第10話:人を傷つけることの共通点 ①
現在は子供から大人まで誰でも無意識のうちに人を傷つけるという行為をしてしまう可能性がある。
しかし、多くの場合はその行為に対して自分の正当性を主張する、正当防衛として認識することで自分の行為で相手が傷ついたとしても“因果応報”や“自業自得”という認識が芽生えるという可能性もある。
私はこれらの発生する背景としていくつか挙げられるが、主に考えられるのは“幼少期からの”パーソナル・マネジメント”や“大人とのコミュニケーションデザイン”といった幼少期から深く関わりを持つ大人の行動や言動から学んだことが子どもたちの日常生活の延長線上に出てくる可能性があると思うのだ。
なぜなら、これらの背景の多くが子供たちのあらゆる感性に対して大きく影響を与えており、5歳頃までは両親など近くに居る人の行動や言動から学んでいくため、視覚で捉えた大人の行動を“正しい事”という認識に変換してしまう可能性があり、子供たちが同年代の子供たちと同じ集団で生活を始めたとしても、自分が気に入らないことや考えが違うことを言われた際に相手を叩くなどの暴力行為や暴言などを相手に対して言うという行為が起きるのは“ミラーリング”が起きている状態である可能性は否定出来ないし、これらの行為をすることに対して躊躇なく行ってしまうことに対して、先生から注意を受けたとしても“自分は間違っていない”という主張をするのは子供たちが日常的にそれらの光景を見て育ってきている可能性やその家庭において暴力や暴言などが日常的に飛び交っている状態もしくは近隣で類似する状況が起きていることで子供たちがその行為に対して“正しい”という認識を持っていることや“もし、相手が言っていることが自分と違っているならこういうことをしても良い”という誤った認識を持っていたとしても、各家庭においてきちんとしたしつけをしていないもしくは行動矯正が進んでいないことでこれらの行動に対する行動矯正が困難になっており、家庭においてどのように矯正して良いかが分からないまま放置されてきた可能性が出てくるのだ。
そのため、同年代の集団に初めて入ったときに無意識のうちにこれらの行為を相手に対してやってしまうという可能性もあるのだ。
これは“子どもだから”許されるという認識の芽生えと類似する部分が多く、成長するにつれてこの事が1つの言い訳のような形で口癖になる事や家庭内で何か問題を起こした場合でも“僕はお兄ちゃんだから~”や“私はお姉ちゃんだから~”という自分の立場が上である事を誇示する心理が芽生えることもある。
これらの心理が家庭内だけで芽生えているなら問題がないのだが、これが学校などの社会的な集団生活において芽生えてしまうことで“いじめ”・“差別”・“偏見”などの人権問題や“○○は自分よりも~だ”や“○○よりも自分は強い”など年齢は変わらなくても、相手が知らない事を知っている事でその知識を利用して相手をコントロールしようとすることで“自分の立場を確固たる物にしたい”という心理が芽生える。
これが“人間関係および交友関係におけるカースト化“という人を傷つけるという認識に対して年功序列のような上下関係が学年内で構築されてしまうことで、交流できる人とそうではない人が出来てしまい、これらの分断がいじめのきっかけにつながり、実際にいじめ等が発生した場合に手遅れになりかねないのだ。
特に小学校低学年と高学年は異なる“自我の目覚め”と“自立心の向上”が出てくる時期であり、この時期にこれらの問題が解決していないと、中学校進学時に異なる価値観の同級生との生活が始まった際に孤立する可能性や新たな価値観に順応するために必要な交流が出来ない、コミュニケーションが取れないという事態にもなりかねない。
そのため、小学校の同級生同士である程度のコミュニケーションが取れるようになる事で、他者観察や他者理解の練習になり、相手を知るために必要な方法や正しい選択肢を体験・経験することや現在は塾などに通っている人も増加しているため、塾などで異なる学校の人と日常的に交流を深めることも可能になっており、これらの新しい人間関係の構築方法が次の学校に進むにあたって、重要な相互理解や個別認知の機会になるのだ。
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