第44話 その日まで、カウントダウン

「暑い…………」


 夏休み真っ只中。リビングのソファに座っていた灯織は扇風機だけでは飽き足らず、うちわを仰いでいた。薄地のTシャツにショートパンツと、夏らしい格好をしている。


 ちなみに本日、喫茶店は定休日。日曜日はあまりにも人が来ないので、いっそ休みにしてしまおうということで定休日になったのである。


「冬弥は暑くないの…………」

「いや暑いぞ。北海道だからギリ耐えられてるだけだ──ったく、この家はなんでエアコンがないんだよ! 新しいくせに!」


 冬弥は喚く。東京にいた頃に通っていた高校のジャージ姿(紺色のTシャツ短パン)で、首からタオルを提げながら。


「うるさい。北海道はエアコンのない家も多いの」

「マジか……高校の教室にはあるのに」

「私立だからね」

「公立のやつまじで草」

「嫌な人……」


 灯織は無表情でそうツッコむと、冷凍庫へと向かった。


「ほんとに暑い。休みだからいいけど、部活の時にこれくらい暑かったらヤバいかも……」


 灯織はブツブツと独り言を呟きながら、アイスを取り出す。ソーダ味のゴリゴリ君。王道である。


「美味そうだな。それ」

「あ、うん。知らなかった?」

「さすがにゴリゴリくんくらいわかるぞ」

「違う違う。冷凍庫にアイスあるの」

「あぁ、そゆことか。知らなかった。俺も貰っていいか?」

「もちろん。もうすぐお姉ちゃん帰ってくるから、お姉ちゃんの分は取っておいてね」


 OK、と呟いてから冬弥もまた冷凍庫からアイスを取り出す。ソファに座る。食べる。最高である。


「そういえば、ナギさんはどこに行って────」

「たっだいまー!!」

「!?」


 ナギは勢いよくリビングの扉を開けると、ダラダラしている灯織と冬弥にあるものを投げつけた。


「暑さにだらけている二人に、超スペシャルプレゼントだよ〜!」

「え……?」


 冬弥は投げつけられたものを凝視する。


 うむ。どこからどう見てもタバコの箱だ。


「喫煙ハラスメント……!?」

「間違えたー!! それ返して!!」

「よくゴミ袋に入ってる箱だ……」


 セブンスターのボックスであった。静かに吸いに行くため気づかれにくいが、ナギは喫煙者である。その割には肌が綺麗すぎるが。


「これこれ! これが渡したかったの!」

「まったく──お酒は二十歳になってからですよ?」

「啓蒙CMみたいなやり取りやめて。あとお酒じゃなくてタバコね」

「タバコって十八歳からだったっけか?」

「二十歳だよ! ごめんややこしい言い方で!」

「タバコ・飲酒ができる基準を精神年齢で計ることにしないか?」

「何その斬新な法律! 若くしてタバコ吸ってる人ほど精神年齢低いのに!」

「急に毒吐いたな。これはツイッターが荒れるぞ〜」

「あの……」


 灯織と冬弥は思わずナギの方を見た。彼女はずっと二人に向けて、一枚ずつ紙券のようなものをヒラヒラとたなびかせている。


「興味無いかもしれないけど……受け取ってくれると嬉しいなぁ……!」

「ごごごごめんなさい!! 灯織のせいで!」

「冬弥のせいで気づかなくてごめん!」

「責任転嫁が早い」


 ナギはため息をつくと、手持ち扇風機で首元を冷ましながら言った。


「これ、オーケストラの入場券。取引先の人からもらったんだ。若者の私たちはあまり興味無いかもだけど、一度見たら絶対に感動するっておっさんが言ってたよ」

「おっさん……ていうか、折角貰ったんだからお姉ちゃんが行けばよくない?」

「そうですよ。他に行く人がいなければ一枚はメルカリで売ればいいし」

「貰い物になんてことするの」


 そんなの野暮だよ、と言ってナギは笑った。


「私が観に行くよりも、二人が観に行った方がいいに決まってる。オーケストラは、花火の三日前。?」


 意味深な言葉だった。冬弥は首を傾げる。


「来年のカウントダウンをもう早速開始するってことですか?」

「違う違う違う」

「『来年への準備なんて、早すぎるくらいがちょうどいいんだよ☆』って」

「キミには私がどんなふうに見えてるの」


 まぁとにかく、と言ってナギは強引に話を前に進める。


「灯織も学校祭で演者の気持ちが分かったんだし、ちょうどいいんじゃない。オーケストラ」

「……何だかこじつけのような気もするけど、分かった。お姉ちゃんがそこまで言うなら」


 灯織はチケットを受け取ると、ポケットにしまった。なんだかんだ姉になにか勧められると断れないのが灯織である。少女漫画もギターも元はと言えばナギの趣味なのだ。


「よしよし。冬弥くんは?」

「へ!? 正直、灯織のギターの方が聴きたいっす」

「待って、冬弥。嬉しいけどそれは今言うべきことじゃない。嬉しいけど」

「まぁそう言わずさ。これは取引先の人の受け売りなんだけどね。『楽章やら編成やら、難しいことは考えなくていいよ。ただ肌で感じるだけでいいんだ。きっと何かが変わるよ』──って」


 ナギは染み入るようにそう述べた。見知らぬおっさんの言葉が、灯織の胸に突き刺さる。


 『何かが変わる』──何かを好きな自分を、冬弥が肯定してくれた時。一緒に学祭の買い出しに行った時。ライブの後、ゴミ捨て場で偶然会った時。


 大切なキーワードだ。自分は、『何かが変わって』今に至るのだ。


「へぇ。でも、ありがと。こういう事がないと、オーケストラなんてなかなか行く機会がないと思うし。ね、冬弥」

「ん? あぁ……」


 およそ趣味と呼べるものを持たない人間にはそこまで魅力的なイベントに思えないのか、曖昧な返答をする冬弥。灯織は口元を緩めると、立ち上がり、冬弥の前に出て言った。


「行こうよ、冬弥。わたしも、まだちゃんと言葉にできてないから」

「……? お、おう」


 わかった、と言ってから冬弥は食べ終えたアイスの棒をゴミ箱に投げた。


 外した。冬弥は慌てて拾いに行く。


「さすが、灯織は私の妹だね」

「な、なにが?」


 ナギは灯織の肩に手を置くと、囁くように言った。


「考えてることが、まるで一緒」

「……! カウントダウンとか言うからでしょ」


 姉のからかいに、灯織は口を尖らせた。


 ──オーケストラを観に行こう。それが、ファイナルの楽章になるかもしれない。

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