第23話 わからず屋にはみえない魔法

 ロクション・シメジはアンコール含めた六曲を演奏し、大盛況のまま閉幕した。


 学校祭を盛り上げるに大いに寄与するパフォーマンスだったが、まだ祭りは終わっていない──。ライブ後、体育館の外には屋台や展示物を見に来た客で溢れかえっている。


「いやー、マジですごかったな!」


 冬弥は屋台の片付けを手伝いながら、興奮気味に語った。先程のライブは衝撃的で、まだ余韻が残っている。灯織の演奏を思い出すだけで、胸が高鳴ってしまうのだ。


「そうだね。ピンチヒッターとは到底思えない、いい演奏だった」


 ロクシメの追っかけである薫もまた、満足気な顔をしている。冬弥は思わず笑みが込み上げてきた。


「ファンから見てもそうなのか! いやぁ、早く灯織に会いたいな!」

「花火の時に会えるんじゃないか? 君から褒めてもらえば、若宮さんも喜ぶと思うよ」

「だといいけどな。まぁ……」


 冬弥は言葉を濁す。昨日、灯織とのツーショットを求める生徒たちに彼女を売り渡してからというもの、一緒に会話することが叶わなくなっていた。


 自分が話しかけたとしても口を利いてもらえるだろうか──そんな不安が心の隅にへばりつく。


「あいつにはしっかり謝らないと……」

「水澄くん、どうしたの?」


 その時、黒髪ボブのクラスメイトがひょこっと顔を出す。ライブ前に焼きそばタッグを組んだ女の子だ。


「小林さん。実は──」


 かくかくしかじか。冬弥は一通り説明した。女の子はうんうんと頷く。


「そっかー。まぁ、ちゃんと謝れば大丈夫だと思うよ」

「あぁ。花火の時に、解決出来たらいいんだけど」

「大丈夫、大丈夫。心配要らないよ!」


 女の子は笑顔でそう答える。もしかして、大して仲良くもない俺を勇気づけてくれているのだろうか──冬弥は感激した。


「小林さん────」

「だって、無くなったじゃん! 花火!」


 刹那。二人の間に奇妙な空気が流れる。隣で作業をしていた薫も、目を丸くした。


「え?」

「あれ、知らなかったの?」


 女の子は人差し指をピンと立ててから、元気に言った。


「無くなったんだよ、後夜祭の花火!」

「えええええ!?」


 冬弥と薫は思わず声を上げてしまう。


「どうなってんだ! 中止!?」

「大事件じゃないか!?」

「業者の人がバックれたんだって。今みんなで会社のSNSを荒らしてるとこ」

「気持ちはわかるけどやめよう!?」


 冬弥が真っ当な意見を述べた。女の子は笑いながら、右手を上下した。


「あははっ。冗談だよ。でもこれ見て、ツッタカターでも話題になってる」


 スマホを見せられる。そこには確かに、『海北の後夜祭、中止っぽくて笑う』『花火業者くんさぁ……』『業者、お前船降りろ』『もう降りてんだよ』などの文字列があった。


「マジかよ。結構楽しみだったんだけどな」

「たしかに……でも、学校祭は来年もあるから! それに、夏祭りでもっとすごい花火が見れるし!」


 女の子はそんなことを言った。冬弥は依然肩を落としていたものの、ゆっくりと顔を上げた。


「よし、じゃあそっちで楽しむとするかな」

「うん、その意気その意気……あっ、ちょっと友だちに呼ばれたから行ってくるね!」


 そう言うなり、彼女はどこかへと走り去ってしまった。毎回小林さんから情報を得てばかりだな──冬弥は感謝しつつ、空になったソースの容器をゴミ袋に放り投げる。


「花火大会ねぇ……」

「毎年夏休みに開催されているはずだよ、たしか」


 台を拭きながら、薫が呟く。


「らしいな。俺はよくわからんけども」

「まぁ君はとりあえず……若宮さんとの和解が先じゃないかい?」


 わかってるよ──冬弥はそう言いながら、ゴミ袋の口を締めた。


「……これ、どこに持っていけばいい?」

「体育館の裏じゃなかったかな」

「了解。ちょっと行ってくる」


 冬弥は薫にそう告げた。


「一人で大丈夫かい?」

「あぁ。待っててくれ」


 ☆


 体育館裏には誰もいなかった。この辺りはほとんど使われておらず、人の気配もない。


 冬弥はゴミ捨て場にビニール袋を置くと、ふうと息をつく。他にこんなにも早い時間に店じまいをしているクラスもあるまい。ウチは勝ち組だ。


「……ん?」


 そんなことを思いながら踵を返すと、遠くから足音が聞こえてきた。


 そして、その人物が姿を現す。


「あ……」


 それは、灯織だった。いつもの制服に着替えて、もはやステージに立ってギターを弾いていた時の面影はない。


「灯織、────」

「冬弥、────」


 お互いが同時に口を開く。しかし、次に言葉を発したのは冬弥の方が先だった。


「──すまなかった!!」

「え?」


 冬弥はそう言うと、深く頭を下げた。……何故だろう。彼女の演奏を称えるよりも先に、言わなくちゃいけないことがあるような気がして。


「昨日、灯織をダシに全校生徒を釣るようなことをしてしまって──嫌がってたのに、本当に悪かった!」

「あ、あぁ……そんなこともあったような」


 灯織は一瞬戸惑った表情を見せたが、すぐに元のクールな顔に戻った。


「別に気にしてない。それより──」灯織はそこで言葉を切った。


「どうした?」

「その……」


 何故か灯織は顔を赤らめる。少し会わなかっただけなのに、すごく久しぶりに会えたような気がして。冬弥はいつもの軽口も叩けず、彼女をただ見つめている。


「……ひ、灯織?」


 彼女はただ俯いている。何かを言いたいように見えるのだが、なかなか切り出してくれない。


 その顔はまだ赤く染まっている。沈黙が続く中、突然灯織が冬弥の方を見上げた。


「────会いたかった」


 そう言って、灯織は彼の胸に飛び込んだ。


「えっ……ちょっ……!?」

「ごめん」


 灯織は顔をうずくめたまま動かない。


 彼女の体温を感じる。心臓の鼓動が伝わってくる。


 冬弥はどうすることもできずに、その場で立ち尽くしていた。こんな経験は初めてだったからだ。


「わたし……嬉しかった。何も言わなかったのに、ライブにも来てくれて。だから──」


 灯織はゆっくりと顔を上げた。頬を染めながらも、まっすぐに冬弥の目を見て言った。


「ありがとっ──────」


 灯織は泣きそうな顔で言った。それを見て、冬弥の心は強く揺さぶられた。


 ──灯織には、自分がどういう風に見えているのだろうか。彼女ほどの美しい女性が、身を預けるに値する人間なのだろうか。


 しかしそんなことは、分かるはずもない。それでも、今は。この温もりだけは、本物だと思えた。


「ああ」


 それだけしか言えなかったけれど、今の気持ちは伝わったはず。一回しかないなら、一回だけで十分だ。そう思って、彼女の身体をそっと抱きしめた。


「ちょ、ちょっと! ……恥ずかしいから!」


 灯織は冬弥の腕から逃れると、ぷいと横を向いてしまった。


「あ、悪い」

「……………ふん」


 そのまま二人は並んで歩き出す。言葉を交わすこともなく、屋台のある方へと向かっていた。


「そういえば──ライブの感想をまだ言ってなかったな」


 冬弥がふと思い出したように言った。


「俺が言うのも変だけどさ。演奏、すごく良かったぜ」

「ほんと?」

「あぁ。何かを見てあんなに感動したのは、生まれて初めてだ」


 冬弥はそう言った。それは誇張でもなく本心から出た言葉だった。


 先程のライブを思い出す度に、胸が熱くなる。


「……灯織?」


 隣を見ると、彼女は小さく笑みを浮かべていた。


「実は……バンドの助っ人に入るっていうのは、わたしから志願したの」

「あぁ。やっぱりそうか」


 灯織はそこで言葉を区切ると、口をとんがらせた。


「やっぱり……って」

「お前がギターやってるなんてこと、軽音部の人たちが知るはずもないしな。それに──」

「それに?」


 冬弥は小さく息を吸い込んでから、噛み締めるようにして言った。


「『変わりたい』って思ったんだろ」

「……!」


 灯織は図星だったのか、ビクッと肩を震わせた。


「ま、変わる羽目になった──って言えるかもしれないけどな。間違いなく俺がここに来てから、人生めちゃくちゃになってると思うし」


 自覚あったの、と言って灯織は冬弥の横っ腹をつついた。


「痛ぇよ! ……いやまぁ、実際その通りだからな」


 冬弥は自嘲気味に笑ってから続ける。


「それで、なんだ。勉強できて、スポーツも得意で、ギターも弾けて──改めて言う必要も無いんだけど、灯織って本当にすごいんだぜ。それが言いたかったんだ」


 うまくまとまらなかったけど、と言って冬弥は頭をかいた。


「まぁ……そういうことだ。それじゃ──」

「待って」


 人混みの中に差し掛かったところで別れようとした冬弥を、灯織は引き止めた。


「どうした?」

「その……えっと……」


 灯織は再び俯いて、それから上目遣いでこちらを見上げる。


「────責任取って」

「え?」


 冬弥はアホ面で聞き返す。それを見て、灯織は顔を真っ赤にして言った。


「責任取ってって言ってるの! わたしを変えた責任!」

「お、おう……」


 冬弥はわけもわからず返事をした。責任ってなんだよ……そんな疑問が駆け巡る。


「わかった。それで? 俺は一体何をすれば良いんだ?」

「……」


 すると灯織は、少し考えてからこう言った。


 それは夕日に照らされて。人混みの中でも、その言葉はハッキリと聞こえた。


「これからも、ずっと一緒に──」


 嘘だ。そんなこと。


 眩しくて、見えなかった。

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