第46話 初代と人生(all Girls lead to the?)
オーケストラの前日。夜になれば、馬鹿みたいな暑さも少しは和らぐ。それどころか、久々に冷えた風も網戸越しに流れてくる。
冬弥がここに来てからというもの、ずっと『馬鹿』をやってきた気がする。来た頃にはまだ道路の脇に雪が残っていたと言うのに、いつの間にか桜は咲いていたし、頭が茹でるような暑さの夏が来た。そして今、ゆっくりと風が吹いている。
「オーケストラ、か……」
ただプロの演奏を聴きに行くだけなのに(自分たちは受け身であるのに)何故か少し体が強ばる気がした。身構えるというか。何故かは分からない。
「俺みたいな若造にはちょっと早いような気もするが……」
「そんなことは……ありません」
「初代!?」
ベッドの上でぼーっとしていた冬弥は目をかっぴらくと、後ずさりしながら扉の方に立つ初代を見つめた。
「どうしてここに!?」
「失礼しました……先程、灯織様に漫画をお借りになったのですが……せめて貴方様に挨拶を、と思いましたので……」
初代は真夏でも、相変わらず和服に身を包んでいる。それはそうだ。むしろ、洋服を着ている方が違和感があるというものだ。桃色の髪と口元のホクロは、全て和服のためにあるのかもしれなかった。
「明日、オーケストラに行くと聞きましたが……」
「そうだな。三日後には花火もあるし、イベントが目白押しだ」
「ふふ……和洋折衷……」
「WAON set on you?」
「初代は英語が苦手です……」
「Hatuyo is very English ニガテ」
「貴方様……文法がボロボロでございます」
「文法がなんだ。法則なんて壊せ──」
「ちょっと。初代ちゃんにゴミみたいなダル絡みしないで」
「ゴミ!?」
ボケ続けていた冬弥を天から突き落とす、無慈悲な言葉を投げる者がいた。灯織である。
「灯織様。失礼でございます」
「そうだぞ! 人に向かってゴミなんて……」
「ゴミに失礼でございます」
「誇張なしで泣きそうだ」
冬弥は基本的に舐められているのであった。
「冗談です……実は……オーケストラに行ったことがありまして。何かお聞きしたいことがあれば……ぜひ」
「へぇ、そうなのか!」
「良かったら、マナーとか教えて欲しいかも」
「いいえ……灯織様の持ち合わせている常識があれば大丈夫でございます……服装も普段着で……あと」
初代はそこで言葉を切ると、続けた。
「貴方様が失礼な言動を慎めば……」
「それくらいの常識は持ち合わせてるわよ!?」
「なんでエマちゃん風に言ったの……」
「間違った。私語はきちんと慎むべきでございます……」
「今度は初代ちゃん風に……死ねば?」
「ド直球の暴言!?」
「まぁまぁ……あと、オーケストラの楽しみ方ですが……ひと時の喜びが、連続していくような──そんな演奏であったと記憶しています」
「良いね。バスで10分もすれば、ホールには着くんだっけ?」
「はい。最高の楽章を、肌で感じていただければと思います」
「初代ちゃん、本当に言語化が上手だね」
「左様でございます……」
「本当、その通りだ」
「うんうん。冬弥にも後で分かりやすく説明しておくね」
「待て。分からなかったなんて言ってない。断じて、言ってない」
灯織には当然、信用されていない冬弥であった。
「兎にも角にも……オーケストラ、楽しんできてください……」
初代は失礼します、と言うとそのまま部屋を出ていった。灯織が横に並ぶようについて行く。冬弥は焦って、その後ろを追いかけた。いかん。礼を言わないと。
「は、初代! 色々教えてくれてありがとな!」
「いえ……礼には及びません」
初代は廊下の途中で振り向くと、冬弥の方に向き直って言った。
「オーケストラの感想、教えてください……花火大会の時にでも」
「も、もちろんだ!」
ふふ、と微笑んでから初代は灯織と共に玄関の方へと歩いて行った。
最近は灯織といい初代といい、なんだか何気ないはずの言葉が意味深に聞こえる時がある。自分が他人に興味を持った証拠であろうか。もしそうなら、喜び以外の何物でもない。
*
人生の旅路の途中でございます。
夜道、ひとりで歩きます。
灯織様から、少女漫画を借りました。
貴方様に、ご挨拶をさせて頂きました。
これで良いのです。初代は灯織様の邪魔をする訳にはいかないのです。和服はいいものです。自分の気持ちをそっとしまって置けますから。着付けは大変ですが、無駄な自我を、縛っておけるのですから。和服はいいものです。
人生は、いいものです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます