第30話 煙となって旅立ちました

 火葬場の控室で、皆で食事をとる。

 正直に言っていい? 食欲なんてわかない。

 

 冷めた料理の入った折り詰めを開けて、食べやすそうな果物だけをかじる。

 瑞々しいオレンジ。口の中で爽やかな果汁が広がる。

 それでようやく、自分が喉が渇いていたことに気づいた。そういえば、朝から何も飲んでいなかった気がする。


 ふとみれば、野々宮君も、月楽寺息子も、自分の食事を淡々と食べている。


 そうだよね……。

 毎日のように人の最期を見送る仕事をしているのだから、葬儀のたびに食欲を失ってはいられない。


「食え」

「だって食欲湧かないし……」

「今はまだ緊張しているから元気な気でいるが、後で倒れるぞ。しっかり寝て規則正しく食っておかないと、動けなくなる。精神的にやられるぞ」


 野々宮君に言われて、もう一度折り詰めを見つめる。

 葬式用の折り詰め。

 煮物やおにぎり、さっき食べた果物……。

 

 食べやすそうなのは、煮物かな?

 後から倒れれば、お母さんが心配する。

 倒れる訳にはいかないのだ。


 味なんて正直よく分からないが、モソモソと箸をすすめる。


「ラッキーだよ。すぐに火葬場が予約できたのは」

「え、そうなんですか?」

「そう! この間の葬儀では、何日も待たされてたし」


 箸でこちらを指し示す、およそ僧侶とは思えないお行儀はいかがなものかと思うが、そのミニ情報は興味深い。


「月楽寺さんのおっしゃる通り、最近では火葬場が混雑して地域によっては、何日も待たされるらしい。……まあ、この辺りはまだ大丈夫だが」


 なるほど。人口の密集している地域では、辛いのかもしれない。


「檀家さんの息子さんが急死してね。亡くなった息子さん家の近くでの葬儀に呼ばれてさ。葬儀の日にちを決めるのにまず大変で!!」


 月楽寺でも協力して日程を調整したが、結局、月楽寺息子は、どうしても抜けられないライブがあって、月楽寺父だけが葬儀に向かったのだそうだ。

 親子で大喧嘩して、しばらくギスギスしていたのだそうだ。

 どうやら、月楽寺息子は、今回のお爺ちゃんの葬儀だけでなく、いつでもこの調子らしい。


 食事を何とか終えて、私は火葬場の周囲を一人で散歩する。

 煙突から煙が見える。

 今、お爺ちゃんは天国に渡っている最中だろうか。

 無事にお婆ちゃんと会えたらいいな……。


 そんなことを考えながら、空を見上げてベンチに座る。

 青い青い空。


 そのどこかにお爺ちゃんもお婆ちゃんもいるのだろうか?


「疲れたか?」

「野々宮君……」


 私の様子を気にして見に来てくれたのだろう。

 野々宮君がいつの間にかベンチの前に立っていた。

 手渡されたのは、スポーツ飲料。


「飲んどけ」

「……ありがとう……」


 野々宮君に手渡されたペットボトルは、ひんやり心地よい。


「色々と助けてくれてありがとうね」


 もう一度私は、野々宮君にお礼を言う。

 葬儀社の人だから……ということを超えて、野々宮君は何も分かっていない私を助けてくれた。

 野々宮君がいなければ、私もお母さんも途方に暮れていただろう。


「いいや……なんというか……恩返しだから」

「恩返し?」

「お前は、覚えていないだろうけれど、俺は昔良く揶揄われていたから」


 そうだっけ?

 記憶をたどれば、確かに、そうだった気がする。

 葬儀社の息子ってことで、「死神」とか「お化けの仲間」とか、酷い言葉を投げられていたことは、覚えている。

 野々宮君は、それを黙って静かに無視していた。

 

「その時に、お前だけは、「死なない人はいないでしょ? 大切なお仕事じゃない」。と、言ってくれたんだ」


 昔……野々宮君と同級生の時に、立て続けに父親と祖母が亡くなった。

 悲しすぎて忘れていたけれども、その時に、私は幼いながらも、人の死は、特別なことではないのだと、実感していたのかもしれない。


 明日、大切な人がいなくなる未来に繋がっているかもしれないのだ。


 そのことが辛すぎて、その頃の記憶はとても曖昧。

 だから、今まで忘れていた。


 今回のお爺ちゃんの死で、忘れていた記憶が、薄っすらと蘇る。


「それが、嬉しかったから……まさか、忘れられているとは思わなかったが」


 野々宮君は、苦笑い。


「ごめん……」


 謝る私に、野々宮君が「良いって」と答えた。


 

 

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