第27話 放課後コーヒータイム

「…………」


 図書館での事件から、数日が経った放課後。夏休み前考査を終えた冬弥は、喫茶店『ワカミヤ』の店番をしていた。テストの手応えはそこそこで、灯織の協力のおかげで、赤点回避の可能性は五分五分といった状況であった。


「初代……大丈夫かな……」


 ただ、冬弥は自らの心配というよりは初代の心配をしていた。


 仕方がなかったとはいえ、大して知りもしない男に身体を抱きしめられてしまったのだ。ああいう風に逃げてしまうのも仕方がない。


「今度会ったら謝らないと……」


 冬弥はカウンターに立ち、客が来るのを待つ。テストが終わった日の放課後は解放感に満ち溢れた生徒で席が埋まるかと思いきや、実際はそうでもなかった。みんな、街中に遊びにでも行っているのだろうか。


「トウヤー!!」

「おおおおおおお!?」


 突如、店の扉が勢いよく開く。すると、そこに二つ結びの金髪に、派手な顔立ちをした女性が現れた。


「え、エマ……!?」

「遊びに来たわよ!」


 彼女は胸を揺らしながら、元気いっぱいに答えた。


「あ、あの……生徒会とかは……」

「ん? あぁ、今は大した仕事ないし。お友だちもみんな部活なのよねー」


 だから一人でここに来たのよ! と言って、エマはテーブル席に座った。


「そ、そうか……」

「今日はお客さんが少ないかなと思ってここに来たんだけど──まさか一人もいないなんて! こんなにラッキーなことは無いわ!」


 エマは目を輝かせてそう言う。せっかくテストが終わったのに友だちと遊ぶ約束もできず、手持ち無沙汰になってここに来たのか──冬弥はそう解釈した。


「可哀想に──」

「なんでそうなるのよ!?」

「だって……暇すぎて俺に会いに来るしかないんだろ?」


 冬弥は冗談交じりに笑う。すると、エマは明らかに不機嫌そうな表情になった。


「ふん。そう思うのならそれでもいいわ。ワタシは普通に、あんたに会いたいと思って来たんだけど」

「あ……すまなかった」


 冬弥は慌てて頭を下げる。すると、彼女はそれを見てニヤッとした。


「ふふっ。別に怒ってないけどね〜♪ トウヤったら素直でいいわね〜」

「か、からかうんじゃない! それより早く注文だ! 注文!」


 冬弥は顔を赤くして、照れ隠しをするようにメニュー表を手渡した。


 はいはいと言いながら、エマはそれを受け取る。やはり彼をからかうのは楽しいものだ。いつしかの小学校時代を思い出す。


「はいはい。じゃあ、アイスコーヒー三つ」


 エマはそう言うと、指を三本立てた。


「え? 三つって……」

「心配しなくても、ちゃんとアンタの分もあるわよ?」

「だとしても、一人分余る気がするんだけど」

「大丈夫よ。だって──」


 エマは窓の方を向いて、手招きした。すると、少し経ってから店の扉が開いた。


「…………失礼致します」


 そこには制服姿の女の子が立っていた。少し恥ずかしそうにしながら、ゆっくりと歩いてくる。


「あの子、先からこっちを覗いてたものね。トウヤは気づかなかったみたいだけど」

「……!」


 冬弥は目を見張った。その女の子が、初代だったからだ。


「そ、そうだったのか……」


 頷きながら、冬弥は内心気まずいと思った。図書室での一件以降、彼女とは一度も顔を合わせていなかったからだ。


 しかし放課後にわざわざ喫茶店ここにやって来るということは、少なくとも自分を嫌っているという訳では無さそうだ──冬弥はひとまず安心した。


「いらっしゃい、初代」


 冬弥がそう言って会釈するも、彼女はどこかモジモジしていた。何やら様子がおかしい。


「ええと……その……初代は……邪魔では無かったでしょうか……」

「そんなことないわよ。良かったら、一緒に話しましょう」


 エマは優しくそう言うと、隣の椅子を引いた。それを見た初代は笑みを浮かべてから、小さく頷いた。


「では……失礼します」


 初代はゆっくりと腰を下ろす。その所作があまりにも綺麗で、エマは一瞬目を奪われた。


 どこか儚げで美しい──そんなことを思いながら、エマは口を開いた。


「ワタシ、二階堂エマ。よろしくね」

「はい…………わたくし、松原初代と申します」

「初代……初代ね! とっても可愛い子だわ。なんていうか、気品があるっていうか!」

「いえ……そんなことは……」


 初代は謙遜するが、エマはブンブンと首を横に振る。


「あるわよ。ワタシ、目はいいから」


 エマがそう言って微笑んだところで、冬弥が彼女らの前にトレンチの上にコーヒーカップを乗せて現れた。


「目以外全部悪いもんな」

「どういう意味よ!?」

「冗談だ。まぁ、そうだな。初代は美人だと思う」


 冬弥は相槌を打つと、テーブルにアイスコーヒーの入ったカップを置く。


 すると彼にまで褒められることは想定外だったのか、初代はそのまま俯いてしまった。


「初代が…………美人……」


 そう呟きながら、小さく胸を押さえている。思わず冬弥は顔を覗き込んだ。


「ん? どうした?」

「い、いえ……なんでもありません……」


 そう言って、初代は小さく笑みを浮かべる。冬弥が首を傾げたところで、エマは再びニヤリとした。


「ふふっ! でもどうせ、他の女の子にも言ってるんでしょう?」

「言ってないよ! こんなこと滅多に言えるか!」


 冬弥は否定した。思い当たることがないわけでもないが、ストレートに女の子を褒めることなんて実際はほとんどないものである。


「へぇ〜。トウヤはこう言ってるけど──」

「す……すみません!」


 初代は当然立ち上がると、頬を赤く染めながら言った。


「お、御手洗に……行って参ります……!」


 そう言って、初代はそのまま小走りでトイレへと向かっていった。


 冬弥はため息をつくと、エマに苦言を呈した。


「あのな。初代は繊細だから、少し抑えるようにだな……」

「た、確かに──悪かったわね」


 隣を見ると、珍しくエマが小さくなっていた。少々やりすぎている自覚はあったらしい。


 冬弥はため息をついてから、コーヒーに口をつけた。初代にどう話を切り出せばいいのか──そんなことを考えながら。


「あんた、さっきから様子がおかしいわね。もしかして、あの子と何かあったの?」


 すると、エマは真剣な顔で尋ねた。冬弥は目を逸らしたが、やがて素直に答えた。


「……ああ。実は図書室で色々あって……」

「ふぅん?」


 エマは興味深そうな表情を見せる。冬弥は気まずそうに続けた。


「それで、心配になって」

「……そう。何があったのか、言ってご覧なさいよ」


 冬弥は彼女の言葉に従い、話し始める。


 ──まず初代が灯織のファンであり、店に来た時に面識があったこと。そして後日、図書室の中で偶然会って、自分が探していた本の場所を教えてくれたこと。


 そしてしばらく話していたら上から本が落ちてきて、咄嗟に彼女を抱き締めるようにして守ったこと。そうしたら──逃げられたこと。


 これら一連の流れを噛み砕いて話す。エマは時折相槌を打ちながら、黙って聞いていた。


「なるほどね。そういうことがあったの」

「あぁ。それで……迷惑をかけたかなと思って」


 冬弥は不安そうに答える。それを聞くと、エマは首を横に振った。


「違うわ。第一、身を呈して守ってくれた人を嫌いになる人なんていないもの」

「そうなのか……?」

「ええ。むしろ、あんたのこと好きになったんじゃない?」


 とっても残念だけど、と言ってエマはコーヒーに口をつける。冬弥は慌てて否定した。


「いや……それはないだろ! 大体、初代は灯織の大ファンで……」

「『好き』の種類が違うのよ。出直してきなさい」


 エマは冷たく突き放した。


 ──確かに、言われてみるとその通りである。『推し』と『好きな人』は全く別の存在だ。


「とりあえず、初代があの時嫌な思いをしていなかったんなら、俺はそれでいいんだが」

「あ、いい感じにまとめたわね」

「そうでもしないと一生終わらないからな! あー、初代はまだかなぁ!」


 冬弥は露骨に話を逸らす。エマがプクッと頬を膨らませたところで、ちょうど店内に足音が響いた。振り返ると、そこには初代の姿があった。


「…………失礼致しました」


 初代は席につくと、ゆっくりとコーヒーを飲み始める。エマと冬弥も、ひとまずはホッとして会話を再開した。

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