112話 何もしない日




 ご主人にしがみついたまま寝てしまった俺だが、当のご主人はなんだか元気がなかった。


 いつもは朝の稽古をしてる時間なのに、寝たまま動かない。


 肩を軽く叩く。反応なし。


 しかばねだろうか。



「ご主人、朝です」

「…………うん」


 声かけ。反応薄い。意識はある。


 屍ではないようだ。


 おでこに手を当ててみるが、熱はない。


 どうしちゃったんだ。やっぱり昨日の毒のせいだろうか。それとも俺がしがみついてたから眠れなかったのかな。


 ぜんぜん起きない。しんみりした気持ちのまま、ひとりで居間にいく。


 外は雨だった。



「時々あるんだよ、糸が切れたみたいに何もしない日が」

「ハルクはここ何日も気を張って頑張っていたからね。休ませてあげよう」


 俺の様子と、ご主人が起きてこない様子から察して、ノーヴェとリーダーが朝食の席で教えてくれた。


 たまにあることなんだな。


 よかった、また変な病気かと思った。



「ハルクはバカみたいに強くて、武術も筋力も並外れてるけど、その分、休む時間が人よりたくさん要るんだと思うぞ」

「それに、平気そうに見えても、真獣との対話は大変だったはずだ」


 そっか。ご主人には尋常じゃない部分がたくさんあるから、それだけ気力の消耗が激しいのかもしれない。


 ちょっと人間らしくて、逆に安心した。



「今日は雨か〜……オレが貯水池の当番の時に限って降るなんてな」

「それで早く起きたんだね」

「うん。そのあとは法師組合に行って積んであるいろいろを処理してくるよ」

「僕は昼のあと、冒険者組合へ顔を出して、買取や事務処理なんかを済ませるつもりだ」

「じゃあこれ、置いていくな」

「ありがとう、助かるよ」


 ノーヴェは小さな丸い缶みたいなものをリーダーに渡して、居間から出ていった。


 この缶、何だろう。


 身を乗り出すと、リーダーが少し笑ってそれを見せてくれた。



「これは、雨避けの装置だよ。少し魔力を流すと頭の上に透明な障壁を作ってくれるんだ。雨の日にこれがあると濡れなくてすむんだよ」


 傘みたいなやつか!


 すごい道具があるんだなあ。


 ノーヴェって魔法や薬草に詳しいだけじゃなく、魔法の道具にも詳しかったりするのかな。


 ご主人もすごいけど、ノーヴェも並外れてすごいと思う。


 ここはすごい人がたくさんいる。



 午前中、雑務を済ませて暇そうにしているリーダーに、そっとアレを見せた。


 そう、単語帳である。


 みんなが依頼に行ってる間、けっこうたくさん書き溜めたんだ。


 それを添削してもらいたくて、リーダーに見せてみた。果たして、俺のやりたいことを理解してもらえるだろうか。



「これは……アウルが作ったのかい」


 いろんなところに書いてある、読める単語などを書きつけたもの。リーダーはパラ、パラとめくって、にっこりした。



「うん、これはいい考えだね。日々の生活で能動的に学べそうだ……応用の幅もある。これを使った勉強の仕方を、少し考えてみてもいいかい?」


 もちろんです。


 応用はさておき、俺が書いたもので綴りを間違えているものなどを束から抜き出して、正しい単語を別の紙に書いてもらった。


 それを見ながら何回か書き取りする。


 リーダーは新たに少しだけ上等な紙をくれた。それを単語帳サイズに切って、覚えなおした単語を書き、束に戻す。


 こうすれば、紙の色が違うからどれを間違えたか一目瞭然だ。



「もっと、日常的な言葉を覚えて束に加えていくといいかもしれないね。そうすれば、例えば市場で買い物するときに、その紙を見せて何が欲しいか伝えやすくなるかもしれないよ」


 なるほど、買い物がしやすくなるかも。


 ジェスチャーや指差しで伝えられるけど、固有名詞を伝えるのは難しい。そんなとき、単語を書いたカードをさっと見せればすぐわかってもらえるぞ。


 いい使い道が見つかった!


 買い物できるとなると、やる気もあがるな。がんばろう。



 俺もリーダーも、ご機嫌で昼ご飯を食べる。


 ご主人はまだ起きてこない。

 ごはん食べないのかな。



「ハルクはどォした」

「いつもの、あれだよ」

「あァ、あれな……夕方には元に戻ってるだろ。例の闇賭場にでも連れ出してやるよ」


 席についたダインが、パンをちぎりながらちょっと楽しそうに言う。


 闇賭場でご主人は復活するのかな。ダインが行きたいだけじゃないのか。



「ちょうど、ファンイに連絡をつけようと思っていたんだ。今夜行くことを伝えておこうか?」

「頼む」

「アウル、後でハルクに食事を持っていってやれ。ああなった時は食事もとらないが、お前なら食べさせられるかもしれん」


 アキに頼まれた。


 食後、スープの入ったお椀を持ってご主人の様子を見に行った。


 相変わらず、ベッドでぼんやりしてる。



「ご主人、ごはんです」

「…………うん」


 ダメだな、自分で食べそうにない。


 ベッドによじ登って、ご主人の口元にスプーンを突き出してみる。


 わずかに口を開けたので、スプーンをそっと入れてスープを流し込むと、ゆっくりと咀嚼して飲み込んだ。


 食べた……!


 ものすごくゆっくりだけど、食べる意思はあるようだ。


 これは、お世話するチャンスだ。


 いつも世話されてばかりだから、今日は俺がお世話し返してやる。


 喉に詰まらせないよう、角度に注意しながら、ご主人の口にスープを運び続けた。


 めちゃくちゃ楽しい。


 赤ちゃんの世話ってこんなかんじかな。いや、もっと大変だろうな。


 すべて飲ませて、とんでもない充足感に満たされる。そう、これこれ。やはり、お世話するのが奴隷の本分なんですよ。


 にこにこで空になったお椀をアキに見せにいって、「よくやった」と褒められて、さらに達成感に満たされる。


 ご主人からは何の反応もない。


 でも、こうやって無防備でぼんやりしてるということは、ここはご主人にとって安全で安心できる場所なんだ。


 居場所があるって、素晴らしい。


 ゆっくり休んでください。



 俺は、ポメをご主人の頭の横に置いた。


 ポメはご主人の顔をふんふん嗅いで、首元で丸くなり、わかってるよというように俺に向かって鳴いた。


 えらいな、ちゃんと守るんだぞ。




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