第43話 夏が来た、って言ってる喫茶店

「ありがとうございます〜、お会計が○○円になります!」


 日常、たまに訪れる非日常。その繰り返しで人生はできている。


『水澄くんに夏が来たって感じ』


 倒れている最中でも、確かにその声は聞こえた。中学校、高校と同級生だった三条亜季の言葉だ。派手めな見た目と引き換えに、際立つ小洒落た言い回し。


 けれども、『春』じゃなかった。自分に来たのは、夏なのだという。


「なんで春じゃなくて夏なの?」

「それあたしに聞く?」


 よく分からないので、冬弥は直接亜季に聞くことにしたのである。


 三条亜季。東京都出身、高校二年生。現在、札幌の喫茶店『ワカミヤ』にお邪魔している。


「水澄くんったら、真面目に働いてるのかと見せかけてそんなこと考えてたんだ〜。」

「馬鹿言え。俺は先からずっとそのことしか考えてなかったぞ。亜季も明日には帰っちまうしな」


 冬弥はそう言うと、カウンターに腰かけた。


「え? いいの?」

「おう。今日は例によって休日だから、客が居ないんだ」

「普通は休日に増えるものじゃないの……?」

「気にするな。追及しても意味無いことだってある」

「臭いものに蓋をしたね」


 三乗亜希は見た目に反して文学的な言い回しをする。それもそのはず、国語に限って言えば、亜季は学年240人中2位。どんなに調子の悪い時でも、二桁にはくだらない実力を持っているのだ。もっとも、国語の学力と文学的素養はまた別の話なのだが。


 ちなみに冬弥は240人中236位であった。そのうち四人は欠席。つまり、実質最下位である。


「俺の頭は悪い」

「……! どうしたの、急に……まぁつまり、『夏が来た』って言葉の意味を知りたいってことだよね、水澄くん」

「端的に言えばそうだな。より詳しく言うと、『夏が来た』って言葉の意味を知りたいってことだ」

「読書感想文で字数稼ぎでもしてるの?」


 オウム返しの冬弥を尻目に、亜季はコーヒーに口をつける。美味しい。


 全身にしみ渡る。冷たい街にはない温かさだ。


「そもそも、意味なんて自分で考えるから面白いんじゃないの?」

「コミュニケーションは相手に伝わらなきゃ意味ないんだぞ」

「すごく実践的! 社会出てから強いタイプじゃん!」

「なんだか楽しそうね……」


 どこか自信に満ちた、天真爛漫娘の声が聞こえた。亜季よりも早く、冬弥は顔を上げる。


「エマちゃん!」

「エマか。男同士の団欒を邪魔しないでくれ」

「片方があまりにもギャルすぎて脳がバグるのだけれど……」

「実はあたし、明日で帰っちゃうんだよね」


 亜季はそう言うと、エマの方を向いて言った。


「だから、今のうちに沢山話そっ」

「あー……使ってる香水とメイク用品全部教えてくれたら帰っていいわよ」

「えっ?」

「クズかな?」

「だって……亜季ちゃん……可愛すぎるもの!!」


 エマはそう言うと、亜季の下半身に指を差した。


「ち○ち○が付いてるとは到底思えない……!」

「ちゃんと言うな!! せめて隠語使え隠語!」

「カレーソーセージが付いてるとは到底思えないのよ!」

「え? 亜季のち○ちんってカレー味なの?」

「ばか!! 水澄くんも言ってる!!」


 喫茶店なのにめちゃくちゃ汚い話をする三人であった。


「まぁ、気を取り直して……聞いていたわよ。『夏が来た』──その意味をトウヤが知りたいってね」

「盗み聞きとは趣味と性格、頭が悪いな」

「多いわね!!」

「頭の悪さに関しては水澄くんの左に出る者はいないと思うけど……」

「はいはーい!! ここでひとつ、俺の仮説いいすか!!」


 冬弥が無理やり話を前に持っていこうとした。


「なに?」

「亜季の言葉が意味するものとは、ズバリ──下ネタのことではないか?」

「ちょっと待ちなさい」

「頭でも打ったの?」

「待て。春では堪能できないものがあるだろう。──水着だ」

「そんな決めたように言われても……たしかに、4、5人で海に行ったわね。現地で初代と合流したけど」


 エマがフォローする。同調してくれたと勘違いしたのか、冬弥は指をバチンと鳴らした。


「どうだ!! 亜季!!」

「何を言ってるの?」

「トウヤ、これが現実よ。先からアンタ、何言ってるか全然分からないわ」

「クソ……結局夏ってどういう意味なんだ。俺に文学的な言い回しを多用しないでくれ……たのむ」


 冬弥は絶望すると、机にうつ伏せになった。亜季はため息を着くと、「ねぇ」と呟く。


「何も変わってないよね。水澄くん。うん、やっぱり、水澄くんは何も分かってくれない」

「……!」


 エマが先に危険を察知した。こいつ──何かをやってくる。間違いない。


「トウヤ────」


 しかしエマが名前を呼び終える前に、亜季は動いた。冬弥の肩をポンポンと叩く。冬弥が顔を上げた瞬間、亜季は思い切りスカートを上にたくし上げたのである。


「おっ…………!?」

「あたしに会えたんだから。超可愛い、あたしに会えたんだから──少しは好きになってくれてもいいでしょ」


 恥ずかしそうに、けれども亜季はパンツを見せることを辞めない。


「可愛くなった。急にいなくなっても、わざわざ駆けつけた──ここまでして何も無いなら、じゃあどうしたら好きになってくれるの。教えてよ──ねぇ」


 冬弥は驚きと混乱で、言葉が出てこなかった。そして、恥ずかしながらスカートをたくしあげる亜季の様を見て、少し魅力的に思ってしまった自分がいた。相変わらず醜い生き物だ。


「ちょ、ちょっと落ち着きなさいよ! ここお店よ!?」

「関係ない!! これはあたしと水澄くんの問題!」

「投げやりな恋に未来なんてないわよ!!」


 ピタリ。亜季が今すぐ泣きそうな声で糾弾すると、エマがそれを上回る声で制した。


「確かにあんたの情熱はわかった。性別なんて関係ない、それもわかる。けど……間違っていても、どこかボタンがかけ違えていたとしても!! しっかり向き合うことを止めたら、それで終わりになっちゃうのよ!!」


 エマはそう言ってから、すぐに亜季のスカートを下ろした。亜季はゆっくりと俯く。


「ごめん、なさい────」


 亜季の目から、涙が落ちる。今にでも崩れ落ちてしまいそうな身体を、亜季の震える肩を、エマは後ろからゆっくりと抱き締めた。


「あんた、優しすぎるのよ。──ことを、認めてた。わかるわよ。様子を見れば、男子が誰好きかなんてだいたいわかってしまうものね。」


 亜季は目を見開いたまま、動くことが出来なかった。もちろん、それを見ていた冬弥も。


「エマ、ちゃん────」

「ふふん。でも自信持って。亜季ちゃんは本当に可愛いわよ。今回は、たまたまワタシの後塵を拝してしまったけれど」




「「え?」」


 二人の声が同時に重なる。ちょっと待てよ、と。


「水澄くん、エマさんのこと好きなの?」

「いいや。恋愛的には……」

「トウヤ!?」

「むしろどこをどう見てそう思ったんだよ」


 冬弥はため息をつくと、コーヒーに一口つけてから、亜季の方に向き直った。


「亜季。お前の気持ちはわかった。不運にも俺を好きになってしまったようだが、実の所俺も気持ちの整理が付いていない」

「ってことは──」

「そうだ」


 冬弥はそう言うと、空を見上げた。


「意味が分からない。可愛いのにチンコが付いている」

「「ちゃんと言うな!!」」


 即座にツッコまれた。


「冗談だ。しかし、もし俺と付き合いたいとかそう言う気持ちを持っているなら──すまん、答えられない」

「!」


 亜季は思わず肩を落とす。まだ、信じられないと言った顔で。


「あらあら、やっぱりワタシになびいたかしら?」

「黙れ。悪いが、俺は俺で自分の気持ちがよくわかっていないからな。詳しくは断言できないんだが、そうだな──亜季には本当に感謝してる」

「へ?」

「東京から単身、俺を心配して来てくれただろ。本当にすげぇよ。簡単に出来ることじゃないし、俺は本当に良い友達を持ったと思ってる。──出会いに恵まれているよな。小学校でエマに出会えた。中学校、高校は亜季に。そして親に夜逃げされてもなお、手を差し伸べてくれる人がいる。これを恵まれていると言わずして何になる。遠方の地からわざわざ駆けつけてくれる友人がいる。これを恵まれてると言わずして何になる」


 冬弥はそう言うと、小さくその場に佇む亜季の身体を抱きしめた。


「!」

「心配ありがとよ、亜季。──けど、もう大丈夫だ。俺には仲間がいる。いざと言う時にはお前にも頼れる、そんな強さを身につけたよ」


 喫茶店に、小さな風が吹きつけた。窓から入ってきたそよ風だ。それが葉っぱを運んできた。ゆったりと揺られながら、机に落ちる。目を疑うほどに緑だ。それに扇風機じゃ効かないほど、体が火照ってる。


 けれども男同士が抱きしめ合っているというのに、むさ苦しくないのは何故だろう。それどころか、コーヒー豆の匂いが香ってくる。エマと、亜季が付けている香水の匂いもほのかに。風が頬を叩いて、喫茶店が頭の中の扉を叩いている。


 たしかに、こりゃ夏だな。冬弥は小さく笑った。その顔は、誰も見ていなかったけれど。


《序章 終》







 次回──最終章。『花火大会』突入。

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