127話 御者席
ガラゴロと馬車の旅は続く。
霧は晴れ、あたりには草原と森と、それから湿地が目につくようになった。空気がすこし湿ってる気がする。
「しかし、そんな一瞬で勝負がつくなら小枝を使う意味はあったのかね?」
御者を交代して、炒り豆をぽりぽり齧るご主人に、タリムが尋ねた。
「あるぞ。俺は素手だと手加減ができねえんだ」
「どういうことだ?」
「制御が下手でな。速さの感覚が掴めなくて……相手を殺してしまう。だが武器を持つと、その武器に合った構えや体の使い方になるから、制御しやすいんだ」
「そうだったのか」
だからって、小枝ってことはないと思います。でもそれでやっと『手加減』なんだよな……どうなってんだろうな。
「ハルクは、なぜ傭兵にならない?それほど強いなら戦争で英雄になれるだろう」
マルガが質問した。
確かに。対人戦では敵なしじゃないだろうか。
ご主人は、ぼんやりと宙を見つめた。
「約束したんだ。俺を拾って面倒を見てくれたやつが『お前はその力を人に向けるな。誰も殺すな』って言った。そいつは冒険者だった。だから、俺も冒険者になった」
「そうか」
そうだったんだ。
良いほうへ導いてくれる人に出会えたんだな。よかった。すごくよかった。
やっぱり、人をたくさん殺して英雄になったご主人より、大角猪を瞬殺して喜ぶご主人のほうがいい。真獣を殴るのは、あまりよくないと思いますが。
「……俺は、ハルクが傭兵でなかったことを天龍に感謝している。戦場において敵に回れば命はなかっただろう」
団長ハンザールが重い口調で言った。実際に対峙した人の言葉には説得力がある。
ハンザールは、傭兵として戦争に参加したこともあるそうだ。
しかし、ご主人は戦場で会ったどんな名だたる将とも違っていたという。
「ハルクには殺気がなく、気負いもなかった。まるで空気を相手にしているかのようだった。だから、強さを見抜けなかった」
「ハンザは強かったぜ」
ご主人は親しげにハンザールの肩をぽんぽんと叩き、炒り豆の袋を差し出した。
「お前の体は誰よりも重かった。だからちょっと計算が狂って身体強化が切れたんだ。おかげで持ってた枝が最後に折れちまった」
「……そうか」
「それに、8人の中でハンザだけが気を失っていなかった。強かったぞ」
ご主人……話せば話すほど相手を追い込むことにならないか、それ。
しかしハンザは存外にうれしそうだ。もらった炒り豆をぽりぽりしてる。
傭兵は強いって言われたら機嫌を直すのか。覚えとこう。
俺のところにも炒り豆の袋が回ってきたので、もらってぽりぽり食べた。塩がすこし利いてておいしいな、これ。豆売りのおっさんのやつかな。
「お前にはまた手合わせしてもらいたいが、それはできないんだろう」
「次やったら勝てるかわからないからな。俺の技はあれだ、初めてだから、わからないってやつ……何だっけ」
「初見殺し?」
「それだ」
「そうは思えんが……まあいい」
「おーい!川が見えてきたぞ!」
御者の席にいたルーガルが、大声で知らせた。
みんなで外を見ると、確かに道の先の方に橋が見えた。かなり長い橋に見えるぞ。川はどれだけ大きんだろう。
「もうカントラ大河まで来たか。よし、休憩したのち、大河を渡ってミズラ地方へ入るとしよう」
タリムの言葉に従って、次の休憩所で馬車は止まった。
トイレ休憩、そして馬の休憩だ。馬は一日ずっと頑張ってくれるから、みんなにかわるがわる労わられている。
俺も挨拶に行ったが、スッ……と視線を逸らされてしまった。なぜ。嫌われたわけじゃないよな。人見知りの馬なんだろうか。馬も個性がいろいろだ。
この馬は教院の所有で、馬車も教院のものだという。普段は取り合いらしいが、今の時期に遠征に出る研究者は少ないため、タリムが確保できたんだって。
早朝とは打って変わって、街道の往来は多い。王都方面へ向かう馬車とよくすれ違う。
休憩が終わり、御者はマルガになった。
そして、なぜか俺を呼んで隣に座らせた。ご主人に許可は取ってある。
御者席に座るのは初めてだ。大丈夫だろうか。
「すれ違う馬車が増えてきた。俺ひとりだと、盗賊と間違えられるかもしれないから」
手綱をゆるく握りながら、マルガはぽつりとこぼした。
そうか、白い髪で褐色の肌をしてるから。この見た目の人は盗賊に多いんだったな。
俺はアキで見慣れてるから何も思わなかったけど、そうじゃない人もいる。
特に馬車だと、すれ違いざまに襲われたらどうしようってヒヤヒヤしそうだし、まわりに助けてくれる人もいないから怖いのかも。
きっと、そうやって間違えられたことが何度もあるんだろうな。
「腹立たしいことだが、これは仕事だからそうも言ってられない。少し頼らせてくれ」
そういう事なら。
俺がいることで、どれくらい効果があるかわからないけど。
うなずいた俺を見て、マルガは前方を指差した。
「それに見ろ、ここからの眺めはけっこういいだろう。ずっと中にいるのも退屈だ。ここなら虫除けの障壁があるから安全だしな」
ここって安全なんだ。障壁って透明だから気がつかなかった……無防備な場所だから危ないんじゃないかと思ってたよ。
どうりで、俺が座ることに誰も反対しないわけだ。
マルガの言う通り、景色がいい。
冬が近くなって枯れかけた草原が広がり、緑の林がぽつぽつと点在する。遠くに家屋のようなものも見える。
道は橋に向かって伸びている。もうすぐ川だ。
開放的でいいな。
俺もいつか馬の制御を覚えたい。
御者席は車体の正面に据え付けられている。幌馬車なので、うしろに乗ってる人たちとは布一枚で隔てられていて、今はそれも開けられている。
ここ、思ったよりいろんなものがあるな。御者が荷物を置くスペースや、おそらく障壁を作動させる装置、そして飛び出してる棒。なんだこの棒。
「おっと、その棒には気をつけろ。速度を落とす時の停止棒なんだ」
ブレーキか。俺は慌てて指を引っ込めた。
馬車って馬が止まれば車体も止まる。けど、かなりスピードが出ていたり坂道だったりした場合、止まり切れないんじゃないかって思ってたんだ。
ちゃんとブレーキがありました。
どんな仕組みなんだろう。きっと魔法が使われてるはず。
御者席、楽しいぞ。
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