第19話 おれ、幼女。悩む。4

 ほのかはそう言って笑った。俺は彼女に抱きしめられようやく安心できた。そして胸に突っかかってたものがスーッと消えていった。


「……そろそろお話いいですか?」


 俺たちの背後から聞き覚えのない声がかかった。


 俺とほのかは後ろを振り向く。


 そこには長い白髪で色白な、まつ毛までも白い女性が白衣を着て、ベットに膝をついて俺たちを見ていた。


「……学生以来ですね。お久しぶりです先輩。元気にしていましたか?」


「な、なんでまふゆ。お前がここにいる」


 そこには俺が大学生の時の後輩。筑波まふゆがいた。


「なんでってここが私の勤め先だからです」


「勤め先?」


 俺が首を傾げていると、病室のドアが横にスライドしてバシンっと大きな音を立てて開いた。


「ようじちゃん……」


 そこには髪を振り乱した警察のお姉さんがいた。


「…… お姉ちゃんねーね。病院の扉を開けるのに大きな音を立てるのは……不謹慎です」


「いや、知らないうちに背後にいるお前も同じようなものだろう」


 ん、お姉ちゃん?


「私の研究室に私がいてはいけない理由などないです」


 そう言って彼女はベットの下から、皿に乗ったティーカップを取り出し、優雅にカップに口をつけ紅茶を嗜み始めた。


「うーん。デリシャス」


「お前の研究室? それに警察のお姉さんがお前のお姉ちゃんって」


「そのままの意味です。ここは私の仮住居兼研究室。そして警察官の筑波なつきは私の姉。と言ってもつれ子同士の再婚で血が繋がっていません。しょせん赤の他人です」


 赤の他人という言葉に反応して警察のお姉さんが「赤の他人なんてひどい! たった一人の姉妹でしょ」と頬をぷくっと膨らませて反論する。するとそれに対してまふゆは「生物的には他人で戸籍上は家族。つまり赤の他人です」とカップに口をつけ冷たく返答する。その言葉にお姉さんは、頬をフグみたいにぷくぷくぅとさらに膨らませた。その姿が可愛かった。

「姉妹なのはわかったけど、おれとほのかが話している時に、お前はいったいどこにいたんだ」

「どこにってここにいました」

 まふゆはベットを指差した。

「いやここにいなかっただろう」

「いや、いました。この下に」

 ん、この下?

 俺がベットから降りて下を覗くと、そこにはちょうど人が一人分くつろげるくらいの窪みがあった。窪みにはパソコンのモニターや飲料、布団まで持ち込まれ、完全なる生活スペースになっていた。放り投げられていた薄紫のブラジャーはうん、見なかったことにしよう。

「観察対象のデータが効率よく手に入るベストポジション」

 まふゆはベットの下から顔を上げた俺に親指を突き立ててドヤァとした顔をした。

「そして先輩の話は聞いた。お金がないなら私が養ってあげる。食事はもちろん作るし、お小遣いだってあげる。先輩をヒモにするのは私の小さな夢だった」

「いや結構です」

 俺はまふゆの申し出を断った。

「……どうして? 私、こう見えても結構高収入、銀行の通帳には億にいくほど入ってる。それでもダメなの? だったら仕方ない。わがままな先輩には一緒に布団に添い寝する権利もつけてあげよう」

「そんな生やさしい問題じゃない。お前に養われたら三食ぜんぶ固形の携帯食料で、おまけに布団は寝袋だろ。何年お前の面倒を見たと思ってるんだ」

「違う、携帯食料はちゃんと袋から出してお皿に盛り付けてる。私の自慢の手料理。ちゃんと栄養も考えてビタミンの錠剤もつけてる。完璧。寝袋はオーダーメイドで究極な睡眠ができるコストパフォーマンスが最高にいい」

「袋から皿に盛り付けるのは手料理とは言わない。一緒に寝袋で寝て愛を感じるには野外のテントキャンプだけだ。毎日寝るのは違う」

「しかし先輩。生存競争ではいかに環境に適応できたものが生き残る。つまり、効率が正義」

 そう言ってまふゆは俺にぐいっと顔を近づけた。

「何事も試してみないと始まらない」

「恋愛に効率を求めてる時点で嫌だ。そんな生活、俺の精神が持たない。なぁ、ほのか。お前も横で静かに聞いてないで何か言ってやれ」

 俺の呼び声にほのかは布団の上に正座をし、まふゆに深々と頭を下げた。

「お兄ちゃんをどうぞよろしくお願いします」

「ほ、ほのか!?」

 突然の妹の裏切りに俺は驚く。

「お兄ちゃん、こんなチャンスなんて滅多にないよ。玉の輿だよ。玉の輿」

 ほのかは握った両手を脇でぶんぶんと上下に振って勧めてくる。

「いやそれでも……」

「それにお兄ちゃん。私だっていつまでも一緒にいられるわけじゃないよ」

 妹は真剣な顔をして俺に向き合った。

「えっ、ほのか……お前どこかに行くのか。こんなお兄ちゃんを置いて……」

「お兄ちゃん……妹はお兄ちゃんとは結婚できないの。現実を見て強く生きて」

「その言い方だと俺がまるで妹が好きな変態みたいじゃないか」

「えっ違うの?」

「…………」

「あっ黙った。お兄ちゃんは都合が悪くなるとすぐ喋らなくなる。よしよし、大好きな妹が甘やかしてあげるからね。ほれほれ〜」

 ほのかは俺のほっぺをもちもちとこねくり回した。

「やめろ!」

「あっ、ごめん。つい感触が良くて」

「こんなところで恥ずかしいだろう」

俺が拗ねるように言うと、ほのかは口元に手を当てにししと歯を見せ笑う。

「ふーん、じゃぁ人の見てないところならいいんだ」

「そ、そんなこと言ってない」

「言った〜」

「言ってない」

「……へぇ妹にそんなこと言っていいんだお兄ちゃん」

「なんだよ」

 邪悪な笑みを浮かべる妹から俺は距離をとった。

「ふっふっふ、この世のものとわ思えない恐怖を味合わせてやろう」

「ほのかお前……手をそんなに細かくわきわき動かして。な、何をするつもりだ!」

「それはひみつだよ。お兄ちゃん」

 ほのかはベットの上で逃げ場をなくした俺に覆い被さると俺の脇腹に手を伸ばした。

「や、やめろぉおおお」

「ほぉら、こちょこちょこちょ!」

 俺は脇腹をくすぐられて身をよじる。そして絶え間なく来るむず痒い刺激と傷の痛みに悶えた。

「はぁ、はぁ、はぁ。もうお婿にいけない」

 ベットの上で涙を流し、男として大事な尊厳を失った俺は妹に背を向けたまま力尽きていた。

「……大丈夫。お兄ちゃんをお嫁にもらってくれる人はたくさんいるよ」

 そう優しくほのか言った。

「それは慰めになってない。むしろトドメを刺しにきている」

 なんて妹だ。兄の嫁入りを考えているなんて。

 そうしてぐったりとしているうちに、俺の手をまふゆが両手で包み込むように握った。

「安心して、私の隣はいつも先輩のために空けている。先輩モルモットにウェンデングドレスを着せてあげられるのは私しかいない」

「それは結婚相手じゃなくて都合のいい実験動物の間違えだろう。それにお前は空けているじゃなくて相手がいないだけだろう」

「女性の熱烈な求愛を断るのは男として情けない」

 まふゆはぷくーとほっぺを膨らませて怒った。

「確かに女性からプロポーズをされて嬉しくない男性はいない。しかしそれは意中に思う相手に限定される。俺は鳥籠と結婚指輪エンゲージリングを交わしたくない」

「……そう、断ったことあとになって後悔しても知らない」

 俺の言葉にまふゆは機嫌を悪くしたのかプイッとそっぽを向く。

「一生しません」

 俺はきっぱり答えた。

「わかった。とりあえず結婚は諦める。だから血液をちょうだい。女性になった男性のサンプルが研究材料として欲しい」

 まふゆは注射器を白衣の中から取り出し両手に構えて言った。

「そう言うところだよ。お前」

 俺は突拍子もない、まふゆの行動に呆れた。

「?」

 まふゆは首を傾げてきょとんと俺を見た。

 こいつは学生の頃から変わってない。

「そういえば……」

 俺は心配して来てくれたなつきさんの存在思い出し、振り返る。するとなぜか彼女は満遍の笑みを浮かべ目を瞑り「ありがとうございます。ありがとうございます」と俺たちを拝んでいた。

「……なつきさん?」

「はっ! なんでしょう」

 口元の涎をジュルッと拭い、なつきさんは顔をあげる。

「お待たせしてすみません」

「いいえ、全然お構いなく。むしろご褒美です」

「ん?」

 なつきさんなんか変なこと言わなかったか?

「それにようじちゃんが無事でよかったです」

「お姉さん……」

 どうやら空耳だったようだ。

 俺は感動してジーンとなる。やっぱり、赤の他人である俺をここまで心配してくれるなんて、すごくいい人だ。

 そんな俺のことをまふゆがじっと見つめてくる。そして自分の胸となつきさんの胸を交互に見比べて「……胸、胸なのか」と呟き、自分の平らな胸を撫でた。その手がスカスカと空を撫でていることに俺は同胞として笑うことができなかった。

「ようじちゃん。危険なことがあったから、私ができる限り守ってあげたいけど、仕事があるから、残念だけどいつも一緒にはいられないの。その代わりいいもの持って来たから安心して」

「いいもの?」

 なつきさんは紙袋の中から、ひし形をした青い物体を取り出した。ちょうど手のひらサイズのものだ。

「なんですかこれは?」

「これはね。見てて」

 なつきさんが触るとその結晶は空中に浮かび止まった。

「まふゆちゃん、モニター借りるね」

「ダメです。ねーねには絶対に貸しません」

「どうせエッチな動画でも見てるんでしょ?」

「アニマルビデオは健常な動画です」

 あー猫とか犬とかの動画か。あれは癒されるよね。

「人間同士のものは違うでしょ」

 うん、どういうことだ。

「それは研究対象」

「なんの?」

「先輩との後学のために」

 自信満々に答えるまふゆになつきさんは頬に手を当て困った顔をした。

「まふゆちゃん私も人のこと言えないけど、それって変よ」

「?」

 姉の言葉に首を傾げるまふゆ。

 俺はなんとなくお姉さんの言いたいことがわかった。

 まふゆは確かに研究者としてすごい才能を持っているが。その反面、常識や生活力が欠如してる。

 俺は大学生だった頃の彼女を思い出す。

 平気で人の弁当は食うし、平気で男の部屋で寝る。そして平気でいつのまにか住んでいる。それが筑波まふゆだ。

「それでこれはなんですか」

 ほのかが気になってツンツンと触ると、結晶はくるくる回った。

「これはダンジョンで冒険者の活動を撮るために作られた、自立結晶型カメラよ。よく冒険者が自分とモンスターとの戦いをインターネットにあげる時に使ってるわ」

「へぇそんなのあるんだ」

 俺がほげぇーとした顔で言うと妹は俺のことを見た。

「お兄ちゃん知らなかったの」

「うん、知らない。おれ、あんまりインターネットとか興味ない」

「……だと思った。なつきさん。これの使い方をお兄ちゃんに教えてください。そのあとで私に動画の編集の仕方を教えてもらってもいいですか?」

 ほのかの申し出になつきさんは嬉しそうに手を合わせた。

「本当! ほのかちゃんわかってる! すごく助かるわ。協力してやりましょう」

「はい!」

 ほのかとなつきさんは手を組み合いいつの間にか仲良くはしゃいでいた。

 うん、女子ってよくわからん。


 その後、俺は軽い検査や検診をしたら、すぐに退院できた。

 と言っても帰りが遅かったのでファミレスで夕食にしようとほのかに言われた。そんな金はないと話すと、家にも料理を作る食材がないと申し開きされ渋々入る。

 ファミレスでは俺はハンバーグ。ほのかはオムライスを頼んだ。

 味は俺が作るよりうまい。

 お金はもちろんほのかが払ってくれた。

 ファッション雑誌の読者モデルなどしてお金を稼いでるらしい。俺はそんなこと知らなかった。なんの雑誌と聞いたら「恥ずかしいから言わない」とそっぽをむかれた。

 変な妹だ。

 家に帰ってからは布団を敷く。

 そして部屋の明かりを消して布団に入った。

 しばらくして。

 寝れない。

 なんか一人で布団に入ってるのがすごく怖い。

「ほのかぁ」

「なに、お兄ちゃん?」

 ほのかは少し眠りかけていたのか片目を眠そうに手で擦って起き上がる。

 俺は自分の枕を抱えほのかの布団の前に立った。

「……一緒に寝ていい?」

 ほのかに聞こえるかどうかわからない。消えそうなくらい小さな声で言った。

「いいよ。お兄ちゃん」

 ほのかは自分の布団を上げてそこをポンポンと叩いた。

 俺はその場所に潜り込み、ほのかの隣で横になった。

 妹の顔は息がかかるくらい近い。

「なんだか昔みたいだね。あの時は、私の方から言ったんだけど……」

 ほのかは眠そうに目を開けたり閉じたり船を漕ぎ始める。

「んー」

 俺は目を合わせないように視線を自分の手に向けた。

「今は……逆だね……」

 スースーと寝息を立てる音が聞こえる。俺が顔をあげると、瞳を閉じて眠ったほのかの姿が見えた。

 俺は彼女に身を寄せると布団を頭から被った。

 理由はわからないが誰か隣に人がいると落ち着く。ほのかは今の俺より大きいから、まるで自分を守ってくれるみたいで安心する。これも俺が小さくなったからだろう。

 そうしていると俺の意識もだんだんとまどろみ落ちていく。

 俺は眠った。

 しかし、部屋にはもう1人、俺たちが眠りにつくのを待っていたものがいた。

 窓から差し込む月明かりに、墨を垂らしたような丸い影がポワポワと映る。

『キィ』

 その生き物はぐっすりと眠る俺を見てそう鳴き声を上げた。

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