164話 本当の気持ち



 俺は目を擦りながら、ぼんやりしていたご主人の服の袖をちょんちょんと引っ張る。



「もう寝るか?」


 うなずく。


 みんなが軽くおやすみって挨拶してくれるのを聞きながら、ご主人と一緒に居間を出た。



「珍しいな、お前が自分から寝るって言うなんて」

「……おなかがいっぱいになったから」

「アキの料理は美味かったからな」


 寝支度をしてベッドに座ると、ご主人も隣に座った。俺は手のひらに乗せたポメと指で遊ぶ。元気なやつめ。今度遊具を作ってやるからな。


 静かな時間が流れた。


 俺の気分も沈んでいるけど、やっぱりご主人も、少しだけしんなりしている。



「ご主人、元気がないです」

「……そうかな」

「溜めてた魔力、使っちゃったから?」

「うーん、そうかもな。……そういうアウルも、元気がないぞ」


 さすがにご主人にはバレてたか。

 どうしてかは、わかっていた。



「……あした」

「うん」

「第四の週の、六日目」

「そうだな……何かあるのか?」


 俺はひと呼吸置いた。

 ポメも机の上に置いた。


 セリュカのことがあって、連鎖的に思い出してしまった、あのこと。



「あの冒険者の女が、処刑になる日です」


 ご主人が息を飲んだのがわかった。


 しばらく沈黙が続く。たぶん、言葉を探しているんだと思う。



「そうか」


 ずいぶん時間が経ってから、ご主人はぽつりとそう言った。


 それから、俺の肩に手を回す。


 それだけで十分だった。


 俺の感情は複雑で、絡まったロープみたいだ。無理にほどこうとすれば余計にこんがらがってしまう。


 だから、この沈黙はとても良かった。


 嫌なことを思い出してしまうから考えないようにしていた。今まではそれで良かったんだと思う。


 でも、明日にはあの女は死んでしまう。


 死。人の死。


 それは無視するには、あまりに重いものだった。目の前に突きつけられたそれを払い除けてしまったら、俺は一生後悔すると思う。


 あの女はこの国の法を犯し、この国の法に則って裁かれ死刑になる。それ自体は順当なことだ。


 じゃあ、俺はどう受け止めればいいんだろう。嫌な奴がいなくなってスッキリ?……それも間違ってない。


 でも、それは俺の感情じゃない気がする。


 悲しみ、とも違う。


 どうにもできなかったっていう、やるせなさ、かもしれない。


 俺は、自分の力でどうにかしたかったのかも。できることなら正面から立ち向かって、自分の手で反撃したかった。拳を使うのか、口を使うのか、何でもいい。何かしらの抵抗をしたかった。


 その機会は永遠に失われようとしている。俺は何も証明できないままだ。


 そうか。


 俺は無力で無知な自分が許せなかったんだ。


 このままでは、ずっと「無抵抗な奴隷」の自分が影のように付いてくる気がして、それが怖いんだ。


 どうすればいいんだろう。

 わからないな。


 ずいぶん長く沈黙したままだったけど、ご主人はずっと待ってくれていた。おかげでかなり頭の中が整理できたかも。


 ひとりの時に考えるのは怖かった。俺はまだうまく話せないから、声に出して整理するのも難しい。


 ただ黙って隣にいてくれるだけで、心強かった。



「……ご主人」

「なんだ」

「なんでもないです」

「なあ、アウル。今日も一緒に本を読もう。いつもと同じことをするって、大事なことなんだ」


 ご主人は俺の顔をのぞき込んでそう言った。


 ルーティーンは確かに大切。平常心を取り戻すには、いい方法かもしれない。


 俺は収納鞄に入れたままだった『英傑マールカ』を持ってきて、またご主人の隣に座った。


 どこまで読んだかな。


 ページをめくると、大きなヘビの絵が目に飛び込んできた。魔物退治かな。



「よし、ここからだったな。『ある日、天子ラマカーナは風邪を引いて、寝込んでしまいました』」


 続けて俺も声に出して読む。


 少しだけど、前よりスムーズに読めるようになってきた。書くほうはまだ難しい。


 マールカは変装が得意だったので、よくラマカーナの代わりをやっていた。いわゆる影武者だな。


 ラマカーナが風邪を引いたので、予定していた街の視察に変装したマールカが代わりに行くことになった。立派な馬車に乗り、出かけていく。


 その街は、自らを「天龍だ」と言う大きな白蛇に困っていた。自分は天龍なので毎年生け贄を捧げろ、さもなくば災厄がこの街に降りかかるぞ、と脅していた。嫌なやつだ。



「へび、しゃべれたんですか?真獣?」

「真獣じゃない。知恵を持った魔物がごく稀に言葉を話すようになることがあるから、きっとそれだ」


 へえ、魔物も話すやつがいるのか。


 ところで、この視察にはオリジャも同行しており、指揮を執っていた。彼は当然、天子ラマカーナの代わりに変装したマールカが乗っていることを知っていた。


 街の人の手前、変装がバレてはいけないので一応は恭しくマールカに接するオリジャ。彼は提案した。「どうでしょう天子、その不届な蛇を説き伏せるというのは」と。


 実際には、マールカに自分が功績を立てる瞬間を見せつけるためだった。


 天子のふりをしたマールカは、鷹揚にうなずいた。一行は、蛇が棲むという崖の近くへ来た。


 そこへ現れる大白蛇。それはオリジャの想定より巨大だった。人を簡単に丸呑みにできそうな大きな口、牙からは毒液が滴っていた。


 うわあ、あの遺跡の魔物を思い出してゾッとしちゃった。いや、あれよりは小さいはず。


 怖気付いたオリジャは撤退を命じようとした。


 しかし、天子が馬車から降りてきた。「私が討伐せしめよう」と言い、側仕えに大剣を持ってくるよう命じた。


 オリジャは止めようにも、天子の命令に逆らってはいけないのでおろおろする。中身はマールカなのだが、部下たちの手前、逆らっているところを見られてはいけないから、何も言えない。


 マールカは一生懸命ラマカーナを演じていたので、そうするのが当然だと思っていた。まあ多分、本物のラマカーナなら逃げ帰ってたと思う。


 とにかく、マールカ扮する天子ラマカーナは不届な大白蛇と対峙した。


 馬車から降りてきたのがまだ子供だったので、大白蛇は嘲笑した。


 「天龍である我に歯向かうか」と蛇が言うと、天子は「本当に天龍であるなら、天龍の鱗から切り出したこの大剣を受けても傷つかないはずだ」と言って、体格に不似合いな大剣を構えた。


 天子に扮してはいたが、天龍を引き合いに出されてマールカはめちゃくちゃ怒っていた。


 そして丸呑みにしようと鎌首をもたげ、口を開いた大白蛇からひらりと逃れ、その大剣をブンと振った。


 スパンと断たれた首。断末魔の叫びを上げる暇もない。


 首を落とされてもなお胴体はうねうねと暴れ、しまいにそれは崖に激突した。


 そして大白蛇の体はそのまま白い飛沫を上げる滝となった。今日に至るまでそれは流れ続けているという。天子ラマカーナは街を救った英雄になった。


 ……滝エンドか。


 うーん、悪者がいなくなるとスッキリするな。わかりやすい勧善懲悪だ。物語はこの先どうなるのかな。



「今日はいっぱい読めたな。寝るか」

「おもしろかったです。マールカ、ご主人みたい」

「……俺はこんなバカじゃないし」

「かっこいいのに」

「そうか?」


 ご主人、ちょっと機嫌が良くなったぞ。わかりやすくていいね。


 本当は、変装してるの忘れて突っ走るところとか、オリジャに任せるべきところを自分で出ちゃうところとか、そのへんのうっかりが似てると思ったんだけど。黙っとこう。


 おかげでよく眠れそうだ。


 ご主人の言う通り、いつものルーティーンが肝心なのかもしれない。いつもより長めに付き合ってくれたから、余計なことを考えなくて済んだ。


 毛布にもぐりこむと、眠気がやってきた。いっぱい字を見て眠くなったんだな。



「明日、おそらく処刑は昼前に行われる。見にいくか?」

「……わからないです」

「そうか。じゃあおやすみ」

「おやすみなさい」


 ご主人は珍しく、まだ起きてる俺の頭に『祝福』をしてくれた。ふわっとあたたかい魔力に包まれる。

 

 よかった、これで嫌な夢は見ない。


 俺は穏やかな気持ちで眠りについた。


 


 

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