第25話 夏休み消滅確定で草ァ!
その日の夜。冬弥と灯織はリビングに集まって、カレーライスを食べていた。ナギが『用事』で不在のため、二人での食事である。
二人きりともなると気まずい空気にでもなりそうなものだが、この日は意外にも会話は弾んでいた。というのも、話題の中心が今日の出来事だったからだ。
「へー。あの子、
Tシャツ短パンに身を包んだ灯織は、カレーをひとすくいする。冬弥は頷いた。
「あぁ。変わってるよな」
「うん──お人形さんみたいだった」
灯織は頬を赤く染めながら、コップに口をつける。やはり見知らぬ男よりも、健気な女の子に応援される方が灯織としても嬉しいのだろう。
「はは。かわいい女の子がファンになってくれて、良かったじゃないか」
冬弥がそう言うと、灯織は小さく頷いた。
「うん……嬉しいけど、複雑な気持ち。わたし、うまく話せないから」
「別にいいんじゃないか? 芸能人でもないのにファンがいるのがそもそも謎な話だろ」
「それは……そうかもだけど」
灯織はスプーンを皿に置くと、ぽつりと言った。
「なんだか──夢みたい」
「?」
「だって……こんなにたくさんの人に注目されることなんて、今まで無かったから」
灯織の言葉を聞いて、冬弥は胸の奥が苦しくなるのを感じた。
引っ込み思案だった彼女がバンドに出演して『変わる』ことになったきっかけ。
それは、他ならぬ自分にあったからだ。
『────責任取って』
『責任取ってって言ってるの! わたしを変えた責任!』
彼女が学校祭でのライブを経て有名になり、初代のようなファンができたのも。
元はと言えば、冬弥が
「どうしたの?」
黙り込む冬弥を心配するように、灯織は彼を見つめた。
「あ、いや。なんでもない」
冬弥は首を横に振ると、カレーを口に運んだ。いつも通り美味しいはずなのに、今は正直あまり味がわからなくて。
『これからも、ずっと一緒に──』
あの言葉の意味を、冬弥は探し続けていた。
彼女のことはただの同居人だと思っていた。ほんの数週間前までは。
表ではクールな有名人。裏では、自分と手を繋いだり、はたまた抱きついてきたり──時間が経てば経つほど、その理由が気になってしまって。
どうしてそんなことをするのか。
どうしてあんなことを言ったのか。
その答えを知りたいと思う一方で、知ってしまうこともまた怖くて。
そんなふうに迷子になっている自分が──鬱陶しい。
「ね……冬弥」
「な、なんだ?」
声をかけられて、冬弥は顔を上げた。
そこには露骨に目線を外している灯織の姿があった。
「あの──昨日のこと、本気にしないで」
灯織は顔を赤くしながらそう言った。「あれは、なんていうか、雰囲気に酔ってたっていうか……」
彼女はそうとだけ言うと、コップの水を勢いよく飲み干した。
「とにかく、そういうことだから! 別に恋愛的な意味は無いから!」
「そ、そうなのか……」
灯織は手元に視線を移すと、無言で食事を再開する。すると途端に、奇妙な沈黙の間が流れる。冬弥は露骨に話題を変えようと画策する。こういう時、大体は声が大きくなるものだ。
「そ、それより! もうすぐ夏休みだな!」
「……? あぁ、そうだね」
会話のキャッチボールが返ってきたことに安堵すると、冬弥はカレーを勢いよく口に放り込んだ。美味い! 先程までとは違い、味がわかる。
「よし、この夏こそはやりたいことをやりまくるぞ!」
「へぇ……」
灯織は一旦手を止めると、顔を上げて言った。
「まぁ、それも冬弥が夏休み前のテストに受かればの話だけどね」
「──────」
冬弥の動きが止まった。
「て、テスト?」
「うん」
冬弥は戦慄した。──実は二人が通う海北高校には、学校祭を終えて浮かれている生徒を一気に地獄に叩き落とす、通称『夏休み前考査』というものがある。
普段から勉強していればなんら問題のない作りではあるが、一教科でも赤点を取ると容赦なく大量の特別補習を受けさせられることになり、夏休みを満喫することは不可能となる。
「なるほどな──俺に夏休みはないと」
「なんでもう諦めてんの!?」
……だってそうだろう。成績は下から数えて10番目以内の男が、赤点を回避することなど無理な話だ。その辺を歩いているおばさんがバラク・オバマ元大統領に進化することくらい不可能である。
「とりあえず、頑張ってみようよ。ね? まだ一週間あるから、頑張れば間に合わないことも無くもないというか……」
灯織はそう言うと、立ち上がった。そして、流しに食器を置いた後、朝から溜まっていた皿類を洗剤で洗い始める。
「そりゃあ、もちろん頑張るけどさ。しかし、困ったなぁ」
「ごめん、今回はわたしもちょっと勉強が大変で。教えてあげたい気持ちは山々なんだけど」
「大丈夫だ。学年一位様の手を煩わせる訳には行かないからな」
冬弥は立ち上がると、皿洗いをしている灯織の元へと向かった。
「それ、貸してくれ」
そう言って、灯織からスポンジをさりげなく奪い取った。彼女は慌てて口を開く。
「え、でも──」
「大丈夫だ」
冬弥は食器を洗い始めた。「勉強の方も、どうにかする」
彼女はそれを聞いて、心配そうに訊ねる。
「……本当に大丈夫なの?」
「あぁ。なんとかなるはずだ」
冬弥は口ではそう言うものの、内心はかなり焦っていた。
正直、今から勉強し始めたところで、赤点回避なんてできる気がしない。しかし、このまま勉強を諦めて悪い点数を取るわけにもいかなかった。
このまま悪い成績が続けば夏休みに地獄の特別補習が待っているのはもちろん、自分を転入させてくれた灯織の父の面目を潰すことになりかねない。
とにかく、平穏な生活を送るためには赤点を回避するしか方法がないのである。苦手な古典も数学も克服するのみ。
「灯織。もし、俺が特別補習を回避したらさ────」
冬弥はある決心をした。絶対に補習を回避する。そして──灯織の方を振り向いて言った。
「夏休み、一緒に海行こうぜ!!」
「……!」
そう宣言した瞬間、灯織はぽっと顔を赤くして。
「い、行きたい──!」
「あっ、でも北海道の海って冷たくないのか?」
「……大丈夫! 夏は入れるから!」
灯織はキリッとして続ける。「冬弥……絶対、赤点回避してね。何かあったらなんでも聞いていいから」
「あぁ。ありがとな」
そうして会話に一区切りがついた瞬間、何者かが外の階段を昇って来る音がした。
二人にはわかる。この音はきっと──
「たっだいま……疲れた〜!」
ナギは力なくリビングのドアを開けると、二人の顔を見た。
「お姉ちゃん」
「ナギさん、おかえり!」
いつも元気な彼女はヘトヘト顔であった。すぐにバッグを下ろすと、ソファに倒れ込む。
「だ、大丈夫……? いつにも増して疲れてる感じだけど」
「うん……今日の撮影は長かった……」
ナギと灯織がそう話しているのを盗み聞いて、冬弥は目を見開いた。
『撮影』────だと!?
たしかに、彼女は土日に店を留守にすることが多い。今まで『用事』としか聞いていなかったが、もしかして──
「あの、ナギさん」
「ん?」
冬弥はソファに沈み込むナギに近づくと、恐る恐る訊ねた。
「今日はナニをしてたんですか……?」
「えぇ……何って……」
冬弥の問いに、ナギは気まずそうに目を逸らした。その反応を見た瞬間、心臓が跳ね上がる。まさか、これは──本当にエッチなことを!
「その…………モデル、副業でやってて」
「え」
冬弥は口をあんぐりと開けたまま、動かなくなった。
そんなことにも気づかず、ナギは目を伏せる。
「小さい雑誌とかにたまに載ったりするんだけど……それでつい、休日に撮りまくる羽目になるっていうか……と、冬弥くん?」
「はは、そうだったのか────」
冬弥は、ふぅと息をつくと安堵の表情を浮かべた。
「ナギさんが綺麗なままでよかった……」
「へ?」
ナギは目を丸くした。そして何かに思い至ったのか、「ははーん、もしかして冬弥くん──」
ナギはニヤつくと、耳元に口を寄せて囁いた。
「エッチな仕事だと思ってたんでしょ」
「は、はぁ!? ち、違いますけど!?」
「正直に認めちゃってもいいんじゃないの〜。冬弥くんも年頃の男の子だし〜?」
「やめてくださいよ! 気のせいです!」
「またまた〜」
ナギはからかいながら、彼の頬をツンツンとつつく。冬弥が必死になって否定しても、顔が真っ赤なので説得力ゼロである。
「一体何の話をしてるの……」
「ひ、灯織! なんでもない!」
灯織はジトッとした視線を二人に送ると、部屋へと戻って行った。とりあえず変態は○ねばいいと思った。あと、さっさと勉強に取り掛かれよとも。
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