第20話 おれ、幼女。知らないところで配信される。

『キィ』

 その生き物はぐっすりと眠る俺を見てそう鳴き声を上げた。


 翌朝、俺は布団から身体を起こすと、普段よりも頭が重いことに気づいた。


 頭に何か乗っているそんな感覚だ。


 俺は後頭部をぽりぽりと手で掻くと、くわぁ〜と大きな口を開けてあくびをする。


 そして四つん這いになって「ん〜」と猫のように背伸びをして身体を伸ばした。


 隣にはまだほのかが寝ている。


 寝息を立てている彼女を起こさないように、俺は脱衣所の洗面台に向かった。


「あぁ、冷たい」


 蛇口を捻って水を出し顔を洗う。


 ピシャ、ピシャと何度か顔に水をかけまだ半分寝ぼけたまま、俺は鏡を見た。


 見慣れてきた幼い少女の顔。


 ただ今日は頭上に黒い猫耳を生やしていた。


 ん? なんだこれ。ほのかの悪戯か?


 俺は自分の頭にあるその耳を触って見る。


 耳はぴょこぴょこ動いた。


 体温があり、まるで生きているように感じる。


 俺はその猫耳には見覚えがあった。ダンジョンのゴージャスな宝箱から出てきたコスプレ用のつけ耳だ。


 確か持ち帰ってからは部屋の隅に放置してあった。


 それがなんで頭から生えてる?


 俺は耳があった場所を触る。


 ない。


 耳がないのだ。


 俺の耳がなくなっているのだ!!


「ほ、ほのかー!」

 俺は慌てて駆け出し、廊下と脱衣所の段差に転びそうになる。

「おっととと」

 ピーンと身体と尻尾を伸ばしバランスをとる。そしてそのまま一歩踏み出し居室へ駆け込む。

「おれの耳が、猫に、耳が猫に……」

「なにお兄ちゃん? 朝から……」

 ほのかは布団から眠そうに起き上がり、座ったまま俺のことを見上げた。

「耳が猫耳になってる!!」

「あーうん。猫耳、生えてるね。あと尻尾も……」

 ……しっぽ?

 ほのかの言葉に俺はお尻を素早く触る。

 ちょうど尾てい骨あたりのところにゆらゆらと横に揺れる尻尾が生えていた。

「な、なんだこれー」

 俺はあわてふためき、その場で尻尾を追いかけぐるぐる回る。

「お兄ちゃん落ち着いて」

「これが落ち着いてられるか。ほのかはなんでそんなに落ち着いていられるんだよ」

「だって、お兄ちゃん女の子になっちゃったし、別に猫耳が生えたくらいで驚かないよ」

 あっ、そうだ。俺、女児になってたんだ。

「あ……うん。なんか落ち着いたわ」

「お兄ちゃんどうする。とりあえず病院に行く?」

「病院ってまふゆのところか?」

「うん、なつきさんに事情話して、診察してもらえるようにするけど」

「いや、いい。どうせ原因がわからないと思うから。それよりダンジョンに行かないと」

「お兄ちゃん怪我は大丈夫なの?」

「ん? なんか寝て起きたら全然痛みない」

「いやでも、まだアザとか……」

 ほのかは俺のほっぺに貼ってあったガーゼをビリリっと剥がした。

「うそ……治りかけてる」

 俺の頬をほのかが触る。チクっとした痛みが走る。しかし、そんなに痛くなかった。

「……アザのあとが残るかもしれないって言われてたのに」

「子どもの回復力すごいな」

 感心する俺に、ほのかはじっと視線を向けた。

「な、なんだよ……」

「もしかしてこの耳が関係してたりするの」

「えっ……? よくわからない」

 耳のおかげで回復したのか? それはちょっと都合が良すぎるだろう。ただ怪我の治りは普通より早い。

「やっぱりまふゆさんに見せに行こう。こういうのはそのままにしとくと危ないよ」

「それはそうだけど」

 俺はほのかから目を逸らす。確かに彼女なら、どうしてこうなったかという原因は解明できるかもしれない。

 研究材料として俺が拘束され、そのまま囚われの身になることもセットで考えなければ。

「でもな……」

 そんな病院に行くことに気が乗らない俺にほのか疑問を感じたようだった。

「お兄ちゃん、まふゆさんと何かあったの?」

「うぅ……それは……」

 俺は昔のことを思い出す。

 大学生の頃、俺は学業を行いながら駆け出し冒険者としてダンジョンに潜っていた。しかし、駆け出し冒険者のためまともに稼げず、金に困っていた。

 反対にまふゆは飛び級で大学を合格し、築いた功績の中にいくつか特許を持っていたので私生活に困らないほどお金に余裕を持っていた。

 ただ、ダンジョンの素材が中々入手できず、研究がうまく進まいで困っていた。ダンジョンの材料は冒険者が偶然入手できたものに限られるので実験に必要な決まった量の素材は入手が難しかった。

 俺たちは大学の食堂で一緒になり、たまたま同じ素うどんを頼み、同じ席に隣同士に座り、たまたま箸をつけるタイミングが同じで、うどんを食おうとして口の前で止まり、たまたま一緒にため息をついた。

 その時、俺たちはお互い顔を見合わせた。

 なぜなら、お互いのことを話したことはなかったが知っていたからだ。

 まふゆは年齢と背の小ささも相まって大学内では知らない人はいない。そして何度かテレビの取材も来たほどの有名人。反対に俺は学生なのに冒険者をやっている学内一の変わり者。


 ーーこいつ、金払えば材料集めにしてくれないかな。

 ーーこいつ、素材集めるから金くれないかな。


 考えることは同じだった。

 俺たちは無言で視線でやりとりをして、利害が一致した。お互いに、がっしりと厚い握手を交わし交渉は成立する。

 こうして俺たちは協力し合うようになった。

 それからまふゆが探して欲しいと指示した素材を俺がダンジョンで見つけて彼女に渡し、また依頼された素材を探しにダンジョンに潜る。しばらくはそんな日々が続き、彼女とは緩い雇用関係を築いていた。

 しかし、そのうち、まふゆが飯をたかりに俺の部屋に転がり込むようになって、それが常態化し、やがて彼女の私物が俺の部屋の半分を占めるようになった。まぁ俺も別に気にしていなかった。手に入れた素材は渡しやすかったし、家賃もほとんど負担してもらえた。食費もまふゆの分を俺が食事を用意する条件で俺の分も払ってもらえたから浮かせられた。貧乏学生にとっては嬉しい限りだった。

 しかし、それにまふゆに新しく開発した栄養ドリンクの効果を試したいから研究室に来てくれと呼ばれるまでだった。

 その研究室で俺は睡眠薬入りの飲み物を飲まされた。

 そして次に目が覚めた時、俺はパンツ一丁で手首に手錠をかけられ拘束されていた。

 状況が把握できない俺に、まふゆは惚れ薬を開発したから、実験に付き合って欲しいと話した。そしてカーテンを閉め切った部屋でなにやら見慣れない小瓶に注射器の針を挿入して、注射器の中を液で満たし、俺にゆっくりと近づいてきたのである。

 それを見た瞬間、俺は扉に体当たりして、大学の研究室から逃げ出した。

 パンツ一丁で大学の廊下を駆ける男。

 その噂は大学中に広がり。その以降、俺に話かけて来る女性はまふゆ以外誰1人もいなくなった。男友達の間では俺は日中の廊下を半裸で走る変態となり、俺の大学生活はこうして幕を閉じた。

 それ以来、俺はまふゆと2人っきりになることを極力避けていた。

 自宅のアパートには帰らず、気のいい知り合いの部屋を迷惑にならない程度に梯子してまふゆに居場所がバレないよう泊まるようにした。そうしたらいつの間にかまふゆは俺の家から姿を消して研究室に住み着くようになった。

 俺は自宅のアパートに戻った。

 まふゆが事を起こして半年後のことだった。

 まふゆが研究室に住み着いたのは、理由があった。簡単に言うと俺と会うのに効率がいいと気づいたからだ。

 逃げ回る俺も研究室には金銭収入を得るために訪れる。俺は仲のいい教授を連れて行き。毎回、依頼を聞きに行った。

 そうして前と少し違うが、安定した雇用関係に戻った。

 ただ俺は彼女から差し出されるものは全て受け取らず断っていた。

 大学を卒業してからは会うこともないと思い住所や連絡先も伝えていなかった。また転がりこられても困るからだ。

 それなのに、出会ってしまった。

「苦手というか……」

 俺は言い淀む。嫌いではない。好きかと言われれば、手のかかる妹のようなものだ。

「お兄ちゃんにはもったいないくらい、美人だと思うだけど」

「うん、おれにはもったいない。だから別の人をモルモットにして欲しい」

 まふゆが普通の女の子なら、俺も素直に嬉しいし、お付き合いしたいと思う。しかし、彼女は普通じゃない。そして今の俺は幼女だ。

「素直じゃないなー、お兄ちゃん」

 素直とかの問題じゃないんだよ。命の危機があるんだよ。

「と、とにかく……病院に行く時はほのかも一緒に行ける日にしてぇ!」

「お兄ちゃん。なんで、そんな小動物が命乞いするような泣きそうな顔をするの。仕方がないな。怖がりなお兄ちゃんは妹が行ける時に一緒に行ってあげるよ」

「ほのか〜!」

 俺はぱぁーと顔を輝かせる。

「それまで何か様子が変わったりしたら、ちゃんと報告してね。あと、ダンジョンにはまだ行って欲しくないけど、行くなら危険なところや無茶はしちゃダメだからね。傷は治ったとはいえまだ病み上がりなんだから」

「うん、わかった」

 俺はこくっこくっと頷いて返事をする。

 ほのかは布団を片付け、薄ピンク色をしたガーゼのパジャマを脱いで制服に着替える。そして「んー」と背伸びをしてからキッチンに向かって朝食を作り始めた。

 俺はお皿を並べたり、レタスを千切る係をする。

 オーブントースターで食パンがチンっと焼ける音がした。俺は熱々の2枚の食パンを取り出し、バターを満遍なく塗る。その上にほのかが焼いた目玉焼きを乗せて、あとからとろけるスライスチーズを乗せた。

 あとは深皿に盛ったヨーグルトにシナモンを一振りかけとハチミツを垂らし、終わりにサラダにプチトマトを乗せて、朝食は完成。

 一人の時はパン一切れで済ましていたからだいぶお腹いっぱいになるメニューだ。

「お兄ちゃん口にマヨネーズついてるよ」

「はふっ、はむっ!?」

 俺は口いっぱいにパンを頬張り食べていた。

 ほのかは腕を伸ばして俺の口横についたマヨネーズを指で拭った。

「本当、子どもみたいだね。お兄ちゃん」

「ふがっー! ふがふがふが」

 違う、子どもじゃないと言ったがほのかには伝わっていないようだった。

「お兄ちゃんなに言ってるのかわからないよ」

 そう言ってほのかは窓から差し込む光に照らされ笑みを見せた。

「行ってきます」

 朝食を食べ終わったてから俺は、ほのかに髪を二つ縛りの三つ編みにしてもらい。身軽に動ける格好に着替えた。

 映画でアメリカのアメフト部がよく来ている英語のRのロゴが入った黒いブルゾン。袖のところはクリーム色をしている。

 そしてその中に灰色のスェットパーカーを着込んだ。下は薄紺色のデニムショートパンツと寒くないように黒いタイツを履いている。

 本当は帽子で耳を隠そうと思ったが耳を折られると痛くてやめた。

「いってらっしゃい」

 ほのかはそう言うと、俺とは反対の、学校に向かう駅へと歩いて行った。

 俺は彼女の後ろ姿を立ち止まって見送る。そこでようやく少し寂しくなっている自分がいることに気づいた。

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