107話(別視点)真獣の眷属




『此度は、我らがおさの訪れにより迷惑をかけた。長はもう事を済ませ戻られたゆえ、安心するがよい』


 頭に直接響くその声に、ハルク以外の誰も動けなくなった。


 伝説の存在が、目の前に突如現れたのだ。


 どう対応したものか、誰にもわからない。


 そんな緊張感の中、ハルクだけはのんびりとその獣へ声をかける。



「なんだ、姿を見せることにしたのか」

『この森は我らの手から離れていたが、星の眼を授かりし民の手により上手く巡っている。我が番人となるからには、言葉を交わさぬわけにもいくまい』

「お前はなかなか冷静だな」

「お、おいハルク……不敬じゃないのか」


 メンバーのひとりが、普段と変わらないハルクの態度を見て恐る恐る尋ねた。


 目の前の獣の姿は、美しく、威厳があった。そのような態度では怒りを買うのでは、と懸念したのだ。


 その場の冒険者たちは、今までも多くの大型の魔物と対峙してきた猛者ばかりだ。この獣は大きさこそ巨大というほどではないが、今までのどの魔物とも格が違っていた。


 これが、『真獣』に連なるものの存在感か。


 感じたことのない威圧感に、誰もが身が竦ませる。


 獣はごく穏やかに声を響かせた。



『そう畏まるでないぞ、星の眼を授かりし民よ。我は真獣たる森狼ヴァウドゥの走狗そうくに過ぎぬ。人の崇敬は我の求めるところではない』

「ほら、こいつがそう言ってんだから大丈夫だよ」


 いや、無理だろう。


 皆、内心そう思ったが口には出せなかった。


 唯一、隊長だけは前に出た。



「ならば、少しばかりお聞きしたいことがある」

『よかろう、話すがいい』

「先程『番人になる』と仰ったが、それはつまりこの森を管理なさるということか」

『いかにも』

「我々は今まで通り、森の恵みにあずかっても良いのだろうか」

『そうだ。我の役割は、巡りを乱すものの排除と穢れの除去である。其方らを助けはせぬが、害することもせぬ』

「互いに不可侵というわけだな」


 真獣と人との不可侵の協定。


 誰かが話半分に語っていた、まさにその場面ではないか。


 黙って聞いていた探索隊の面々は、伝説をそのまま見ているような状況に立ち会い、ただただ震えるしかなかった。


 隊長はなおも質問を続けた。



「我らの都市は、周囲を森に守られている。つまり、森は戦時の防衛線の役割を果たしているのだ」

『成程、人同士の戦における我の立場を知りたいのだな』

「その通りだ」

『我は誰の側にも立たぬ……だが、其方らは森をよく育て、よき巡りをもたらしている。ゆえに、其方らの敵がこの森を侵し、傷付けたなら、その場に限りそやつらを排除してやろう』

「それは、ありがたい言葉だ」


 隊長が礼を取ったので、その場の全員がそれに倣い一斉に礼を取った。真獣の眷属にとって人の礼儀作法は無意味だが、獣は黙ってそれを受け入れる。


 国防に関わる話になり、もはや冒険者の手に負える情報ではなくなってきた。



「……だが、俺は一介の狩人に過ぎない。その約束は身に余る。もっと上の立場の人間と、改めて約定を交わしてはもらえないだろうか」

『ふむ、そこの都市には人間の王がいるのだったな。では、時期を見て相見えようぞ』

「よろしく頼む」


 真獣の眷属との約定。


 真獣の眷属が王と面会。


 ただの探索依頼だったものが、どうしてこう、大きくなったのか。その問いに答えられる者はいない。


 思案顔だったシュザが、隊長に話しかける。



「しかし、森に番人がいることは、当面は広めないほうがいいだろうね」

「そうだな、探索部門長と組合長には話すが、この事は秘匿するのがいいだろう。帰ったら契約術士を呼んでここにいる全員で『口外禁止の契約』を結ぶぞ」

「ええ〜!?こんなすごいことを話せないのか!」

「お前は特にぺらぺらと吹聴して回りそうだから絶対だ」

「そんな……」


 お調子者の彼が悲痛な声を上げたおかげで、張り詰めていた場の空気が少し緩んだ。


 『真獣』に関わる情報はあまりに大きい。


 『真獣』を悪用したい者や、悪意はなくとも『真獣』を探して森を荒らす者が出ては困る。


 冒険者にとって森は命と言ってもいい。その森を守る番人に敵とみなされる事態に陥るのは避けたい。



「……もう一つだけ、お聞きしたいのだが。真獣は何故この森にやってきたのだろうか」

『……その問いには答えられぬ。だが、そこなはぐれ走狗の計らいにより難は去った。案ずるな』

「逸れ走狗……俺がはぐれ犬だと?お前!」

『帰路を見つけられぬ其方は、逸れ走狗に相違なかろう。長は其方に殴られた鼻が痛むと仰っていたぞ』

「ぐぬぬ……」


 ハルクと真獣の眷属が睨み合いを始める。あわや一触即発の状況に、その場にいた者たちは青くなった。


 そんな中、ノーヴェは後ろからハルクの肩を掴んだ。



「殴った……?ハルク、武器も魔法も使わない『話し合い』って言ってたよな。真獣とやり合ったのかお前……!」

「……武器も魔法も使ってねえよ。拳でちょっと『話し合い』をだな」

「なんだよそれ!くそ〜、ハルクのくせに口答えがちょっと上手くなりやがって」


 真獣と拳で話し合うって何だ。

 どうして無事でいられるんだ。

 何をやってるんだ。


 誰もがそう思った。だが同時に「ハルクならあり得る」とも思った。


 契約魔法で口外を禁止されていなければ、この規格外の男にまた新たな二つ名が付いていたかもしれなかった。



「あ、そうだ!お前、森を元に戻せとは言ったが、前より豊かになってるじゃねえか。どういうことだ!」


 ノーヴェの追及から逃れるためか、ハルクは矛先を目の前の獣に向ける。


 獣は、空を見上げながら、返事をした。



『……長は此度の件で森を荒らしたことを悔いておいでだ。これは其方らへの詫びだと聞いている。冬が来る前に、森の恵みを存分に蓄えるがよい』

「詫びなど……ありがたく頂戴する」


 隊長は恭しく礼を述べた。


 一方、ハルクはじっとりとした目で獣を見る。詫び、というのは、どう考えてもやりすぎたことへの後付けの理由だろう。


 その証拠に、獣の目線は明後日の方へ向いていた。


 だが、その言葉に人一倍喜ぶ者がいた。



「何、それは本当か。シュザ、予定を変えて収穫祭から早めに戻って森の採集をするぞ」

「アキはそう言うだろうと思ったよ」


 探索の合間にも、しっかりと森の実りを採集していたアキだったが、獣の言葉を聞いてさらに火がついたようだった。


 それを見て、気が立っていたハルクもノーヴェも毒気が抜かれた。



「……まあ、いいか」

「よし、そろそろ撤収するぞ」

『では、またいずれ』

「真獣の眷属よ、急な訪問にも関わらず穏やかな対応をしていただき感謝する。あなたに良き巡りのあらんことを」


 隊長の言葉に、獣はワン!と応えてから姿を消した。


 あとには、静かに平原の草花が揺れるだけであった。


 まるで白昼夢のような時間だった。


 歴史書に記されるような出来事の、目撃証人となったのだ。


 捜索隊は、地に足がつかない心地で口々に興奮を語り合いながら山を下り、森を抜け、帰路についた。



 こうして、『真獣』の眷属との語らいという異例の事態に遭遇しながらも、無事に今回の深部探索依頼は終了した。


 原因となった少年の預かり知らぬところで、人と森との歴史に新たな一項が加わったのだった。



 その後、探索に加わったメンバーの間で『伝説と拳で語らう男』と呼ばれる者が出るようになる。


 どうしてそう呼ばれるのか、その由来を話す者はいなかったという。







***

次回より主人公視点。



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