163話 戻ってきた日常



 ほかほかになって3人で休憩スペースへ行くと、ご主人とノーヴェが茶を飲んでいた。


 ノーヴェは機嫌良くご主人の髪を乾かしてあげていた。


 神妙な顔でされるがままなご主人。注射待ちのワンちゃんかな。


 なんか、いい匂いする?



「やっぱりあの薬草の匂いキツくないか」

「どうせ明日は採集だけだし、新年まで狩猟依頼も行かないからいいだろ。心が落ち着く香りだと思うけど」

「そうかあ?」


 薬草の蒸し風呂を堪能してきたようです。ご主人は香りにすこし不満があるみたいだけど。


 みんな、売られてるケバブを物欲しそうにじっと見ていたけど、なんとか耐えた。晩ご飯が楽しみなので。



「明日は森で採集、明後日は週終わりの休み。そのあとは末日が5日間あって、新年か」

「はやいものだね」

「末日は忙しくなりそうだ」

「アキが燻製を作るって言ってたな」

「区内のやつらに振る舞うんだろォ?だりィな……」

「どうせダインは寝てるだけなんだからいいだろ」


 リーダーとノーヴェとダインが今後の予定で盛り上がる中。


 ご主人は、どこかぼんやりしていた。


 湯当たりした?そんなわけないか。魔物を倒してから、ご主人はこうやってほんの少しぼんやりする瞬間がある。


 ……溜めてた魔力を使っちゃったのが、よっぽどショックだったのかな。大切だったのかもしれない。俺にはどうすることもできない。


 ご主人をじっと見ていると、すぐ視線に気づいて俺を見た。



「どうした?疲れは癒せたか?」


 うなずいて見せると、満足したように頭をぽんぽんして、ほっぺたで少し遊ぶ。それから伸びをして帰り支度を始めた。


 やっぱり、少しいつもと違う。


 アキの料理で戻ってくれたらいいな。



 その晩、週末でもないのに豪華な料理が食卓に並んだ。


 まず目につくのは焼いた肉の塊だ。ステーキみたいなかんじ。牛肉だろうか。やべえ。


 それから、パイみたいな生地の上に乗った白いシチューのようなもの。やべえ。絶対おいしい。


 それから、生の野菜を美しく盛りつけたサラダのような料理。


 ほかにも何種類か料理が並んでいた。パンは籠に山盛りにしてある。


 やばい。


 お城の晩餐会だって、こんな料理は出ないぞ。絶対。


 全員が歓声を上げて席についた。俺もよだれが落ちそう。やばいぞ、こんなの食べたらもう戻れない気がする。


 コホン、とリーダーが咳払いした。



「全員の無事と健闘を祝して──」


 リーダーがそう言うと同時にアキがパクッとひとくちめを食べる。それを見届けてから、ワッとみんなは料理に取り掛かった。もちろん俺も。


 …………!



 もう何も言えねえ。



「また気合い入れたなァ、アキ」

「この牛肉、最高だよアキ!こんなすごいのを今食べたら、新年に何を食べるんだ!」

「うま……」

「野菜の鮮度がいいね、苦労した甲斐があったよ」


 みんなが大絶賛する中、アキは黙々と食事をしていた。でも俺は見逃さなかったぞ、ちょっと口の端が上を向いたのを。


 牛肉のステーキ、どの部位を使ったらこんな柔らかくなるんだ。口の中でフワって溶けた。ソースの味がまた独特で、肉の脂っこさを解消しつつも旨味は引き立てる絶妙さ。


 おいしい!!


 もう俺、この肉だけで一生分の「おいしい」を使い果たしたんじゃないかな。


 サラダも、俺の苦手な味のやつが入ってたのにぜんぜん気にならなかった。新鮮だから?育て方とか違うのかな。すごい。素材の質で、こんなに味って変わるんだ。


 シチューの入ったパイみたいなやつ、最高でした。


 バターらしきものの香りが強い。チーズと一緒にいいやつを手に入れたのかもしれない。


 みんなはお酒も飲んでいる。蒸留酒……にしてはストレートでどばどば注いでるから、白ワインかな。ノーヴェのは発泡してるから麦酒を飲んでるっぽい。こっちにシャンパンってあるんだろうか。


 季節のものを味わい、恵みに感謝。


 まるで収穫祭がやってきたような食卓だ。


 アキがはしゃぐのもわかる。おいしいものを、いちばんおいしい時に食べるのは、実に素晴らしいことだ。


 デザートの果物の盛り合わせもすごかった。いつもより種類が多い。甘さも違う。


 すごいな、旬のものって。


 俺はお腹がはち切れそうになるまで料理を楽しんだ。


 こんなに満腹になったのは初めてだ。ドクターストップもかけられなかったので、たくさん食べても大丈夫になったんだな。俺の体。


 生きてて良かった。


 おいしいものをたくさん覚えて、世界を楽しめよ。


 俺は身体にそう願った。


 でも、何だか自分自身に願ってるような感覚になった。変だな。



 動けなくなって、居間の長椅子で休む。


 みんなは酒を片手に、離れていた間のことを話していた。


 主にノーヴェの愚痴大会ですが。


 俺は手のひらに乗せたポメにパン屑を与えながら、それをぼんやり聞いていた。



「……間が悪いというか、いいというか。なんでオレたちが探索してる時に限ってあんな災厄みたいな大きさの魔物が出るかな」

「ハルクは『当たり』を引くからなァ」

「怪我人がいないのが奇跡的だね」

「……そんなに大きかったのか?」


 アキの問いかけに、3人揃ってうなずいた。


 あれの大きさは比較対象がないから説明しにくいな。



「ダイン、『視た』らいいんじゃないか?」

「……坊主こっち来い」


 俺から盗み見ようというのか。よかろう。


 巣から手招きするダインの元に歩く。


 うっ、歩くと腹に響くぞ……ちょっと食べすぎたかも。


 ダインの膝の上にすっぽりと収まる。頭に両手が当てられた。触ったほうが見やすいとかあるのかな。


 とりあえず、魔物の全身を思い浮かべる。ご主人が空から斧ダイブしてたけど、猫の鼻に止まったカナブンみたいな大きさだったな。いやもっと小さいかな。



「……オメェら、よく生きてたな」


 心底呆れた声でダインが言った。

 俺もそう思います。



「こりゃ例えようがねェな……これが卵から孵った幼体ってんなら、育ったらどうなっちまうんだァ?」

「陸生じゃないってハルクが言ってたし、本来は海の中で育つ生き物なのかも」

「ダイン、描いてみてくれないかい」


 嫌そうな顔するかな、と思ったけど見上げたダインはなんか楽しそうだった。


 前に『視た』人の顔を描いた時は嫌そうだったが。人の顔みたいに細かく書かなくていいからかな。


 俺をクッションの山に寝かせて、ダインは鉛筆をシャッシャッと紙の上で動かしている。魔物が描かれた紙は、みんなのところをたらい回しにされた。


 リーダーとアキは見てびっくりしてたし、ご主人とノーヴェは「うまいな」ってびっくりしてた。


 回ってきた紙を俺も見た。うまいな。


 改めて見ても、こんなの人間が相手になる大きさじゃないよな。ご主人の切り札も使っちゃったから、二度目はないだろう。生きてて良かった……。


 それからもしばらく、いろんな話で盛り上がった。


 ダインは、北のほうにある温泉付きの保養地みたいな場所で会合だったんだって。ひと仕事しましたみたいな顔してたのに、ほぼ休暇じゃん。ずるいぞ。


 リーダーとアキは日中は収穫の手伝い、夜はどんちゃん騒ぎで大変だったらしい。来年はもう一人くらい一緒に来てほしいって。俺はちょっと行ってみたい。


 久しぶりのみんなの団欒は、とても落ち着くものだった。ナクレ村の宴も楽しかったけど、日常の延長にあるこういう時間はまた別だ。


 とても楽しくて、嬉しくて。


 そして幸せ。


 だけど幸せであればあるほど、俺の心は下へ下へと沈んでいくようだった。


 このままの気持ちでここにいてはいけない気がした。



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