ……俺たちを攫った襲撃者たちのように。

 彼らの行動にどことなく違和感があったのは、操られていたからか。


 なんということを。


 身をもって体験したからわかる。意識体を傷つけられるのは、それだけで死を上回る恐怖なんだ。



「なるほどなァ……『粉』も意識体を歪めるらしいが、そのためだったか……」


 ダインが小さく呟いた。


 そうだ、『粉』もそうだったな。

 あの『粉』が危険なのは、常用者の意識体を蝕むからだった。


 だから広めていたのか。

 広まれば広まるほど、こいつの栄養源と操り人形が増えることになるわけだ。


 今更だけど、使わなくてよかった……。


 蛇男は形勢の逆転を悟り、怒りの形相になっていた。



「貴様ァ!何万とあったはずの繋がりを如何にして絶ったのだ!?」

「何万と剣を振った。それだけだが……この剣は長年俺の魔力に馴染んだ特別製だ。俺の望むものを何でも斬る。すごいだろ」


 そうか。


 ご主人にかかれば一撃で倒せるはずなのに、高速で無駄に斬り合いをしていたのは、そのためだったのか。変だなと思ってた。


 何万もの、目に見えない繋がりを、あの刺身包丁で何万回も。


 ……ダメだ。

 何もかも、理解を超えている。


 ご主人は、俺には見えない何かと、見えない次元での戦いをしているんだ。見ているものも、住んでいる世界も違いすぎる。


 その背中が、とても遠い。



「……だが、そのにも弊害があるはずだ。吸いすぎたら、今度はお前の意識体が狂って摩耗するんじゃないのか」

「我は狂ってなどおらぬわ。我が悲願を果たし、貴様に目にもの見せてくれよう」

「……そうか。もう狂ってしまったのか」


 ご主人は呟くようにそう言って、また剣を構えた。



「夜が明けてしまう。そろそろ終わらせよう」


 そして、次の瞬間、地面にクレーターができていた。



 ──ドゴォォォン!!


 凄まじい地鳴りが遅れてやってきた。


 うわあ!やばい!

 体が浮いた!


 ノーヴェの頭に乗っていたロヴィくんも一瞬浮いて、また笑顔で着地していた。くそ、楽しそうだな。危ないから避難してもらいたいのだが、雷避けのためにはいてもらわないと。


 アノンとダインが前で盾を構え、ノーヴェは障壁を強化する。


 それでも、ものすごい衝撃が俺たちを襲った。

 俺を守るようにジマシセがサンドイッチしてきた。


 障壁に砂埃がバシバシ当たる音がした。

 体感的には、隕石を落とした時と変わらない。


 手加減をやめたご主人は、ヤバかった。


 それこそ、ひとりで世界を破壊し尽くせそうだ。



「グルァ……!」

「あいつ……!オレの障壁を、信用、しすぎ……!……くっ、そろそろ限界だぞ……」


 ドラゴンの作っていた氷バリケードは粉々になり、ノーヴェの障壁もヒビが入ってる。


 死ぬかと思った……。


 衝撃が収まり、恐る恐る周囲の様子を見たが、ひどかった。


 ドラゴンが暴れて更地になった場所が、スープ皿のようにべコンとへこんでしまっていた。


 地形、変えちゃった……。


 ご主人は、底で横たわった蛇男を見下ろすように静かに立っていた。


 やっぱり、その顔には何の表情も浮かんでいなかった。




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