第31話 海だ! 胸だ! 胸だ! 胸だ!

 冬弥たちは朝早くから集合し、車で海水浴場へと向かっていた。運転はナギで、助手席には灯織、後ろには薫、冬弥、エマがそれぞれ座っている。


「ちょっと! アンタのせいで狭いんだけど!」

「しょうがないだろ! 文句なら薫に言え!!」

「なんで僕!?」


 後部座席では、冬弥とエマを中心としたバトルが繰り広げられていた。というのも、三人で座ると必然的に身が狭まってしまうのだ。


「青木くんのせいにするなんて最低ね。だいたい、乙女に気を遣うとか出来ないわけ?」

「乙女……? そんなのどこにいる?」

「いるでしょうが!! あんたのすぐ隣に!」


 エマは冬弥の頬を引っ張った。まるで兄妹喧嘩である。


「ほら二人とも喧嘩しないの〜。仲良くしないとダメだよ〜?」


 ナギはハンドルを握りながら、笑ってそう言った。ちなみに灯織はというと、一人窓の外を眺めて黄昏れている。


「……普通、こういう喧嘩って男同士でするもんじゃないのかい?」

「薫なんて喧嘩のしがいが無いからなぁ」

「わかる」

「喧嘩する価値無し!?」

「そんな価値要らないでしょ……」


 灯織が思わずツッコむ。そうこうしているうちに、車は沿岸沿いの道路に差しかかる。ナギの運転技術もあってか、スムーズに進んでいた。


「あれ見て! めっちゃ綺麗じゃない!?」


 ふと、エマが声を上げた。彼女が指差す方を見ると、青々と海が広がっていた。空も澄み渡っており、雲一つ無い。絶好の海日和だと言えよう。


「すごいな。きれいな海だ」

「早く入りたいわね!」

「もうすぐで着くから〜。楽しみに待ってて!」


 ナギはそう言うと、そのままアクセルを踏み込む。スピードが上がり、車が大きく揺れた。


 ☆


「わぁ……! すごい綺麗……!」


 車を下りるなり、エマが一足先に歓声を上げた。目の前に広がるのは、青々と広がる海と砂浜であった。波打ち際からは白い泡が立ち上っており、いかにも夏らしい光景である。


「なんと──素晴らしい眺めじゃないか……!」

「あぁ。心が洗われるというかな」


 薫も冬弥もまた、海の素晴らしさに感銘を受けていた。一方、灯織は一歩引いたところで、一眼レフカメラを構えている。


「…………いい景色」


 灯織はそう呟くと、片目を閉じてシャッターを切った。仲間の後ろ姿と、最高の海、砂浜。それらを一枚の写真に収めて、灯織は夏をしたためる。


「じゃあ、早速着替えよっか!」


 ナギは車のトランクを開ける。その中には、みんなの荷物が入っていた。


「着替えたらここに集まってね!」

「分かった」

「分かりました!」


 みんなそれぞれ返事をする。すると薫が冬弥に声をかけた。


「一体僕たちは、どこで着替えればいいんだい?」

「え? ここで良くないか?」


 冬弥はそう言うと、ズボンを下ろし始める。


「待て待て待て待て!! 周りに人もいるから……!」

「あー、そうだったかもな」

「そうだったかも、じゃないよ……」


 冬弥は相変わらず男子校ノリが抜けていないのであった。


「じゃ、車の中で着替えようか。女子たちはトイレで着替えるみたいだし」

「仕方あるまい」


 冬弥は薫とともに、車内へと戻る。そして、服をポイポイと脱ぎ始めた。


「おぉ、お前結構鍛えてるんだな!」


 冬弥は薫の腹筋を見るなり、そう言った。


「一応僕も運動部だからね……というか、君の腹筋もなかなかすごいけど」

「まぁ、筋トレしてるからな。もちろん、股間のマグナムも」

「爪楊枝じゃないか」

「バカ野郎。それなりにあるぞ」


 二人は水着に着替えると、そのまま車の外に出た。


「……残念だよ。今日は、腹筋でマウントを取ろうと思ったんだけどね」

「はは。ま、俺には趣味も何も無いからな。やるとしたら筋トレぐらいのものだ」


 見ておけ、と言って冬弥は砂浜に膝を着いた。薫に真の腕立て伏せというやつを見せつけてやろうと思ったのだ。


「って熱っっっっっつ!?」

「……見たら分からないかい?」


 冬弥は膝を押さえながら飛び跳ねている。薫は呆れた。やはり人間は、どこかでバランスが取れるように出来ているらしい。


「おっ、二人ともいい筋肉してるね〜」


 いつの間にか、冬弥たちの側にナギが来ていた。彼女はサングラスを掛け、先日買った水色のビキニの上にレースを着ており、大人の女性らしく仕上がっていた。


「薫くんもさすが運動部って感じ! いい身体つきしてるよね〜!」

「あっ、は、は、はいっ!?」


 薫はナギの水着姿を一目見て、完全にキョドっていた。いい身体つきをしているのはどっちだ──そんなことを思う。


「あれっ、灯織とエマはどこです?」

「まだ着替えてるんじゃないかな。私はパラソルを立てに行くから、二人はそこで待っててね」


 ナギはそう言って海の方へ向かおうとしたが、薫の顔を見てから、途中で立ち止まる。


「……もしかして、薫くん緊張してる?」

「えっ!? あっ、そういうわけでは……」


 薫はそう答えるも顔はひきつり、汗はダラダラであった。


 それを見て、ナギはニヤリと笑う。


「よし決めた。薫くんは私と一緒にパラソル立てに行こっ! これからもっと可愛い女の子たちが来るんだから、まずは私で目を慣らさないとね〜?」

「ちょ、ちょっと!?」


 ナギは強引に薫の手を掴むと、そのまま引っ張っていく。その様子を見て、冬弥はほっと息をついた。


「昨日、ナギさんの水着を見ておいてよかった……初見であのプロポーションは反則ってもんだ……」

「そうだね」

「あぁ。薫もあの調子なら、そのうちぶっ倒れるかもな。同い年の水着姿なんて、もっとヤバいだろうに──」


 冬弥はゆっくりと顔を上げた。すると、慌てて口を塞ぐ。そこには着替えを終えた灯織の姿があったのだ。


「………………」


 灯織は無言のまま冬弥を見つめていた。その視線には明らかな軽蔑が含まれていた。まるでゴミでも見るかのような目だ。


「ち、違うんだ灯織! 今のはなんというか、薫への哀れみを表したというか!」


 だが、すぐに灯織の表情が変わる。いつもの無表情に戻ったかと思うと、小さくため息をついて口を開いた。


「……似合ってる?」

「へ?」


 突然の言葉に冬弥は間抜けな声を出す。


「だから、わたしの水着姿。感想聞かせて」


 その言葉を受けて、冬弥は改めて灯織の姿を見直した。


 白を基調としたビキニタイプの水着であり、腰の辺りに大きなリボンが付いているのが特徴的だ。そして、薄手の上着のような物を羽織っている。


 ──正直なところ、すごく可愛い。胸はあまりないが、卓越した顔面とシュッとした体も相まって素晴らしく思う。胸はあまりないが。


「……あぁ、めっちゃ似合ってるぞ!」


 冬弥は少し照れながらも、素直な気持ちを伝えた。すると、灯織は満足げに微笑む。


「良かった。冬弥も、ちゃんと海パン履いてて偉いね」

「俺をなんだと思ってるんだ」

「だってさっき、すぐそこで服脱ごうとしてたでしょ」

「み、見てたのか……あれは男子校のノリで、つい」

「もう、気をつけてよ」


 冬弥は申し訳なさそうに頭を下げる。灯織はそれを見て、クスッとした。


「まぁいいや。それより、海入らない?」

「そうだな。そろそろ行くか──」


 そう言って、二人が海に向かって歩き始めた時。


「待ちなさい!」


 背後から呼び止められる。振り返ると、そこには水着姿のエマが立っていた。


「灯織〜。抜け駆けしようったってそうは行かないわよ!」

「……別に、そんなつもりないけど」


 灯織がそう答えるのを聞いて、エマはふぅと息をついた。


「まぁいいわ。それより、どう? ワタシの水着姿は」


 エマは冬弥に向かって、クルっと一回転した。まず胸が大きい。オレンジのフリルが付いたビキニで、彼女の金髪によく映える色だ。そして胸が大きい。


「あ、あぁ──とても似合ってるぞ」

「ホント!? やったー!!」


 エマは嬉しそうな笑顔を見せると、再びくるりと回った。大きな胸に目が行きそうになるのを、冬弥は必死に抑える。


「……冬弥?」

「はい!」


 灯織の冷たい声で我に帰る。見ると、彼女はジトーっという擬音が聞こえてきそうなほど、こちらを見つめていた。


「どこ見てるの?」

「いや、これはその、決してそういうわけではなく!」

「ふ〜ん。まぁ別にいいけど」


 灯織はぷいっと顔を背ける。だが、一瞬だけ見えた横顔はほんのり赤く染まっていた。


「やっぱりわたしも胸盛るべきだったかな……」

「『も』って何よ!? ワタシは盛ってないからね!?」


 エマが抗議の声を上げる。


「ふん。どうしたってお姉ちゃんにはかなわないんだから」

「うっ! それは確かにそうだけど……」


 エマはチラッと奥の方でパラソルを立てているナギの方を見る。隣には、それを手伝う薫がいた。


「って、薫くん、顔色やばくないかしら?」

「熱中症……?」


 薫は焦燥しきった顔をしていた。ナギと極力目を合わせず、黙々と椅子を組み立てている。


「安心してくれ。あれはナギさんと長時間共に行動をすることによって脳がキャパオーバーしてるだけにすぎん」

「長時間!?」

「ほんの数分だよね!?」


 たしかに、薫は時折ナギのカラダを盗み見ては、その場で悶えている。自分の理性と戦っているようにも見えた。


「さ、薫が人じゃ無くなる前に行くか」

「あのまま放っておいたら、どうなるか見てみたい気もするわね」

「……」


 なんとも言えぬ雰囲気のまま、三人は海へ向かって歩いていった。

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