第26話 幸せの国
俺ってだれだっけ……。
「あっ、目が覚めた」
クリーム色の白い天井に同じような白いカーテン。そして俺のことを覗き込む顔が黒く塗りつぶされた茶色い髪の女の子。
彼女は病院の患者が着るような白い患者衣と呼ばれるものを着ていた。上着は浴衣みたいに前で紐をリボン縛りして止めており、下はズボンを履いていた。
「ずっと目を覚さないから心配していたんだよ」
「ここは……」
俺は起き上がった。頭がズキズキする。視界に入った手が思ったより小さかった。
「大丈夫?」
女の子は心配そうに俺の顔を覗き込む。表情は見えないが、明るい声色からそんな気がした。
「わからない」
俺の言葉に彼女は俺のおでこに手を当てて自分の額と体温を比べた。
「熱はないみたい。久しぶりに起きたから、きっと身体がびっくりしてるんだよ。そうだ! 食堂にいってご飯を食べよう。そしたらきっと元気になるよ」
彼女は俺の手を掴んで引っ張った。俺はそれに従ってベットから降りた。
彼女と俺は病室と思われる場所を出て、2人で廊下を歩いていく。
俺は素足で、前を歩く彼女も同じく素足だった。廊下の窓から見える外はクリーム色の雲のような霧がかかっていてあまりよく見えない。見たことのない景色に俺は不思議なところだなと感じた。
「ついたよ」
彼女の案内で広いスペースにテーブルと100席以上椅子がある食堂についた。
「誰もいない」
座席には誰も座っておらずシーンと静まりかえっていた。それどころか、今まで通って来た廊下でも誰ともすれ違わなかった。
「こっちだよ」
彼女は手を引っ張る。俺はその後ろをついて行った。
「このボタンを押すの」
彼女はそう言って壁についていた赤いボタンを手のひらで押した。
すると壁にある小さなシャッター扉が開き、お盆の上にオムライスとサラダ、オレンジジュース、そしてプリンが載って出てくる。彼女はそれを受け取ると、振り返ってボーとする俺に声をかける。
「ほら、あなたも押して見て」
彼女に促されて俺もボタンを押す。すると同じような料理が載ったお盆が出てくる。
「オムライスは久しぶり。ここの料理は美味しいの」
彼女はお盆を近くのテーブルまで運ぶとそこに置いた。
「あなたも早く来なよ」
手招きされて俺も彼女の隣に座った。
「あなた名前は?」
彼女はオムライスを頬張りながらそう言った。
「えーと……俺は……」
俺は言葉を濁す。なぜなら自分の名前が思い出せない。
「あー……思い出せないのね。大丈夫。みんな来た時はそんな感じだから、すぐに思い出すよ。私の名前は、はな。森咲はな。よろしくね!」
「よろしく……」
「元気ないなー。それじゃぁここでやっていけないぞ。おれくん」
「おれくん?」
「そう、あなた名前ないから私が名前をつけてあげたの。名前がないと呼ぶ時に不便でしょ? つまりあなたに名前をつけた私はママ。だからはなママって呼ぶんだよ。なんでも聞いていいから」
女の子はそうドンっと胸を張った。
「…………うまい、うまい」
俺は彼女から目を離してオムライスを頬張る。
「む、無視しないでよ〜!」
女の子はそう言って仏頂面でオムライスを食べる俺に抱きついて返事をさせようと揺さぶる。
「もう親切にしてあげてるんだから、年長者の話にはちゃんと耳を傾けなきゃダメでしょう」
「あんまり変わらないじゃん」
身長は俺よりも彼女の方が少し高いくらいだ。
「そう言う問題じゃないの。これはあなたが娘か私がママかの問題」
「意味わからないよ」
「あんまり乗り気じゃない? もしかして……あなたもママをやりたかったの?」
「……いや……別にーー」
「残念だったわね。ママ役は年長者優先よ。つまりここに長くいる私がママ。後から来たあなたはまだベイビーなの」
「話がクレイジーだよ」
「大丈夫。大人になったらきっとわかるわ。まだ子どもだものわからないのは当然」
「君も子どもだよね」
「シャラップ! まったく話の聞かない子を持つとママは大変だわ」
彼女は食べ終わったプリンの容器をお盆に置いた。そして手を合わせてごちそうさまをする。先に食べ終わっていた俺も一緒に手を合わせた。
食べ終わったお皿は、そのままにして彼女と俺は席を立つ。
「どこいくの?」
「こっちに素敵な場所があるの」
彼女は俺の手を引いた。
そう言って廊下を進むと窓の外に眩しいくらいに輝く光の柱があった。
「はな、あそこはなに?」
「…………」
はなから返事はない。どうやら呼び方が違うようだ。
「まま、あそこはなに?」
「あっ、あそこは行っちゃダメな場所」
「なんで?」
「みんなあそこにいくと帰って来ないの。だから行っちゃダメ」
はなはその光の渦を眩しそうに眺めていた。俺は彼女の横顔を眺める。
はなは遠くを見ているようだった。きっと俺以外にもこの場所に来た人はいるのだろう。
彼女は俺の手を強く握った。まるで俺がそこに行かないように願ってるようだった。
「うん、行かない」
俺の言葉に彼女は俺の頭を撫でた。
「いい子。いい子」
恥ずかしい。だけど髪の毛が逆撫でられると気持ちよかった。髪型がボサボサになる。俺は両手を使ってくしくしと髪型を整える。
「くしくし」
「くしくし?」
それをはなは首を傾げて不思議そうに見ていた。
「ここだよ」
はなが引いていた手が止まって彼女が扉を開ける。
「わあ、すごい」
開かれた扉の先に思わず声が漏れた。
一面シロツメグサの花が咲き誇る花畑。薄らとクリーム色の霧がかかり幻想的な世界が広がっていた。空を見上げるとこの広場を囲うように雲が丸く囲っており、その隙間から星がポツポツと小さく光る夜空が見えた。
「ねっ、綺麗でしょ?」
彼女は俺の手を引いて花畑の真ん中へと連れていく。
そして花畑に座り込むと、彼女は近くにあったシロツメグサを抜いて何か編み始めた。
「ここのクローバーは四葉しかないの」
彼女の言った意味を確認するように、俺は手元にあるシロツメグサを見た。そのどれもが葉っぱが4枚だった。
「だからとても特別な場所なの」
彼女はそう言って作った花冠を俺に差し出した。
「はい、どうぞ」
顔は見えないが彼女の明るい声色から笑みが浮かぶ。すごく楽しそうだった。
だから、俺が受け取ろうとすると、受け取る前にその口元から笑顔が消えたことに驚いた。
「どうしたの?」
彼女は俺の後ろを見ているようだった。
俺は後ろを振り返る。
そこにはさきと同じように顔が黒く塗りつぶされた女の子が立っていた。
ただ、はなと違うのは俺ははなのことは知らなかったが、その女の子は知っているということだ。
夢で一度だけ見たことがある。
「お迎えきちゃったね」
はなは作ったの花冠を自分の膝の上に戻し、残念そうに呟いてうつむく。
「帰らなきゃいけないみたい」
「帰る?」
「うん、ようじは帰れるんだよ」
はなが初めて俺の名前を呼んだ。
俺は後ろを振り返る。女の子が俺に手を差し伸べていた。
俺は、はなの顔を見ると、彼女はコクンっと頷いた。
俺は手を掴んで立ち上がる。
「はなも一緒に」
俺の言葉にはなは首を横に振った。
「私は帰れないの」
「どうして?」
「私はね。もうここにしか帰る場所がないんだ」
はなはそう寂しそうに言った。
「じゃぁ……俺もーー」
残ろう。そう言おうとした言葉をはなに遮られた。
「ダメッ!!」
信じられないほどのはなの大声に俺は目を見開いてびっくりした。
「どうして」
「はなは、はなはいいの。ここで1人でも平気だし。ようじのおかげでママになる夢も叶ったから。だからね、ようじ。ママの言う通りに早くここから帰って」
彼女は手元にあったシロツメグサの花冠を手が震えるくらいギュッと握った。
「はな……」
俺は手を離し、はなの前にしゃがみ込んだ。
「泣かないで」
「なっ、泣いてない。ママは強いの。だから泣いてなんかないっ……」
そういいながらも彼女の顎の下にポタポタと雫が落ちていく。
「ねぇ、はな」
「…………」
返事はない。どうやら呼び方が違うようだ。
「ねぇ、まま」
「なに?」
はなは顔を上げて私を見た。
「また遊ぼう。約束」
そう言って私は小指を差し出した。
はなは最初にそれを見て何を言われているのかわからないようだった。だから、しばらくの間キョトンとしていて、やがて何かに気づいたように自分の腕でゴシゴシと涙を拭いた。
「うん、遊ぼう」
はなの小指は俺の小指と結びつく。
はなと俺は言葉なく2回指を揺らし指切りをした。
「花冠くれる?」
「……これ、強く握って花潰しちゃった」
「ダメ?」
「新しく作るよ」
はなの言葉に俺は顔を横に振った。
そしてはなと呼びそうになった口をつぐんで言い直す。
「ままが私のために初めて作った花冠がいい」
俺の言葉にはなの肩が大きく上がり、ゆっくりと息を吐いた。
「まったくさいごまでわがままな子。これでお別れね。本当に独り立ちが早いんだから」
はなは俺の頭に花冠を乗せた。
「私より大きくなって」
俺の身体はもう小さくなかった。自分のこともわかる。
俺は立ち上がった。
後ろで待っていた女の子の手を取る。
そして歩き出した。
女の子はクリーム色の雲の方へと俺を連れていく。
「またね、またね。ようじ」
はなが花畑で大きく手を振っていた。
「また……いつか」
俺が振りかえすとフッとはなの顔にかかっていた黒い影が消え、彼女に素顔が見えた。
俺の姿が見えなくなるまで手を振るはな。
彼女は目元に涙を浮かべながらも笑っていた。
俺は前に進む。クリーム色をした雲の明るさは進むごとに暗くなっていた。そしてだんだんと濁り始め、曇ったような色になり、やがて真っ暗くなっていく。俺は彼女の手を離さないように暗闇の中を早歩きで進む。そしてやがて小さな白い光を見つけ、その場所へと向かって行った。その時に、手を握っていた彼女の姿はどこにもなかった。
俺は目を覚ます。
白い天井に、白いカーテン。窓の外には青空と小さな雲が漂っていた。
「ここは?」
あたりを見回すとベットに片腕を枕にして顔を伏せた妹のほのかの姿があった。彼女のもう片一の手は俺の左手を握っていた。
「ほのかぁ、起きろ。なにがあった」
俺は寝ているほのかを揺さぶった。
「ふぇ、お兄ちゃん?」
口元に涎を垂らして寝ぼけまなこで俺を見るほのか。
「お兄ちゃんが起きてる……」
「起きてちゃまずいのか?」
俺の問いかけにほのかは納得したように顔を下げた。
「あっ……夢か〜〜ぐぅ……」
ほのかは再び、寝ようと顔をうつ伏せた。
「こらぁ〜! 寝るなほのか! 起きろ。説明してくれ。なにがどうなってるんだ?」
俺はわけもわからず喚き散らす。
どうして俺は患者服を着て病院で寝てるんだ。
「ほのかぁ! 起きろってば」
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