第29話 聖女断罪

ユティアは神殿の広い通路を、1人の神官の護衛に護衛されながら、歩いていた。


神官の服装は、体型をすっぽり隠すローブに、目元まで隠れる帽子というもので、ユティアには見分けが付かない。


「それで?私に話を聞きたいという方は、どちらにいらっしゃるんですか?」


ユティアの最近の日常は、礼拝堂でお祈りをしたり図書室で勉強をしたりという代わり映えないものだ。


聖女を偽る以上、勤勉であるべきなので嫌な顔を浮かべた事はないが、正直ユティアは勉強が苦手だ。


その為、個人相談室を半ば強引に作り上げ、困っている人々の話を聞かなければ、という名目の元、よく勉強を抜け出している。


ただ、相談室開設当初はあまりにも人が来すぎた為、現在では1日10人までとしている。


「こちらです」


神官が案内したのは、案内室ではなく神殿の外に停められた馬車だった。


しかも、馬車に施された装飾と家紋は王家を示すものである。


「依頼者はレオン王太子からのものでございます。

なんでも、秘密裏に話がしたい、と私に手紙を渡して来ました」


神官は手紙を取り出す。


紙だけでも高級だと分かるそこには、『城で2人きりで話したい』と書いてある。


(ふぅん、婚約者と2人きりで話したいとか、レオン王子も積極的じゃないの)


前にお見合いの場で話した時は心ここにあらず、といった様子だったが、本当は己の事が気になっていたのだろう、とユティアは推測した。


昔から、人に好かれるタイプだという自覚はある。


いや、人に好かれる為、常に振る舞いには気を付けていた、というべきか。


優踏生過ぎずラフになりすぎず、人間味を見せるのは構わないが黒い部分を見せてはならない。


それこそ、恋愛小説の主人公のように……姉であるティナシアのように……完璧には見えない完璧を、常に作り続けてきたのだ。


だからこそ、自分がレオンに好かれていると、微塵も疑わない。


それは努力に裏打ちされた自信だった。


今日、この時に限りはただの過信に過ぎないなどと、知る由もなかった。




やがて王城に辿り着き、付き添いの神官と共にダンスホールへ通される。


パーティでもあれば何人もの貴族達が言葉を交わす場は、今はただ、その広さだけを誇示している。


そしてホールの真ん中……そこにいたのは、ティナシア・ヒーリンレイスだった。


「っ!?お姉ちゃん!」


いつの間にか部屋から消えていた姉の存在に、ユティアは目を見開く。


(どうやって抜け出したのか分からないけど、王家に匿ってもらってたのね……!)


「ユティア、私、あなたに話があるの」


「っ!お姉ちゃん、もういい加減にして!」


咄嗟に暴言を吐きたい気持ちを抑え、ユティアは聖女の仮面を被って声を上げた。


そばには護衛の神官がいるし、こんな場所で下手な事を叫べば城の関係者に聞かれてしまう可能性もある。


「私、時間を掛けて一生懸命話し合えば、お姉ちゃんだって改心してくれるって思ってた……!

でもお姉ちゃんは全然反省してくれないし……もう、私、辛いよ。

お願いお姉ちゃん、ちゃんと罰を受けよう?

これ以上、お姉ちゃんが罪を重ねるとこ、見たくないよ」


猫を被る妹の姿に、ティナは何を思ったのか


「ユティア……ごめんね?」


「え?」


ユティアは目を見開く。


「私、何度も思った。

もしも私が普通の女の子だったらって。

せめて、才能があったのが、光魔法や回復魔法以外だったならって。

もしかしたら、ユティアと今でも笑い合えてたかもしれないから。

……ユティアを怖がらせて、傷付けるこの力が、私は世界でずっと、嫌いだった」


「お姉ちゃん……何を……?」


「きっと私は聖女なんかじゃないよ。

だって、私には妹1人助ける方法が思い浮かばないの。

あなたを怖がらせない方法が分からなくて、あなたに殴られるのが怖くて……。

あなたに殺されると思うたびに、あなたが死ねば良いのにって思う人間が、聖女なわけない」


「な、何、言ってん……の?

お姉ちゃん……?」


「でも、それでも私はあなたを妹だって思ってる。

怖くて恐ろしくて消えて欲しいと思うけど、愛しくて可愛くて生きて欲しいって思う。

……だから、お願い、ユティア。

正直に、答えて欲しいの。

あなたは、私を6年間支配し続けて、ずっと聖女の座にいた。

そうだよね?」


ユティアは悟った。


これは、罠なのだと。


おそらくユティアには協力者がいるのだ。


濃厚な線だと、ダンジョン攻略でパーティを組んだ連中だろうか。


とにかく、そいつらはこの近くでティナとユティアのやり取りを監視して、ユティアが自白したところを取り押さえるつもりなのだ。


(そんな手には、乗るもんですか)


そして、ユティアは決定的に、間違った選択をする事となる。



「何の事か分からないよ、お姉ちゃん。

変な言いがかりは止めて。自分の罪を他人に押し付けないでよ!」



その時、ティナは悲しげに顔を歪ませた。


泣きそうな、苦しそうな、その表情の意味を、ユティアは知らない。



『あんたに生きられたら、あたしは永遠に偽りの聖女なのよ!』



「えっ……?」


ホールに響く己の声に、ユティアは周囲を見渡す。


ホールの奥の天幕がゆっくりと開き、そこにはステージほどに大きなテレビの画面に、ユティアがティナをベッドに押し倒して暴言を吐き散らかすシーンが映った。


「なっ!?なんで、あの時のやり取りが……!?」


「それは、こっそり撮影してたからだよ」


ステージ脇から、中性的な顔立ちをした少年が現れる。


「ライズ・リーディット……!」


「まさか名前を知って貰えてるなんて思わなかったよ。

初対面のはずなんだけどね。

ちなみに、この映像を撮影したのは私だよ。

ティナを助けるついでにね」


「っ、なんで、お姉ちゃんの事なんか……」


「ティナの事を信じていたからね。

……なんて言えたらカッコいいんだろうけど、実際はこの光景を見るまで、半信半疑だったよ。

聖女様が正しいのか、ティナが正しいのか分からなかった、だから探りを入れた。

ちなみに、この映像は国営で今現在流してるところだから。

君の本性はすでに、国民全体に知れ渡ってるよ」


「っ!?な、なんて事を……!」


ユティアは親の仇でも見るように、ライズを睨んだ。


「君は取り返しの付かない事をした。

本当の聖女を貶め、殺そうとし、あまつさえ自分が聖女を騙った。

本来なら速攻で断頭台に連れて行かれても文句言えないけど、ティナはチャンスをあげた。

ここで、君が罪を認めればこの映像は流れず、偽りの聖女として長生き出来たのにね」


この場にいるのは数人ぽっちの人間だけ。


それでも、ユティアには幻聴が聞こえた。


国中の人々の声、それが己を責め立てている、そう思えた。


己を支えていた継ぎ接ぎだらけの土台が、大きく音を立てて崩れていくように感じた。


「はぁ、こんな悪女と婚約していたとはね。

僕も、女性を見る目を養わないとね」


「レオン様……!」


ライズの後ろから、レオンが天を仰ぎながら現れる。


その表情には落胆の色。


「偽りの聖女……ましてや、身内を貶めあやめようなどとする女、僕の妻には相応しくない。

ユティア・ヒーリンレイス、今この時をもって、君との婚約は解消だ」



終わった。



ふと、ユティアの脳裏にそんな言葉が浮かんだ。


(あぁ、結局、あたしは偽りなんだ……お姉ちゃんの踏み台になるしかない……聖女を輝かせる為の悪役令嬢でしかなかったんだ……)


「あ、あはは……ははは……」


「ユティア……?」


突如笑い出すユティアに、ティナは近付こうとして


「近付くな!」 


ユティアは叫んだ。


そこに、聖女として愛されたかつての彼女はいなかった。


「そうよあたしは偽物よ!お姉ちゃんを蹴落としてその台座に座ってただけよ!

だって、そうしなきゃ捨てられるもの!

お父様もお母様も、劣った子供には見向きもしないんだもの!

あたしが捨てられない為には、お姉ちゃんが邪魔だったのよぉ!」


そして、一度蹴落としてしまえば、それから先、元に戻る事は出来なかった。


もしも禁術でティナを操っていたと知られれば?

もしもティナの方が自分より才能があると知られれば?

もしもティナに日常的に暴行を加えている事が知られたら?


偽りの聖女の座はユティアに多くの恩恵を与えたものの、それは呪縛にもなった。


失いたくなかった。


真実が知られてしまえば、殺されてしまうから。


崇拝や尊敬は、憎悪と軽蔑に変わるから。


そして今、ユティアが恐れていた事は現実となっている。


散々罪を重ねてまで守り抜いた偽りの聖女の座は粉々に砕けたのだ。


「もう、おしまいよ、何もかも……!

あぁ、あたしは死ぬのね、罵詈雑言をぶつけられて、石を投げられて、路傍ろぼうにゴミのように捨てられる……!

どうせ死ぬなら……!」


ユティアは、ローブの中に隠していた儀礼用ナイフを取り出すと、自分の腕を貫いた。


「ユティア!?何を!?」


「我が血を糧に、怨敵を喰らえ……!

ナイトメア!」


ユティアの血を軸に、どす黒い魔力が吹き荒れた。


魔力と血液は混ざり合い、黒く禍々しい巨大なゴーストの姿となる。


「どうせ滅びるなら……いっそ、全員揃って滅びれば良いのよぉ!」


偽りの聖女の叫びと共に、ナイトメアは声なき声を上げた。

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