第35話 さゆりVSまふゆ


「ん? どうしたの」


 立ち止まったほのかを、さゆりは不思議そうに見る。


「えっ、この子が……」


 ほのかは足元でスカートを掴む女の子を見下ろす。


 それを見てさゆりは怪訝そうな顔をする。


「この子って誰もいないけど、何が見えてんの……」


 さゆりの言葉に、ほのかは目の前の黒い女の子が自分しか見えていないことに気づいた。


(どうしよう)


 自分が見えているだから、きっと他人にも見えている。そんな風に思っていたが、目の前のこの子は、一階で見た黒い影のような人たちとは別もので、誰にでも見えるものではないらしい。


「えっ、あー! 私の勘違いだったごめん。ごめん」


 ほのかは明るくハイテンションに言って誤魔化そうとした。


「別にいいけど……気をつけて、ここは精神を支配するダンジョンだから、うっかりしていると意識をもっていかれるよ」


「そ、そうなんだ。これは幻覚かも……ところでさつきさんは大丈夫なの?」


「あぁ〜私? なんか大丈夫なんだよね。昔からこう言う系は平気で、たぶん一回記憶ぶっ飛んでるから耐性あるのかもしれない」


「えっ……さつきさん記憶喪失なんですか?」


「そうそう、一回ダンジョンで記憶なくして全裸で彷徨ってたの。その時にいい人に見つけてもらってね。なんとか私生活までできるまで面倒見てもらって、大変お世話になったんだけど。女子の一人暮らしって結構大変じゃない? 今思えば、あのまま寄生しとけばよかったなーと思ってる」

「そ、そうなんですね……」

(さらって言っているけど話が重いし、恩をもらった人に寄生しようなんてこの人結構自己中心的かもしれない)

 さつきの発言にほのかは若干引いていた。

「ほのかちゃんは、なんでこんな危ないところに来たの?」

 さゆりの質問にほのかは包み隠さず答えた。

「お兄ちゃんが入院しているのでお見舞いに来たんです」

「へぇ、お兄さん思いの妹だね」

 さゆりは少し感心した。

「そうなんです。お兄ちゃんにはこんな危ないところまで来ている妹に感謝してもらいたいくらいです。お兄ちゃん、私がいないと何もできない人で、洗濯物は床に散らかすし、何度注意してもお菓子の袋は食べたまま放置するし、靴は揃えて脱がないし、だからいつも私が面倒を見てあげないと部屋が散らかり放題で。あと、ご飯とかインスタント、外食が多いから、栄養偏っちゃわないように料理とかしてあげているですけど、ピーマン嫌いとか子どもっぽいところが多いですよ。まったく困っちゃいますよね」

 早口で捲し立てるほのかにさつきは引いていた。

(うわぁー色々と束縛癖が強いそうな妹さんだな。お兄さん、たいへんそう)

「まったくお兄ちゃんには早く妹立ちして素敵な彼女を見つけて欲しんですけど……お兄ちゃんに合う条件の人が中々見つからなくて、やっぱり実の兄ですけど素敵な人と付き合って欲しいじゃないですか。だってお兄ちゃんのお嫁さんが私のお姉ちゃんなるわけで、それなら綺麗で可愛い人がいいですよね。お兄ちゃん不安定な収入のお仕事だから、お嫁さんには安定した収入のある人がよくて、まふゆさんとか勧めているんですけどお兄ちゃん嫌だって言うんですよ。まったくあんなに美人でお兄ちゃんのことを好いてくれてるのにどこが嫌なのか……あっ、私はべ、別にお兄ちゃんの話していますけどブラコンっとかそう言うわけじゃないですよ。お兄ちゃんに幸せになって欲しいだけで、これは気遣いですから!」

「へ、へぇ〜」

(……この子のお兄さんの彼女とかもの凄く大変そう)

「それでほのかちゃん。そっちから行く?」 

「あっ、ごめんなさい。私、喋りすぎちゃって。こっちから行ってもいいですか?」 

「まぁエレベーターから行こうと思ったけど、途中止まったりしたら困るから、ほのかちゃんの提案通り階段で行こうか」

「はいっ」

 さつきとほのかは階段を登っていく。その二人の前を、腕が衣服に隠れて見えない黒い少女がとてとてと走っていく。

 階段は2階から雰囲気が変わる。薄暗い青い夜のような一階だったが、2階からは紫とピンクを混ぜたライトで照らされたような怪しい雰囲気になる。

「2階には何もないこのまま3階まで進もう」

 2階の廊下を顔だけ出して覗き込むさつきは2階の様子を首を左右に振って確認していた。一方のほのかはさゆりを置いて、ぴょこぴょこと先に進む黒い影の少女の後についていった。

 確認を終えたさゆりは先に行くほのかに気づく。

「あっ、馬鹿!」

 さゆりの言葉はほのかには届いていなかった。

 ほのかは踊り場で止まった。

 そこでは黒い影の少女が踊り場に落ちている花冠をじっと見下ろしていた。

 ほのかも隣でしゃがみ込み、膝を抱えるように少女の顔を見る。表情は見えないが、ほのかに何か伝えようとしていることはわかった。

 目の前の花冠は綺麗に作られたものだが、両脇の一部が強く握られたのか花がひしゃげていた。

「これ、大切なものなの?」

 ほのかの言葉に少女の影はこくんっと頷いた。

「わかった持っていくね」

 ほのかが花冠を手に取る。

 すると黒い影の少女は薄くなって消えた。

「消えた……。なんだろう。これ」

 ほのかが不思議そうに草冠を掲げると3階から、ほのかのことを見下ろすまふゆがいることに気がついた。

「あっ、まふゆちゃん」

 そう口にしたほのかの横に2本の試験管が投げ込まれた。

「えっ」

 ほのかがその試験管を目で追って振り向く。試験管は地面で割れて、そしてピキピキと急激に氷の結晶を作っていった。

 ほのかの足元が氷で飲み込まれていく。

「何これ? っふぎぅー!?」

 ほのかのお腹がさゆりの腕で掴まれ、踊り場から2階の廊下へと引っ張られる。

「口開いてると舌噛むよ」

 さゆりの言葉にほのかは両手で急いで口を押さえた。

 さゆりはほのかを抱えたまま踊り場の壁をつたって、凍っていく足元の冷気に追いつかれないよう2階に飛び降りた。

「よっと、これは上に行くルートを考え直さないと」

 さゆりは片足を軸にしてくるりと一回転して振り返り、先ほどまで立っていた場所を見上げる。3階へ続く階段の踊り場は氷の塊で閉ざされ、通れなくなっていた。

「ゲフッ!」

 さゆりは抱えていたほのかを床に落とした。

「お、下すならおろすって言ってよ」

 抗議するようにほのかの声も2階の窓ガラスが割れる音にかき消される。

 ーードサッ

 白い塊が転がり込んでくる。

 さゆりが嫌そうな顔をして2階の廊下を見た。そこにはまふゆがゆらりと床から起き上がった。

「普通、窓ガラスを割って入ってくる?」

 さゆりの言葉にまふゆは、首を傾げ空な目を向けた。

 まふゆの頬には割れた窓ガラスで切ったのか血がツゥーと垂れ、その白い手にはいくつもの試験管が指に挟まれていた。

「排除します」

「あぁ、本当に面倒くさ。本物とか、偽物ならちょっと捻り潰せばよかったのに……こんな時間外労働はきっちり残業手当つけてもらうからね」

 さゆりがほのかを階段のほうへと蹴り上げる。ゆっくりと浮遊するほのか。その瞬間さつきは音の速さでまふゆに向かって大剣を片手に持って駆け出す。

「爆ぜて」

 まふゆは赤い炎が入った試験管と中で電気がスパークして青い光を放つ試験管を投げた。

 それを見たさゆりは驚きの表情で立ち止まろうとする。しかし、勢いがつきすぎて止まらない。それに回避しようにも狭い廊下には逃げ場がなかった。

「ちょっと、それっ、本気を出しすぎでしょうが!」

 さゆりは大剣を盾にして膝をついてかがみ込み廊下を滑る。

 割れた試験管から廊下を覆うほどの火炎と雷が走り抜け、窓ガラスを次々に割ってい行った。

「ぐえっ」

 ほのかが床についたと同時に背後の廊下に落雷と火柱が通り過ぎた。

「えっ……何が起こってるの?」

 わけもわからずほのかは目をぱちくりとさせた。

 一方のさゆりは煤だらけの大剣の後ろから顔を出す。

「ひっー! し、死ぬかと思った!」

 大剣を盾にしたおかげがさつきは直撃を免れ、まふゆの後ろに滑り込むことに成功していた。

「これで終わり!」

 そしてすかさず、彼女を取り押さえようと飛びかかる。

 まふゆは至近距離では攻撃する手段を持ち合わせていない。懐に潜り込んでしまえば、普通の女の子と大差ない。

「……チェックメイト」

 まふゆはそう短く呟くと左手で持っていた試験管を胸に前で開いた。

「えっ、ちょっマジ?」

 さゆりにはその中身がなんだか知っていた。

(私と一緒に自爆するつもり!?)

 白い閃光が試験管の中から溢れ、爆音が廊下に轟く。

 階段のところで隠れていたほのかは静かになった廊下の様子をそっと覗き込む。

 廊下は灰色の煙に包まれて視界が悪くなっていた。

「だ、大丈夫ですかー」

 ほのかの声に返事はなかった。

 ゆらりと起き上がる人影。

「ひぃ!」

 ゆっくりと近づいてくるその影にほのかは驚き腰を抜かしそうになる。

「もー! 死ぬかと思った!」

 煙から現れたのは煤だらけで服がところどころ黒焦げになったさゆりだった。

「ぶ、無事だったの?」

「これのどこが無事に見えるの?」

 さゆりは脇に抱えていたまふゆほのかの膝の上に下ろす。

 そして足を広げて座る。

「あーしんどい。私じゃなきゃ死んでたよ」

「怪我は?」

 ほのかが心配そうに訊ねるとさつきは手で顔を仰いで答える。

「軽いやけど程度だけど、お気に入りの服がこんなのになってショック」

 さゆりの服はボロボロで、スカートの一部が燃えて、右太ももの脇が大きく見えていた。

「まぁ、このまま行くしかないか」

 さゆりはまふゆの白衣の中をゴソゴソ漁る。そして一本の試験管を取り出すと3階へ続く階段の踊り場の氷の塊に思いっきり振りかぶって投げた。

 試験管は氷の表面に突き刺さり、そしてピキピキと音を立て割れ、そこから水蒸気が一気に立ち上り、目の前が真っ白になる。

 階段を駆け降りてくる水蒸気に驚くほのか、腕を前にやって守るような姿勢をとった。

「中和剤を試したことなかったけど、バッチリ効いてるじゃん」

 しばらくして水蒸気が収まった踊り場をさゆりは腰に手をつけ仁王立ちして見上げる。

「さぁてと行きますか」

 さゆりはほのかの方へと振り向いたが、そこにほのかの姿はなく、横たわるまふゆが寝息を立てていた。

「あ、あれ?」

 狐につままれたような表情をしたさゆりだった。


 ほのかは水蒸気が晴れる前に3階へ上っていた。ようじのいる病室の扉に手をかけた。

「お兄ちゃん!」

 ほのかが病室のドアを駆け込むように開く。目の前には前回に来た時にもあった4台の病室のベットがあった。しかし、その奥に前回にはなかった薄紫色のクローバー畑が広がっていた。クローバーはピンクの花を満開につけ咲き乱れ、花びらが舞っている。黄金の雲がその花畑の周りを覆いまるで非現実な幻想的な世界を作っていた。

 そして花畑の真ん中にはようじともう一人、知らない女の子がいた。

 ほのかの声に花畑の中央に座っていたようじは立ち上がる。

「ほ……のか?」

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