171話 産声



「オレ……アウルに、あやまらなきゃ」


 ぐったりとダインに身を預けたまま成り行きを見ていると、嗚咽混じりにメルガナが言った。


 俺のほうが、だいぶ悪いことしたと思うけど。



「どうして?」

「だって、ひどいことされてたって、知らなくて……悪口を言ったから……」

「メルガナ、そいつは違うんじゃないか。アウルが酷い目にあってきたから、悪口を言うのはかわいそう……だから謝るのかい?」

「……ちがうのか?」

「相手が酷い目にあっていても、いなくても、人を傷つける言葉は言っちゃいけない」


 ど正論をすぱんと言うシルハ。


 それ、メルガナには、難しいんじゃないかな……攻撃が最大の防御ってタイプみたいだから。


 でも、メルガナは素直だ。酒場で愚痴ってるやつの言葉を真に受けるくらいに、素直だ。


 たくさん失敗して、学んで、少しずつ大きくなればいいと思う。


 メルガナは、それができる人間だ。

 まわりの大人も助けてくれる人ばかりだ。



「うちの坊主は、オメェに言われたことなんざ気にしちゃいねェ。アレにされたことに比べりゃ、蚊に刺されたくれェのもんだと思ってやがる。そう気に病むな」


 ダインがメルガナを慰める。


 ひどい言われようだ。

 しかし事実だ。


 メルガナに何か悪口っぽいこと言われた時、あの女みたいになっちゃダメってことだけが頭にあったな。


 ……でも「うちの」って言ったなダイン。何だよ「うちの坊主」って。なんかもう、ツッコミ入れる元気も出ないけど、それ、むずむずするんですが。



「……メルガナ。養育院の子供はいろいろいるだろォ。親がいないのやら、親に置いて行かれたの、親が乱暴だから養育院に来たのもいる」

「うん……」

「ひとくくりにはできねェ。だが、誰も好きで養育院に来たわけじゃねェだろ。……それと同じだ。奴隷にもいろいろいる。怠け者もいりゃ、働き者もいる。だが、どいつも好きで奴隷になったわけじゃねェ。ひとくくりにはできねェ。忘れるな」


 メルガナはうなずいた。


 それから、小さく俺に「ごめん」と言った。


 俺は謝罪を受け入れた。別に傷付いてはなかったけど、このやりとりはメルガナにとっては大事なことだろう。


 こうして、俺とメルガナの間にあった確執めいたものは、解消された。……と思う。これからは、組合本部とか薬草採集で顔を合わせてピリピリするってことはないはずだ。


 どうだろう。

 先のことは、わからないからな。


 メルガナとシルハとは、そこで別れを告げた。



 ダインは俺を腕に乗せたまま、のんびりと往来を闊歩する。


 ひどく疲れた。


 自分で歩きたいけど、まるで力が入らない。魂が抜けたみたいな気分。


 俺が思ってるより、気力を消耗したのかも。


 ダインは流しの馬車を呼び止め、俺を担いだまま乗り込んだ。


 ……そういえば、みんなを置いて組合本部を飛び出しちゃったな。どうしてるだろう。



「あいつらなら、飯食うからって拠点に戻ってるぜ……オメェは他人の心配ばかりだなァ」


 そっか。


 ダインの背中越しに、流れていく景色をただぼんやりと眺める。


 こういうこと、前にもあったな。


 ご主人に買われた日、体力がなくて歩けず、抱き上げられたままサンサの市場をご主人の背中越しに眺めた。


 あの時より身綺麗になって、体力もついて、知恵もついた。だけど、俺の本質はあまり変わっていない。


 いや、少し違う。


 どう違うか、言語化するのは難しい。



 外・北西区に差し掛かり、そこかしこから楽器を練習する音が聞こえてくる。


 太鼓の音が多い。弦楽器っぽい音もたまに入ってくる。祭りが近くなってきたんだな。


 天気の良い真昼。馬車は祭りの準備で少しざわついている街中を通り抜けて、丘の上を目指した。


 拠点に到着して、ダインはまっすぐご主人の部屋に俺を運んだ。


 なんで居間に行かないんだろう。


 そう考えているうちに、俺は荷物みたいにダインからご主人に受け渡される。


 もう歩けるとおもうけど。


 何でご主人?


 ダインのやわらか筋肉にさよならして、ご主人のかちこち筋肉に出迎えられる。



「見ていてくれたんだな、ありがとう」

「気にすんな、俺じゃダメだった」


 ダメ?何がだろう。


 ダインが近くにいてくれたから、俺は乗り越えられたのに。いろいろフォローもしてくれたし。ぜんぜんダメじゃない。


 ご主人も首をひねってる。



「ダメじゃないだろ。アウルはお前をすごく信頼してる」

「いいや、オメェじゃねェとダメだ。……俺の前だと、声出して泣けねェからな」


 それだけ言い残して、引き止める間もなくダインは扉を閉めて行ってしまった。


 ベッドに腰掛けるご主人と俺が残される。


 泣く?

 泣く必要なんてないだろ。


 そう思っていたのに、目の奥がじわ……と熱くなった。


 ぽろ、ぽろ、と涙がこぼれてくる。止められないぞ、なんだこれ。


 ご主人はギュッと俺の頭を胸に引き寄せた。



「つらかったろ。よくがんばったな」

 

 その言葉が引き金となって、決壊したみたいに涙があふれた。


 そうだ、俺はとても悲しかったんだ。


 あの女にされたことも、あの女が目の前で死んだことも、メルガナのことも、何もかも悲しい。


 つらい。


 もどかしい。


 それは紛うことなく、俺の気持ちだった。俺の身体でも、知らない誰かの記憶でもない、俺自身の感情だった。


 そうか。


 気づいてしまった。


 俺はもう、この身体とは乖離していないんだ。融合してしまった。


 最近うすうす感じてはいた。前のように、外から観察しているような感覚が無くなってきてるって。


 俺は死にたいと思ったこともあった。でも、この身体の持ち主のために死んじゃいけないから思いとどまっていた。


 もう違う。


 俺だ、生きたいのは俺なんだ。


 今、俺は俺になった。


 砕けた意識たちも何もかも溶けて一緒になったアウルという名前の、確立した人格になってしまった。


 俺を虐待した女の死が、俺を完成させた。


 俺は今日、生まれた。



 俺は小さくしゃくりあげながら泣き続けた。

 ご主人の服が湿っていく。



「うぁ……ぁ…………」

「お前、泣くのが下手だなあ」


 ご主人は背中をゆっくり撫でながら、おかしそうに言った。泣き慣れてないから仕方ないんだよ。


 涙がぜんぜん止まらない。


 落ち着くまでずっと、ご主人はよしよしし続けてくれた。


 しばらくして、ご主人から顔を離す。


 まだしゃっくりみたいなのが止まらないけど、ゆっくりになってきた。


 服をべちょべちょにしちゃった……。それに冷静になると、ちょっと恥ずかしいくらい泣いちゃった。鼻水もすごい。


 ご主人は、ぐちゃぐちゃになってるであろう俺の顔を両手で挟んで、目の奥をじっとのぞき込んだ。


 そして、晴れやかに笑った。



「ああ、よかった。綺麗に繋がった」



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