第28話 初代の戯言

「ところで、トウヤはお料理できるのかしら?」


 初代が戻ってきて早々、エマはいきなりそんなことを訊いてくる。


「なんだ、藪から棒に……」

「ナギさんが不在の時はドリンクだけになるじゃない? 冬弥か、もしくは灯織が料理できたら簡単なものなら出せるようになるんじゃないかって思ったのよ」

「なるほど。パンケーキとかは無理だけど……簡単な和食なら」

「和食…………!」


 初代がキラキラと目を輝かせる。


「一体どのような物を……お作りに……!」

「いや、大したものじゃないぞ? 鮭の塩焼きとか、親子丼とか……」

「何よそのラインナップ」


 冬弥はそう答える。東京に住んでいた頃は両親がほとんど家にいなかったので、自炊せざるを得なかったのである。


「初代は、和食が好きなのかしら?」

「はい。家柄……洋食よりも……日本食の方が好きです」


 初代は嬉しそうに答える。やはり彼女は和食派だった。着物を普段着にしている辺りからも、それが伺える。


「いいわねー。ワタシも料理が趣味なんだけど、いつか本格的な和食も作ってみたいわ」


 エマは楽しげに言った。


「それなら……初代の家で……是非」

「ホント!? いいのかしら!」

「はい。エマ先輩と、貴方様も……」


 初代はそう言うと、冬弥の方を向いた。


「え、俺もいいのか?」

「もちろんです。三人で作ったご馳走を……灯織様に……召し上がってもらいたいのです」

「あいつは食う専なのかよ! いやまぁたしかに、灯織が料理してるとこ見た事ないけど!」

「なるほど……灯織様は、ご自分で料理をされない……と」

「メモってる!?」


 初代はサッとノートを取り出すと、驚異的な速筆で灯織の情報を記録していった。よく見ると筆ペンを使っている。芸が細かい。


「初代は、本当に灯織が好きなのね……」

「はい。激推しでございます」


 エマの言葉に、初代はハッキリと答えた。灯織を芸能人か何かと勘違いしているのではないか……と、冬弥は苦笑する。


「いいわねー。灯織と言えば、この間──」


 そう言ってエマが口を開いた瞬間、彼女のポケットが振動した。携帯を取り出すと、「ごめんなさい、ちょっと知り合いから電話が……」と言って席を立ち、そのままトイレの方へと消えた。


「あっ────えっと」


 初代と二人きりになってしまい、冬弥は額に汗を浮かべた。……このままエマの帰りを待つか、それともこの前の話を切り出すか。しかし図書室での話を今更するのも、なんだか恩着せがましいようで。


 そのまま冬弥が何をすべきか迷っていると、初代が先に口を開いた。


「この節は……助けて頂いたのにも関わらず、逃げ出してしまい……本当に申し訳ありませんでした」


 彼女はゆっくりと頭を下げる。まさか初代からその話をし始めるとは思わず、冬弥は狼狽したように姿勢を正した。


「いや、別に気にしてないよ。あれは……その、俺も不用意に体に触れて悪かったというか」

「いえ。あの時、貴方様がお守りになったからこそ……初代は無事でした」


 彼女は真剣な表情で続ける。


「だから──」

「えぇ!? なんでそうなるのよ!?」


 刹那。トイレの方から、初代の声をかき消すほど大きなエマの声が響いた。そして少ししてから、慌ただしくこちらへ戻ってくる。


「ごめんなさい! ちょっと生徒会の方でトラブルがあったみたいで……今から学校に向かうことになったわ!」

「と、トラブル……?」


 冬弥は困惑しながら聞き返す。


「そ! なんか、後輩ちゃんが印刷機を壊したとか何とか──」


 エマはバッグを背負い直すと、冬弥の手に小銭を握らせた。


「お代、初代の分もきちんとあるから! それじゃ、行ってくるわ! ご馳走様!」

「あ……ありがとうございます」

「お、おう。気をつけて行けよ」


 わかってるわよー! と言い残して、エマは慌てて店を出ていく。残された冬弥と初代は、呆然とその場に座り尽くしていた。


「すまんな。あいつ、台風みたいなやつなんだ」

「はい……ええと……ご馳走になっても良かったのでしょうか……」

「いいんじゃないか? 最初に奢りだって言ってたし」

「では、お言葉に甘えて……」


 そう言うと初代はコーヒーを一口飲んだ。冬弥も同じくして、ふぅと息をつく。


「えっと……さっき、何か言いかけてなかったか?」

「あ、そうですね……その、すみません……どこまで話したか、忘れてしまいました。ええと、たしか……」


 初代はそう言った後で、パンと手を叩いた。


「……そうです。お返しをするという話でした」

「お返し?」


 そんな話だったっけ──と思いつつも、冬弥は話を聞くことに徹する。


「はい。と言っても、実体的なものでは無いのですが……貴方様は、その……趣味がないと……仰っていましたよね」

「ああ……まぁ、うん」


 趣味のない男だとよく言われる。特に女子には。


「でしたら……」


 初代は、今度は少し照れた様子で。冬弥の目を見据えて言った。


「この初代が……お供致しましょう」


 誰もいない喫茶店の中で、その言葉だけが響いて。


「……へ?」


 突然の提案に冬弥は驚いた。しかし、そんな彼とは裏腹に、初代は顔を赤くしながらも冷静に話を続ける。


「そうすれば、貴方様の真っ白な心は……やがて……」


 そこで、彼女は一度言葉を区切った。


「初代とともに……染まっていくでしょう」


 思わず、彼女の瞳を見た。真っ直ぐで綺麗で澄んでいて。それはまるで、紫根染のようで。その美しさに思わず吸い込まれそうになる。それから、彼女の頬の赤みが増しているのを見て、冬弥は自分の顔まで熱くなるのを感じた。


 これは、どういうことだろう。自分は一体どうすべきなのか。冬弥は、今まで経験したことの無い感覚に襲われた。それが何なのか、知らない。けれど決して不快なものじゃないことはわかる。


「もしかして……和歌の言い回しなのか?」

「い、いいえ! 初代の戯言です……ふふっ」


 彼女はそう言って艶やかに笑った。今まさに、心が初代の色に染まっていく気がした。

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