415話 破壊の音



※シリアス注意です。






 終わった、はずなんだが。


 なんか、すっきりしない。

 俺はもやもやした気持ちであたりを見回す。


 ドラゴンは戦場と化して更地になった場所の真ん中で翼の手入れをしていた。改めて見ると、立派だ。見つかったら討伐されちゃうんだろうか。無事に巣に戻ってくれよ。


 しかし、ご主人はいつも戦力が過剰だ。


 遺跡の魔物の時もそうだった。あの時は隕石落とすとかいう、下手したらあの一帯が更地になってたかもしれない魔法を使ったし。


 今回だって、上位の竜種らしいドラゴンなんか呼んじゃってる。助かったけど、いまいち戦力が釣り合ってないような……。やることがいちいち大きいんだよなあ。


 ぼんやりそう考えていたら。


 不意に、カラスの鳴き声がした。

 カァカァカァカァと、何十羽ものカラスの声だ。


 今まで静かだったのに、急に鳴き始めた。


 なんだろう、朝だからか?


 しかし、翼の手入れをしていたドラゴンまでもが、動作をやめて「グルルル……」と唸り始める。



「来たか」


 いつのまにか、ご主人が話し合いの輪から外れて、さっきまで戦場だった場所の上空を見つめていた。


 表情が固い。というか無だ。


 やばい。


 ぞわぞわと、首筋の毛が逆立つのを感じた。

 俺の中でワヌくんが唸り声を上げている。


 来る。


 何か、とてつもなく嫌なものが来る。

 本能的にそう感じた。


 空はどんどん暗くなり、ゴロゴロと遠雷が聞こえ始めた。



「何だい、こりゃあ……」

「わからん。嫌な予感がする」


 その場にいた全員が、異様な空気を感じて身構えた。


 やっぱりだ。

 終わってなかったんだ。


 やがて、上空に亀裂が入ったような模様が浮かび始めた。その亀裂は大きくなり、紫色のがあふれ始める。



「『歪み』……。こんな場所にどうして」


 ノーヴェが呆然として呟いた。


 あれが『歪み』なのか。


 初めて見たけど、すぐにわかった。あれはダメなやつだ。良くないものだ。ここにあってはいけないものだ。生理的嫌悪を感じる。


 ぱっくり開いた亀裂の向こうは、ゆらゆらとしていてよく見えない。見ていたら気分が悪くなるな。


 どうして、こんな場所に『歪み』が現れたのかわからない。


 でも、それで終わりじゃなかった。



 ついに、が姿を現した。



 『歪み』を通り抜けて、人が現れたのだ。


 みんなが一斉に武器に手をかけた。


 転移の魔法か何かを使ったのか。

 どうして転移で『歪み』が現れるんだ?


 初めは、もやで姿がよく見えなかった。その人の形をした何かは亀裂を通り抜けると、ゆっくりと地面へ降り立ち、全貌を露わにした。


 白い。


 そう思った。


 白銀の長い髪をひとつにまとめてなびかせ、白いかっちりとした服をまとっていた。軍服にも見える。


 男性か女性かわからない。

 人の姿をしているのに、異様に見えた。


 そして、その表情は憎しみに満ちていた。

 白いのに、真っ暗なかんじだ。


 あの人は、敵だ。



 ──ドクン……!


 急に心臓が跳ねる。


 おかしい。手がカタカタと震えてる。

 少しずつ呼吸ができなくなっていく。


 なんだこれ。


 震えはやがて全身に広がって、止められなくなった。



「アウル?」


 ノーヴェが俺の様子に気づいて心配する声がしたが、応えることはできなかった。


 あの人を視界に入れた瞬間から、俺の身体は制御が効かなくなっていた。


 これは、怖がってる……?

 どうしてだ。


 俺はあの人に会ったことがあるのか?


 リーダーがご主人に声を掛けている。



「あれは……」

「リーダー、俺がいくよ」

「でも、君は戦わないんだろう?」

「ああ。とはな。あれは、人間じゃないから、誓いを破ることにはならない」

「えっ、一体何を……」

「下がって身を守っていてくれ、リーダー。そして、俺を見ていてほしい」

「!」


 ご主人はいつもの雰囲気じゃなかった。

 どんな時でも、ご主人は飄々として明るくて、怒った顔を見せない。


 そのご主人から、怒りのようなものを感じる。

 表情はなかったけど、初めて感じる凄まじい怒気だった。


 それだけで、これが異常事態だとわかる。


 こちらを振り返って、ほんの少し悲しそうな顔をした。その眼はわずかに光って見えた。



「ノーヴェ、アウルを頼む。それから、ありったけ分厚い障壁を張っておいてくれ。手加減できないと思うから」

「おい、ハルク……!」


 ノーヴェが止めたけど、ご主人はどんどん歩いて行ってしまった。


 行っちゃダメ。

 俺はそう言いたかったけど、歯がカチカチと鳴るだけで声が出なかった。


 空はどんどん暗くなり、ゴロゴロと雷鳴が響いて稲光がチカチカしている。


 怖い。

 恐ろしい。


 俺は異常な恐怖を感じていた。


 そうか、怖がっているのはポメだ。

 俺の中でポメが震えて泣いてる。


 共鳴するように俺も震える。

 止められない。


 やがてキーンと耳鳴りがして、俺は両手で耳を塞いだ。冷や汗が止まらない。息がうまくできない。


 感じたことのないような恐怖が、身体の底から湧き上がってくる。


 違う、初めてじゃない。

 俺はこれを知っている。


 怖い、怖い、怖い……。


 バラバラになるような、自分が自分でなくなるようなおぞましい感覚。


 ぎゅっと頭が締め付けられたように痛む。身体中が軋んでいる気がする。特に心臓がギシギシと音を立てているような錯覚に陥った。


 俺は頭を振りかぶって、身を捩って、誰にも届かない悲鳴を上げた。


 バラバラになる。


 壊れる。


 砕かれる!



「──!──!!」

「アウル。どうしたんだ、アウル!」


 俺の異様な形相に、ノーヴェが心配して肩を揺さぶる。何とかしなきゃと思うのに、どうにもできない。なんでこんなことになってるのか、わからない。


 わずかに残った冷静な部分すら、恐怖に侵食されていく。


 視界の端で、ダインが頭を抑えてうずくまるのが見えた。


 きっと『視て』しまったんだ。

 これは見せたくなかったな。だからご主人はダインに俺のことを頼まなかったんだ。こうなるって知ってたんだ。


 みんなに心配かけたくなかった。


 でも、俺はもうダメだ。

 また、壊れてしまう。


 恐怖が意識を塗り潰し、真っ暗になる。


 プツンと、電源を切ったような音がして、何もわからなくなった。






 意識を失ったんだと思う。

 それなのに、妙にはっきり思考できた。


 まるで時間が止まったみたい。


 ……そうだ、思い出した。


 あれは、新幹線のホームだった。

 

 俺は、各駅停車の新幹線だけ停まる、お土産屋もないような駅の近くへ出張に来ていた。その帰り。


 そこで、連絡があった。

 祖母が息を引き取ったという連絡だ。


 足元から崩れていくような感覚があった。


 スマホを耳に当てながら、高速で通り過ぎていく新幹線が俺の思考を粉々にしたように感じていた。


 俺はおばあちゃんっ子だった。家がほど近かったのもあり、両親よりもおばあちゃんに懐いていた。しょっちゅう遊びに行っていたし、大人になってからもよく顔を出していた。


 親より先に彼女を紹介しに行ったし、スマホの使い方を教えて頻繁に連絡を取っていた。


 体調が悪くなったとは聞いていたけど、亡くなるなんて思いもしなかった。


 大好きなおばあちゃんだったのに。

 看取れなかった。


 そこで、俺の世界は一度壊れてしまった。


 その時に俺の意識から、この大きな悲しみの欠片が剥がれ落ちたんだと思う。


 それは『夢の河』を漂い、『声』に呼ばれて、この意識体が砕けた少年の元へ辿り着いた。


 きっと、何かが共鳴したからだ。


 世界が崩れてしまった者同士、惹かれ合うものがあったんだろう。俺の意識体は、たくさんの悲しみの欠片で再構築されたんだ。


 今その記憶を思い出したのも、『壊れる』という現象がトリガーになったのかもしれない。


 ……そうか、俺とポメの意識体は砕かれてしまったんだ、あの白い装束の人に。前に悪夢で見た、あの小綺麗な男だ。


 だから、身体がその時の恐怖を思い出して制御できなくなったんだ。記憶は封印したはずなのに、身体は覚えていたみたいだ。


 また、砕けてしまったんだろうか。


 ちゃんと、繋がったってご主人は言っていたのに。


 わずかに残ったこの思考も、真っ暗な闇に沈んでいきそうだ。


 もう、終わりか。





 その時だった。



「──キャン!」


 鋭い鳴き声が耳元で響いた。


 目覚ましのようなそれをきっかけに、急に世界が形を取り戻していく。


 視界がぐるぐると渦巻いて、気がつけば、俺は強く抱き締められていた。


 俺は暴れていたようだ。

 ノーヴェに抑えられていた。


 いつもはバラバラになりそうなくらい強く絞め上げてくるその力は、今は俺がバラバラになってしまわないよう繋ぎ止めてくれるものだった。


 呼吸は荒く、まだ体に力は入らない。

 でも、俺は底無しの恐怖に呑まれずに済んだ。


 戻ってきた。

 壊れてない。


 ちゃんと形がある。


 俺は力の入らない手のひらを見つめ、その手でノーヴェを抱き締め返した。


 同じ白でも、ノーヴェの白はこんなにも安心できる。



「……アウル!」


 ありがとうノーヴェ。

 ただいま。


 それから、ワヌくんもありがとう。

 おかげで正気に戻ったよ。




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