419話 相互不理解




 勝負あったな。

 やっぱり、ご主人は一撃で無力化できちゃうんだ。



「……そうだ、一応訊いておくか。お前、なんで歌姫を狙ったんだ?彼女を攫って何をさせる気だったんだ。王への当てつけか?」


 ご主人は横たわる男を見下ろして、静かな声で質問した。あまり興味はなさそうだけど、情報を引き出すために仕方なく尋ねてるって口調だ。


 このまま殺してしまったら、闇に葬られる情報がたくさんあるからな……。かといって、あいつを捕らえて尋問するのも難しいだろう。


 男は叩きつけられた衝撃で動けないみたいだ。常人だったら、身体強化を使ってても生きてるかわからない。


 口からもやを吐きながら、気丈にご主人を睨みつけている。



「……貴様如きに、我、の崇高なる、志など……」

「その志ってやつをきいてるんだ。俺は興味がないけど、知りたがってる人もいるだろうからな。……お前だって、このまま消滅したくはないだろ?世に知らしめてやりたいだろう?」

「……その、ような、甘言に乗るものか」

「わかった、じゃあ終わりだな」


 ご主人が剣を振りかぶると、男は震える手を伸ばしてご主人を静止した。



「ま、待て……貴様、長く眠っておったのだろう……?我は、貴様の知り得ぬ『歴史』を、すべて、知っているのだぞ……貴様の空白を、それ以前のすべてを、分かち合えるのは、我のみ…………滅してしまえば、すべて、闇へ還る……」

「……」


 その言葉に、ご主人は考え込んでしまった。


 思ってもみなかった言葉だった。


 そう、この『大白蛇』は、ご主人が眠っていた1000年の間の出来事をぜんぶ知ってるんだ。それを体験して、見てきた当事者だ。


 ご主人が懐かしんでいる故郷について語り合える相手だって、この時代にはいない。


 皮肉な話だ。


 最大の敵が、ご主人の最大の理解者だなんて。


 俺は不安な気持ちで事態を見守った。

 みんなは、話がわからないって顔をしながらも、神妙にしている。


 雷は少し収まってきていた。

 だけど暗雲は垂れ込めたまま。


 やがて、ご主人は口を開いた。



「俺がお前に求めるのは、ひとつ。……さっきの質問に答えろ」

「な……!我は、貴様を唯一わかってやれる存在なのだぞ」

「お前と分かち合えるものなど無い。本来、言葉すら交わすに値しない」


 ご主人は平坦な声でそう言った。


 言葉。

 そう、言葉だ。


 もし懐かしさを少しでも感じていたら、ご主人は古語で話しかけていたはずだ。おそらく唯一、正確な古語で話せる相手だからだ。


 だけど、蛇男もご主人も現代語で話している。


 ご主人にとって、この男は敵でしかない。

 それは蛇男にとっても同じ。


 この2人がなにかを共有することはないんだ。

 未来永劫。


 俺は、なぜか心底安心した。

 ご主人は遠くにいない、今ここにいるんだ。



「答えろ。お前は何がしたかった?」

「………………蝕を終わらせる、それが我の悲願……」

「蝕?」


 男は渋々話し始めた。

 プライドより自己顕示欲が上回ったみたいだ。


 でも、何の話だろう。

 蝕って、月蝕とか日蝕のことだろうか。


 この世界、月にあたる天体は見当たらないけど……。



「貴様は、知らぬだろう……その昔、夜を照らす太陽の如き美麗な星があったのだ…………我が主の支配領域たる星……『月』という星だ」


 えっ、月があったのか?

 たしかに、日付の上での『月』という言葉はあるけど、そんな星はないなあと思ってた。


 マジか。



「月だと?そんな話は聞いたことがない」

「我が主が異界の扉を開いた際、代償として砕け散ったのだ……『理』はそれを修復せんとして蝕で覆い隠してしまった……月の役割を再現する世界系魔法を発動させ……世は平常へ戻った……」

「……」


 男の表情にあった憎しみは薄れ、どこか虚ろになっていく。


 逆に、それまで表情らしい表情のなかったご主人が、困惑した顔になっている。


 歴史に詳しいご主人ですら知らなかった新事実なんだろう。それだけ大昔の話ってことだ。


 蛇男の話の『主』とは、前に『アダン百物語』で出てきた2人の男と家の話の、外へ出ようとしたほうの男のことかな。


 そのせいで月がなくなっちゃったのか。


 でも、月はもう修復されていて、『蝕』とやらを解くのが男の目的ってことか。思ってたのとぜんぜん違う方向になってきたな。


 ……それで俺の『声』で実験していた?

 俺の『声』ならそれだけの力があるかもってこと?


 でも、アディにもできるのかな。

 俺とアディでは『声』の質が違うと思うんだが。



「……蝕を解くには、異界の力が必要。その女は、『門』を開く力があるやもしれぬと目を付けておった……この地には、かつて『門』があった……門番の一族が守りを固め、巡礼者どもが日夜やってくる門が……」


 門。門番。巡礼者。

 また新しい言葉だ。


 この山には何かがあったんだろうか。


 でもそれは、開いちゃいけない『門』という気がする。絶対に、アディにそんなことさせたくない。



「ほう。邪龍の顕現に、じゃなくて『蝕』とやらを終わらせるために歌姫を狙ったってのか。……じゃあ、なんでそんなに『蝕』を終わらせたい?終わらせるとどうなる」

「ふ…………」


 男は微笑を浮かべた。

 嘲るような、それでいてどこか悲しげな顔だった。


 蛇の意識を持っているはずなのに、人間にしか見えない表情だ。



「それを教えてやる気は、ない」

「そうか」


 やり取りは、そこで途絶えた。


 主を失ったこの蛇男にも、何か思うところがあったのかもしれない。


 それでも、やってきたことは恐ろしく身勝手で醜悪で、俺には理解できない。許しちゃいけない存在だ。


 ご主人も同じ気持ちだったのか、再び剣を突きつけた。



「姿を騙り、身分を偽り……。お前は虚偽しか語らないやつだったな。摩耗し狂ってしまっている今、その話もどこまで真実かわかったもんじゃないぜ」

「クク……貴様とて姿を偽っておったろう。──のう、天子ラマカーナの姿を騙り、我を討伐せしめた『英傑マールカ』よ」

「!」


 蛇男の言葉に、その場に動揺が走る。


 それは、初めてご主人が『英傑マールカ』だとはっきり名指しされた瞬間だった。


 誰もがご主人を凝視した。


 知らない人のいない『英傑マールカ』が、目の前の人物だと言われたんだから、当然の反応だろう。


 傭兵団も、パーティーメンバーも、俺以外は全員が驚いて動揺していた。息も忘れてご主人を見つめている。


 蛇男はみんなの反応を感じ取ったのか、満足そうな顔になる。


 それはきっと、大白蛇の最後にして最大の嫌がらせだったんだろう。


 隠していたものを暴いてやったぞ、という。

 どこまでも陰湿なやつだ。


 どうしよう。

 どうすればいいんだ?


 ご主人はどうするんだろう。

 これからどうなるんだろう。


 秘密が暴かれ、みんなといられなくなる?

 今まで通りやっていけるんだろうか。


 むくむくと不安が湧いてくる。

 湧くな、落ち着け。


 ところが、ご主人は史上最大のネタばらしをされたにも関わらず平然としていた。


 むしろ笑っていた。

 それを待っていたかのように。


 そして、うれしそうに宣言したのだ。



「俺は、マールカじゃないぞ」



 …………え?


 いや、それはないのでは……?

 アダンだってほぼ肯定してたし……してたか?してたよな。してたはず。


 ダメだ、なんか確信がなくなってきた。


 どういうことだろう。

 名前が違うとか、そういうアレか?


 俺は大混乱に陥っていた。


 蛇男も混乱していた。



「戯言を!我が見紛うはずが……!」

「そうだな、マールカは、天子ラマカーナに扮して蛇の首を落としたんだったか。……じゃあ、俺もそれに倣うとするか」

「な、一体、何を…………!」


 ご主人は男から一歩離れた。

 そして深呼吸する。


 3回ほどそうした後。


 そこにはもうご主人はいなかった。



 そこにいたのは、リーダーだった。





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