第45話 エマの決心と、ナギの過去
一方その頃、生徒会室。書類やら何やらが散乱した机と微妙に狭い空間の中で、エマはゆっくりと息を吐いた。夏季休業期間でも生徒会には残り仕事があった。各申請書の整理や、体育祭の計画。
「まったく、なんで夏休みなのに学校に来てるのかしら……」
「待って。説明をくれないか」
エマの目の前に座っている高身長メガネ、青木薫はジャージのまま問うた。
「説明?」
「うん。部活終わりにここに呼び出されて恐怖心でいっぱいの僕に説明をくれないか」
「あぁ、そゆこと。察してくれてるのかと思ったわよ」
「すまない。そんな熟年夫婦のようなシンパシーは持ち合わせてないんだ」
「わかったわよ。実は生徒会なんて全く関係なくて、これはワタシのお願い」
エマはいつになく真剣な顔でそう言うと、天井を見上げて言った。
「トウヤを手に入れる。その協力を薫くんにして欲しい」
薫は固まった。想像以上に直球で、難しい提案だったからだ。
すぐに断ろうとしたものの、エマの真剣な目を見てしまってはなかなか言うことが出来なかった。
「──友人を売ることなんて」
「わかってる。わかってるわよ」
エマは書類をとんと整えると、端に追いやった。
「けど、こっちもなりふり構っていられないのよ」
金髪ギャル────三条亜季とのやり取りの中で、彼女の覚悟は決まった。
『やり方が間違っていても、ズレていたとしても、ちゃんと向き合うことをやめてはいけない』
自分から出た言葉ではあるが、本当に驚いた。自分の闘志は、想像以上に厄介でしつこい煙と、なかなか消えることの無い灯火でできていたことに気付かされた。
「と言っても、何を協力すればいいんだい。僕にできることなんてたかが知れているけど」
「簡単なこと。もうちょっとで花火大会があるじゃない。」
「あるね」
「おそらくこの前の海とおなじメンバーで行くと思うのだけど、トウヤに聞いてちょうだい。『結局、誰が好きなの』って」
エマはそう言うと、立ち上がった。腕組みをした。
「ワタシが聞くんじゃ意味ないの。アナタが聞いてちょうだい。もし迷っているようなら、教えて。告白するわ。ウルトラガチの」
「ウルトラガチの」
薫は反芻した。二階堂エマは灯織の影に隠れがちだが、欧州美少女然とした美貌の持ち主である。冬弥よりももっと顔のいい男も、性格のいい男もきっと世の中には沢山転がっているはずである。
しかし、彼女はそれでも冬弥を手に入れたいと願った。いつも余裕のある表情が強ばっているくらいには、その気持ちは『ウルトラガチ』なのだろう。
「了解した。モテる男は嫌いだよ」
自分にはあまり縁がなかったが、ひょっとしたら恋というものは想像以上に良いものなのかもしれない。一端でもいいから、触れてみる。
*
「これで良かったのかしら……」
帰り道。エマは薫と別れたあと、住宅街を一人で歩いていた。風やら葉っぱやら、意識せずともダラダラ流れてくる汗やら。やはり季節は真夏なのだと、感じざるを得ない。
「薫くん、ケロッとしてたわね……さすがテニス部……」
運動部の凄さを実感しつつ、エマは見慣れた道を歩いた。
「……ヤバい。暑すぎる」
第一ボタンを開けても、スカートを短くしても、耐えられそうにない。
エマは覚悟を決めて、進行方向を変えた。
「アイス!! アイスだわ!!」
大声でそんなことを発してから、近所のコンビニに到着。オレンジ色の北海道限定コンビニは、レジ袋が無料である。エマにとっては、そんなことはどうでもいいのだが。
「涼しい〜……」
エアコンで冷えた店内で生を実感しつつ、店員にアイスを突き出した。
「袋はご利用に」
「大丈夫です!! あそこで食べるから!!」
店員がありがとうございましたー、と言い終わる前にエマは店外のゴミ箱に外袋を捨て、チョコ味のアイスバーをひとかじりした。
「美味しい……♡」
甘い物とは生きる意味そのものである。たまに欲しくなる。終わってしばらくしたらまた欲しくなる。
「アイスショーケースの中全部買い占めても良かったわね……」
とんでもない独り言を発した。すると、エマの碧眼が視界の端に人間を捉える。
「あれ……灯織のお姉ちゃんだ」
喫茶店『ワカミヤ』の美人店主こと若宮ナギが、灰皿の近くでタバコを吸っていたのだ。その姿はいつもの明るい雰囲気とは異なり、どこか儚げだった。
そういえば、彼女は喫煙者だった──イマイチイメージと結びつかないが。
「ナギさん、こんにちは!」
「……!? ちょ、ちょっとごめん! タバコ臭いでしょ、離れて!」
「風向き的に大丈夫ですけど──奇遇ですね。こんなところで」
エマはそう言うと、最後の一口を頂いた。もうアイスは無くなったのかと、寂しい気持ちになる。
「それならいいんだけど」
「ええ。暑すぎて、そんなこともどうでもよく──」
「タバコはね。体に悪いよ」
ナギは被せるようにそう呟いた。
「でもね、私の好きな人がやっていたから、辞められないんだ」
「好きな人──それって、元カレってことですか?」
エマの問いかけにはっきり答えることはせず、ナギは吸殻を灰皿の中に入れる。そして、カバンの中からミンティアを取り出して、そのまま口の中に放り込んだ。
「ううん。そうとも言うんだけど……亡くなったんだよね。私の彼氏」
「────!」
エマはその時、想像してしまった。愛する人を失う絶望。やるせなさ。
心の、痛み。
「ごめんね、暗い話をして……冬弥くんも知らないくらいなんだけど」
「そ、そう……なんですね」
「うん。あの喫茶店は元々彼氏と一緒にやろうとしてたからね。けど、車の運転中に事故に巻き込まれちゃって。横からトラックが突っ込んできたんだって──もうそんなの、どうにもできないよね」
現実って予測困難、と言ってナギは無理やりに笑った。
「なんて、理不尽────」
「本気で死のうかと思ったよ……でも、大切なものって増えてくから。死んだら全部パーになっちゃうでしょ。その大切なものを大切にするために、今を生きてるんだよ。このタバコは、一種のルーティンって言うかな。私なりの、お参りなんだよ──って、暑いのに長話をしてごめんね。将来、多弁なおばさんになっちゃうかもなぁ」
「いいえ……一気に涼しくなりました」
「あはは。脅したかったわけじゃないのよ。ただ、そうね……これはいつか、エマちゃんに言っておこうと思ってたんだけどさ」
ナギは彼女に向かって歩みを進めると、そのまますれ違いざまに肩に手を置いた。
「後悔のないようにね」
「!」
そのままスタスタと、ナギはどこかに歩いていった。エマは振り返ることもせず、ただその言葉を反芻していた。
「…………夏が来たってことかしら」
七年前から閉ざしていた心が、再び動き出す。
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