113話 貯蔵庫
午後、出掛けるリーダーを見送ったあと。
ダインの巣でネコちゃんを乾かしていた。
区長のところの飼い猫ニヨが遊びにきたのだ。しかし外は雨なので、当然びしょ濡れだった。
クッション類を汚されては困るため、ダインが捕まえているニヨを俺が『浄化』して温風で乾かす。
泥汚れは『浄化』しにくいんだよな。
ニヨはおなかに風を受けて気持ちよさそうにゴロゴロ喉を鳴らして目を細めた。捕まえられてる自覚がないようだ。
……ニヨにポメを会わせたらどうなるだろうか。
一瞬そんな考えが浮かんだが、サイズ的にポメが負けてるからダメかもしれん。もう少し大きくなってからにするか。
ダインは「やめとけ」って顔をしていた。やめとこう。
ネコたちと戯れていたら、アキがふらふらと居間に入ってきた。一気に部屋のネコ度が増す。
そして、どさっと長椅子に倒れ込む。
アキ!?
「どォした」
「……ダメになっていた……漬けていた食材……」
ああ、それは大変だ。
アキにとっては一大事だろう。
うつぶせで動かなくなってしまったアキが心配になり、まわりをうろうろする。
こういうとき、どうしたら。
とりあえず頭を撫でてみよう。……わ、アキの髪はふわふわだ。もっと手入れしたら上等な毛皮のようになるに違いない。
嫌がる様子もないので、しばらくよしよしを続け、そろそろいいかと手を止めた。
無反応だったのに、急に頭を上げて、黄色の目で俺をじっと見る。
何だ。
よしよし止めたのがダメだったか。
そうっと手を伸ばして、よしよしを再開したら、満足そうにまた突っ伏した。そうか、撫でられるのが好きか。ネコちゃんかな。
大人になって、よしよしされることってそうないもんな。恋人とかいたら別だけど、料理と結婚してるアキにその気配はない。
それに大人によしよしされてもアキは嬉しくないだろう。これは、俺が子供だから許されているのだ。
子供でよかったぜ。
十分によしよししたあと、アキはむくりと起き上がった。もう満足したらしい。
「漬けてたのは、貯蔵庫のもんか?」
「そうだ」
「見せてみな」
みんなで貯蔵庫に向かうことになった。
実は、俺は貯蔵庫に入ったことがない。貯蔵庫は、一度外に出て別の扉から地下への階段を降りた先にある。雨だが、屋根があるから大丈夫。
湿った空気の中、手持ちのランプを点けて三人で降りていく。
地下は肌寒かった。
狭い通路に三つくらい扉があり、アキは一番手前の扉を開けた。途端に冷気がぶわっとくる。
貯蔵庫って冷蔵庫のような役割がある場所か。
そんなに広くなくて、壺や籠が据え付けられた棚に所狭しと並んでいる。
うっ。なんだこの匂い。何か腐ってる?
思いっきり顔をしかめた俺を見て、ダインがにやりと笑う。
「熟成してる香りだ。オメェにゃ、ちっと早ェかもしれねぇなァ」
発酵臭か。
うっ……向こうの世界では発酵食品大国にいたはずなのに、この身体はこの匂いに慣れてないんだな。
アキは壺のうちのひとつを取りだし、開けてみせた。
途端に広がる腐敗臭、もとい発酵臭。
「見せてみろ……あァ、こりゃダメだ。悪いカビが生えてらァ。堆肥にするしかねェ」
「10日かけたんだ。何がダメだったんだ」
「混ぜる時に『腐れ』が紛れ込んだんだろォ?熟成物に浄化はダメだが、もォ少しこの部屋を綺麗にしろ」
ぐぬぬ、とアキが悔しそうに唸る。
アキはこんなにたくさん発酵食品を作ってるのか。すごいな。
もしかしたら、この世界にもどこかに醤油とか味噌とかあるかも。探す楽しみが増えたぞ。
……その前に、身体くんには、この匂いに慣れてもらわなくては。
「アウルは絶対にひとりで貯蔵庫に来るな」
醤油のことをぼんやり考えていたら、アキに強めに言われた。
なぜだ。発酵食品を浄化したりしないぞ。
「そォだな。間違って閉じ込められたら、オメェ助けを呼べねェだろ。凍死するぞォ」
「それに、奥の部屋はノーヴェの調合室になっている。危険な薬草も置いてあるから、絶対近づくな」
急に寒くなって、ダインにしがみついた。
暗くて狭い地下で声も出せずに、冷えていく……うわあ、嫌だそんなの。しかも地下の調合室とかいう恐ろしいものまであるの?怖すぎる。
俺はアキに何度もうなずいてみせた。
絶対ひとりで行かない。
アキが発酵に失敗した壺を抱えて貯蔵庫から出たので、俺とダインも続く。俺はダインにしがみついていましたが。
地下室はこんなふうになってたんだな。
アキが階段を登りながら、ぼやいてる。
「はやくノーヴェの調合室を別の場所に移せと言っているんだが」
「他の場所に置くのは危ねェだろ」
「危ないものを食料の側に置くべきじゃない。領域魔法で保護してようが、俺は気に入らん」
「まだ納得してねェんだな。前みてェな殴り合いはすんなよ。治癒してらやらねェからなァ」
アキとノーヴェの間で、部屋の位置に関して折り合いがついてないみたいだ。
殴り合いはやめてほしい……ちょっと見てみたさもある。いや、暴力はよくないぞ。
共同生活って難しいな。
居間に戻ると、ダインの巣を占拠していたニヨが、めちゃくちゃ匂いを嗅いできた。そして嫌そうな顔をして長椅子のほうへ行ってしまった。
発酵の匂い、ダメでした。
「オメェはいつまで俺にぶら下がってんだ?」
む、ダインに引っ付いたままだったな。即座にピョンと離れる。
ダインはちょっと意地の悪い顔をした。
「そういや、昨日は寝たまんまハルクから離れなかったなァ。いくら引っ張ってもオメェが離れねェもんで、寝ながら身体強化でも使ってんのかってノーヴェの奴が笑ってたぜ」
「!」
やめろ、恥ずかしい歴史を掘り返すんじゃねえ!
見られてしまったか……ぐぬぬ。ゲラゲラ笑ってんじゃないぞ、ダインめ。
クッションでべしべししても、平気そうに笑ってやがる。この!ちょっと弾力のあるやわらかい筋肉め!ぜんぜん効いてねえ。
「ハッハッハ……そう怒るな。オメェには、いずれ回復をちゃんと教えてやる。前に約束したろ」
うん?いきなりなんだろう。
クッションを下げると、ダインは続けて話した。
「無意識に怖かったんだろォよ、ハルクが毒にやられたのが。いざって時に、最低限の知識がありゃ、少しは安心だろォが」
……それは、そうかも。
すっかり怒る気をなくしてしまった。ずるいやつだ。俺自身でも知らないような俺を見通している。
クッションをギュッと抱きしめる俺の頭を、ダインはぽんぽんとした。
やはり、筋肉には勝てないのだ。
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