第24話 色は匂へど散りぬるを
様々なドラマを経て、二日間に渡って開催された学校祭は無事に閉幕した。
結局、後夜祭の花火は業者不在により中止となったものの、代わりにみんなで手持ち花火を行うことにより事態は丸く収まった。想定外の出来事も、祭りのうちである。
「本当に学祭が終わったんだな……いやぁ、寂しい限りだ」
客のいない喫茶店の中で、冬弥はそんなことを零す。灯織との出来事ばかりが思い起こされるが、ナギと二人で学校を回ったり、エマのメイド姿に心を揺さぶられたり、薫と二人でライブを見たり──振り返ると、なかなか充実していたような気がする。
「とはいえ、俺の本業はこれだ。ちゃんと接客しないと──」
「あっ、冬弥くん!」
ギクッ。大きな独り言を漏らしている最中に、二階からナギが現れた。
いつものエプロン姿とは異なり、オシャレな服を着て肩にバッグを下げている。
「さっき言った通り、今日は用事でいないから! もしお客さん来たら、お飲み物だけよろしくね!」
「あ、はい!」
それだけ言うと、例の如くナギは家を留守にした。要するに店の中は冬弥だけになるので、飲み物の提供だけでいい──ということだ。
「さーて……どうしたものか」
冬弥はそう呟くと、カウンターの中でグラスを磨き始めた。この時間になると、冬弥は決まって暇になる。というのも、この喫茶店は休日、特に午前中は基本的に閑古鳥が鳴いているからだ。
「休日に客が来ないってのは考えものだよな……」
そんなことをボヤいていると、チリンチリンと鈴が鳴り、店の扉が開かれた。
「あっ、いらっしゃいま………せ……?」
反射的に声を出すも、そこに立っていた人物を見て言葉が尻すぼみになってしまう。
そこには、着物に身を包んだ女の子が居た。慌てて、冬弥は接客を続ける。
「……ええと、おひとり様ですか?」
「はい。一人でございます」
着物姿の女の子はそう言って、額に流れる汗をハンカチで拭った。息を整えながら、改めて店内を見渡す。
「突然押しかけてしまい……申し訳ございません」
そう言って、彼女は深々と頭を下げる。
「休憩中……でしたか?」
「あっ、い、いえ! 大丈夫ですよ。でも、今は店主が留守でして。ドリンクのみの提供となってしまいますけど、それでもよければ」
「構いません……ありがとうございます」
その言葉を聞いて、冬弥はほっとした。
「では、こちらのお席へどうぞ」
「ありがとうございます」
冬弥は彼女を窓際のテーブルへと案内し、メニューを手渡した。
「注文が決まりましたら、お呼びください」
そう言って、冬弥は踵を返す。……変わった子だ。おそらく年齢は自分より下なのだろうが、妙に礼儀正しい。
青い着物を身にまとい、桃色の髪を後ろで束ねている。目は紫で、口の近くにはホクロがある──敢えて描写するとすればこんなところだろうが、喫茶店という洋風の空間において彼女はあまりに異質な存在だった。
「すみません──」
「あっ、はい!」
彼女が声を上げたため、冬弥は再び彼女の元へ向かう。接客なんてもう慣れっこのはずなのに、どこか声が上擦ってしまって。
学校祭でしばらく店の手伝いをしてなかったからかな──と、自分勝手に納得する。
「ご注文でしょうか?」
「はい……抹茶ラテを一つ」
女の子は見た目通り和風のものを注文した。何故だか、冬弥は少しホッとした。
「かしこまりました」
一礼すると、再びカウンターの方へと向かった。それにしてもこの時間に一人で着物を着て店を訪れるなんて、とてつもなく不思議な子である。
☆
数分後、冬弥はおしぼりとカップを持って再び女の子の元を訪れた。
「おまたせしました。抹茶ラテです」
冬弥はテーブルの上にカップを置く。このまま一人にしておくのも気が引けると思い、女の子に話しかけることにした。
「ご来店は初めてですか?」
「はい。……大変良い、居心地です」
彼女はそう答えながら、抹茶ラテに焦点を合わせると、そのままカップを手に取った。そして、ゆっくりと口をつける。
「…………美味しいです」
彼女は噛み締めるようにそう言った。
自分で淹れたものを褒められるのは、そう悪い気分ではない。冬弥は自然に笑みがこぼれた。
「よかった。ところで、失礼かもしれませんが……今日はお一人で?」
冬弥が尋ねると、彼女はハッとして顔を上げた。それから、こう答える。
「はい。一人で来たのには……訳があります」
「訳?」
「実は、とある人を探していまして──」
女の子は困ったようにそう言うと、ふぅっと小さく息をつく。
「この辺りに住んでいる方だと聞いたのですが……」
「この辺りってことは、海北の生徒とか?」
「はい。まさにこの喫茶店にいらっしゃる方でございます」
そう言って、女の子は頬を赤らめながら、ゆっくりと抹茶ラテに口をつける。そうか。この喫茶店に居る生徒といえば、灯織と、俺──。
──なんだと!? まさかの俺!?
冬弥は一ミリの可能性に賭けて、女の子に尋ねた。
「えっと……それはどのような名前の方なんでしょうか……?」
「名前は分からないのです。ただ──」
しかし、その希望はすぐに打ち砕かれることになる。
「ステージで拝見したあの素敵なお姿に、ぜひ一目お会いできればと思い……ここに参りました所存です」
女の子はぽっと顔を赤くして、そんなことを言った。灯織のことだった。
冬弥は顔を背けた。……別に期待していたわけじゃない。あのバンド演奏後の休日ともなれば、こういうお客さんが来ることも想定できていたはずだ。
ほ、本当に、期待してなかったんだから!
「えっと、灯織なら今は外出中でして……もう少しで帰ってくると思いますけど、お待ちしますか?」
「は、はい! お忙しくなければ良いのですが……」
女の子はもじもじしながらそう言った。小柄な体格に、美しい着物の青が似合っている。まるでお人形さんのようだ──冬弥は心の中で独りごちる。わざわざ一人で灯織に会いに来ているのも、健気で可愛いなと思った。
「あの、貴方は……灯織様の、お兄様でいらっしゃるのでしょうか……」
「えっ? ああ、違いますよ。血は繋がってないけど、一緒に住んでるって感じかな」
冬弥はそう答えた。敬語を使っているし、おそらくは一学年下の後輩だろう。
「そ、そうなのですね……もしかして……お付き合いを……」
「あ、いやいや! 付き合ってるわけじゃなくて──」
冬弥は否定しながら、頭をかいた。説明が難しい。たまにこういった質問をされるのだが、どこまで言っていいのか分からない。まさか借金のことを言えるはずもないし。
「それより……君は、海北の一年生?」
「はい。
女の子は彼の顔を見つめていた。その瞳は儚げで、美しい。最近は美人に会う機会が多すぎて、目眩がしそうだ。
「
そう言って女の子は微笑むと、抹茶ラテを口に含む。表情の機微がわかりにくいが、どうやら悪い気分では無いらしい──灯織のパワーは偉大である。
「もし宜しければ……貴方の名前を……」
「ん、俺か?
店内に自分たちしかいないのに敬語を使うのも変かと思い、冬弥はフランクな口調で初代に語りかけた。
「では……先輩とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「おう。初代でいいか?」
「はい……」
そう言うと、冬弥は右手を差し出した。握手のつもりだったが、初代にとっては予想外だったらしく、「あっ……」と声を上げて目を丸くする。
「少し……恥ずかしく……」
「あ、悪い──」
距離感を間違えたことを反省しつつ、冬弥は手をひっこめた。
「……いつ灯織のファンになったんだ? やっぱり、ロクシメのライブを見たから?」
「はい。あの方のお姿は……素晴らしく……」
女の子は顔を赤らめながら、そう呟いた。
「あの凛とした美しさに、思わず息を飲みました……ぜひ、一目見たく……」
彼女はうっとりと天井を見上げると、そのまま言葉を続けた。
「さながら……初代は……白鳥の飛羽山松のように……」
「え、白鳥……え?」
冬弥は聞き返した。初代は微笑を浮かべると、抹茶ラテに口をつける。
「万葉集の……和歌でございます」
「そうなのか」
冬弥は自分の学の無さに辟易としつつも、白鳥の飛羽山……松……自分なりに、なんとかその言葉を解釈してみた。
「美しい白鳥が飛んでくるのをずっと待ってる、松の木……みたいな?」
「! まさに、そのような感じで……ございます」
少し驚いたように、初代は冬弥の顔を見た。
「先輩には……和歌の才能が……」
「い、いやいや!」
冬弥は必死に首を横に振った。どうやら見た目通り、初代は和歌が好きらしい。また店に来てくれるかもしれないし、少し勉強してみようかな──。
そんなことを思っていると、『チリンチリン』という鈴の音が鳴った。
冬弥は急いで、ドアの方に向かう。そして、扉を開けるとそこには灯織の姿があった。
「灯織か。部活おつかれ」
「ん」
灯織は素っ気なく返事すると、そのまま二階に上がろうとした。
すると、遠くから初代が叫んだ。
「灯織『様』────!」
「!?」
突然、初代は灯織の元へと走り出した。下駄を履いているからか、からんころんとした音が店内に響いて。
初代は憧れの灯織を前にして、完全に顔が真っ赤になっている。それでも勇気を振り絞るようにして、こう言った。
「あの……お、お慕い申しております! もし宜しければ……ツーショットを……」
「つ、ツーショット?」
灯織は困惑しながらも、そう聞き返す。初代は頷いた。
「む、無理にとは…………」
「じゃ、じゃあ──冬弥、撮って」
灯織がそう言った瞬間、初代の顔がパーッと明るくなった。まるで恋する乙女である。
「で、では……よろしくお願いします」
初代は冬弥にスマホを渡すと、そのまま灯織の元に駆け寄った。
「こ、これで……大丈夫?」
「はい……!」
初代は嬉しそうに微笑むと、灯織と肩を寄せ合った。初代の方が背が低いので、灯織が軽く膝を曲げている。
初代がカメラに向かってピースサインをする一方、灯織はピースこそしているものの顔が強ばっていた。
「灯織、もっと笑顔で──」
「えっと……こう?」
灯織がぎこちなく笑みを浮かべるのを見て、冬弥は苦笑した。
あのライブが終わってから、写真を求められることも多くなっただろうに──まだ、こういうのに慣れていないんだな。
でも、そんな灯織が愛おしくていい。
「はい、チーズ────」
冬弥がボタンを押すと、カシャリ、という音と共にフラッシュが光り輝いた。
彼から受け取ったスマホの画面を、灯織がいなくなったあとも、初代はずっと見ていた。
「……ふふ」
ずっと、見ていた。
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