第32話 ナギお姉さんの言う通り
この日、薫は部活や勉強でなかなか喫茶店に行く機会がなかったので、ナギとは初の顔合わせだった。という前提を押さえてもらいたい。
「…………」
薫は潮風を浴びながら、キャンピング用の椅子を組み立てていた。夏の陽射しを感じながら、汗をかくというのも存外悪いものではない。
だが──正直それどころではない!
「薫くん? そんなに目線逸らしてどうしたの〜?」
水色のビキニを付けているナギは、薫の目の前にひょこっと現れた。胸はすごく大きいし、脚も長く、程よい肉感があって──女性としての魅力に富みすぎている。
「……いえ。なんでもないですよ」
薫はひたすらに目を背けていた。それは必ず負けてはならない、己との戦いであった。
──時は少し前に遡る。
「薫くん、一緒にパラソル立てに行こっか! まずは私で目を慣らさないとね〜?」
というナギの言葉により、薫は彼女と一緒にパラソルや椅子などの設営をしていた。唯一まともに話せる友人と見事に切り離され、薫は初対面の年上美人との行動を余儀なくされていたのだ。
「…………」
だが、薫は意外にも平静を保っていた。というのも、ナギには以前から聞きたいと思っていたことがあったからだ。
「あの、若宮さんのお姉さん──でしたっけ」
薫はキャンプ用の椅子を組み立てながら、彼女に声をかける。
「ん?」
「────ッ!」
ナギがこちらを向いた瞬間、薫は思わず目を背けた。彼女のえちえちボディが視界に飛び込んできたからだ。
「どうかしたの?」
「い、いえ!! な……なんでもないです!」
薫は慌てて視線を外す。ナギは水色のビキニで肌を多く晒しており、大人の女性の風格を漂わせていた。エマや灯織よりも身長は低いはずなのに、足が長いからかすごく大きく見える。超エロい。
「それで、何かな?」
「あっ、はい。冬弥のことなんですけど……」
「冬弥くん?」
ナギはキョトンとした表情を浮かべた。
「はい。彼は、その……敢えて誤解を恐れずに言えば、ご両親に捨てられた身ですよね。それで、借金を肩代わりしてもらう見返りに喫茶店の手伝いをしていると……」
薫がそんな話をするものだから、ナギの表情も真剣になっていく。
「あっ、申し訳ありません! こんな場所で……」
「大丈夫だよ。それで?」
「すみません。ええと、僕にはそれがどうしても信じられなくて……」
薫は少し迷った後に、思い切って疑問をぶつけることにした。
「……家に彼が来ると知った時、お姉さんはどう思いましたか?」
「どう思ったか……うーん」
ナギは顎に手を当てて考え込む。そして、しばらく経ってから口を開いた。
「正直、あんまり良い気持ちはしなかったかな」
「……そうですか」
やはり、と薫は思う。やはり父の知り合いの息子と言っても自分たちにとっては他人なわけで。
それを家に抱えるというのは、あまり好ましいものでは無いのだろう。
「うん。でもね、私は冬弥くんが家に来てくれて本当に良かったと思ってる」
「……? どうしてでしょうか?」
薫が疑問を呈すると、ナギは小さく笑みを浮かべて言った。
「最初に会った時にね。すぐに思ったの。この子はホントに良い子だなって。挨拶もちゃんとするし、謙虚だし──彼にとって、私の家が彼の居場所になればいいなって思ったの」
「居場所、ですか?」
「そっ。家族以上の、居場所ってやつ」
ナギは優しく微笑む。それは、いつも彼女が見せる悪戯っぽい笑顔ではなく、心の底から溢れ出るような温かい笑顔だった。
「それにしても、両親に借金を押し付けられるなんて、漫画みたいな話だよね〜。冬弥くん、学校で笑い話にしてたんだって?」
「あ、はい。そういえば、転校初日にはもうネタにしていたな……」
薫がそう言うと、ナギは呆れたようにため息をついた。
「ほんと、強い子だよね。やっぱ環境がそうさせたのかなぁ」
「たしかに、その可能性は高いですね。物怖じしないし、人見知りしないし……自分と比べちゃって嫌になりますよ」
薫は自虐気味に呟いた。それを見て、ナギはそんなことないよ、と言って肩をポンと叩いた。彼の体がビクッと揺れる。
「最初は結構、冬弥くんも遠慮がちだったんだから」
「そ、そうなんですか? それは意外ですね」
「うん。要は慣れが必要ってコト」
ナギはそう言うと、薫に近づいてから耳元で囁く。
「薫くんも、私と『慣れて』みない?」
「──へっ!? え、ええ!?」
薫の顔がみるみると赤くなる。それを見て、彼女は口角を上げた。
「冗談だよ〜。いやぁ、君とか冬弥くんみたいな子はついからかいたくなるのよね〜!」
ナギはそう言って豪快に笑う。薫は顔を真っ赤にして叫んだ。
「そ、そういうのは冬弥だけにしてください! 男子高校生の心をいたずらに弄ぶのは良くないですよ!」
「あはは、ごめんごめん。でも、本当にいいの?」
「あぁ──こんなにも空が青い──」
「ちょっとちょっと、こっち見てよ〜!」
これ以降、薫はナギに視線を合わせないことにしていた。それでもまだ頬が熱いのは海辺で太陽の光を浴びているからだろうか。今は、そういうことにする。
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