野獣
「さあ、お食べ」
母親が促すと、三人の子どもたちは一斉に食らいついた。
人気のない夜の森の中で行われている、とある家族の食事風景。
だが、はたから見ればそれは原始的なものであった。
子どもたちは十歳ほどの少年だが、みな緑色の肌をさらした裸であり、その身を隠すものはなく、ぼさぼさにした黒髪をのばし放題にしていた。
それは母親にもいえることで身長は二メートルを超え、筋骨隆々で豊満な胸や股間を見なければ男性に見える体躯をしており、身につけているものは何一つなかった。
「うめえ」
「男の体を喰えばもっと強くなれるんだ」
「ようし、俺も」
そうやって会話しながら生肉を口に詰め込んでいる我が子を見ながら微笑ましく思う母親。
この子どもたちは全て母親の単一生殖で産まれたため、父親という存在がなく、いわば母親の男性コピーなのだが、その時の食事で変化するため、体型や性格に違いがあった。
「──誰だい?」
気配を察し、呟くように言いながら母親は視線を向けた。
「!」
「?」
「……」
子どもたちもその手を止め、母親と同じ方向を見ると、そこに一人の少女がいた。
黒髪をボブカットにした十歳くらいの少女は両腕が透けた黒のワンピースを着ており、その手には細かい装飾が施された軽金属製の黒い大鎌があった。
「こんばんは。わたしはエル。死神だよ」
小さいがはっきりした声で言う少女。
白すぎる肌と母子を見る紅い瞳、そして少女の身長より少し長い象徴的な大鎌がその言葉に偽りがないことを証明していた。
「ほう? かわいい死神さんじゃないか。その死神さんがいったい何の用だい?」
別段、驚くこともなく軽い感じで問う母親。
「あなたたちを刈りにきた」
それに対し少女も冷静すぎる口調で答えた。
「あたいらを刈る? 狩るじゃなくてね。くくく……。おもしろい。さすが死神さんだ。でも、死神ってのは悪党を始末するんだろう? あたいらは別に悪さなんてしてないよ。普通に獲物を喰って子育てしてるだけさ」
「たしかにそれだけなら問題ない。だけどあなたたちは栄養として食べる必要のない人間を食べている。それが問題」
そう言って少女が目を向けると、そこには登山で訪れた若い男性の死体があった。
そして、その死体を囲むように三人の子どもたちがいて、手には男性の血がついた肉が握られていた。
「問題かい? 食べ物の趣向が変わっただけじゃないのさ」
飄々と言う母親に対し、少女はふるふると首を横に振った。
「問題だよ。だってあなたたち野獣は人間を食べないことで神に許しを得た存在。それを反故にしたのだから、報いは受けなければならない」
「へ! そんなの何千年前の話だい? 年よりの神どもが決めた、腐ったもんだろうが。いまを生きるあたいらには関係ないね」
「関係あるよ。だって決まりは変更はされていない。変更されていない以上、あなたたちの行いは悪」
「ああそうかい。じゃあ、帰って老害の神どもにクソッタレて言っときな」
「そうはいかない。わたしがあなたたちを刈り取る」
譲れない視線をぶつける母親と少女。
──すると、音もなく一つのボールが転がってきた。
直径二十五センチほどの茶色いボールは子どもの背後にくると、中央から外へ花が開くように展開され、奥から人間と同様に並んだ歯が現れて上下に開いた。
「う、うわ──────────!」
「ぼうや!?」
叫び声に目を向けると、そこには正体不明のものに下半身を飲み込まれている大事な我が子の姿があった。
二人の兄弟は何が起こっているのか理解できず、驚きの表情でその様子を見ていた。
「ぼうや!」
大地を蹴って跳び、救出しようとする母親だったが、のばした手はあと一歩及ばず空を握った。
と同時に子どもを飲み込んだ茶色いボールは底部から白い煙を吹き出すと、そのまま姿を隠した。
「く、これは……、花の臭いか。しかも魔力まである」
大柄な母親も余裕で包むほどの多量な煙は、視覚、嗅覚とともに魔力などによる探知も封じる効果を持って辺り一帯に広がっていった。
「ぼうや」
我が子の安全を確保しようと、母親は姿勢を低くして両腕をかいだ。
だが、抱き上げようとした子どもはそこになく、無意味に煙をないだ。
「ぼうや、どこにいるの? ぼうや!」
さほど離れていないはずだが、どんなに探しても子どもに触れることはできなかった。
「ぼうや……」
「わ、わ──────────!」
「!?」
我が子の叫び声を聞き、その方向へ跳ぶ母親。
「ぼうや、ぼうや」
煙をかきわけるようにして子どもを探すが、そこには何もなかった。
「か、母ちゃ……」
「ぼうや!?」
もう一人の子どもの声が僅かに聞こえ、母親はそちらへ跳んだ。
さきほど同様、子どもの感触はなかったが、かき分けているうちに煙ははれ、もとの暗い夜の森が現れた。
死神の少女は動くことなくその場にいて、足元には茶色いボールがあった。
若い男性の死体もそのまま。
だが、子どもたちの姿もにおいもなかった。
それによって、子どもたちは全員、始末されたと察し、母親は愕然として膝を落とした。
「ぼうや……」
わなわなとふるえ、涙を流すが、それはやがて筋肉を怒張させ、長い髪が天を憎むように逆立った。
「あなた、怒っているの?」
「ああ、そうだよ……」
「どうして?」
「どうして、て。そりゃあ、大事な我が子を殺されたら、怒らない親がいるのかい!」
冷静に訊く少女に対し、血涙を流す怒りの目で見る母親。
全身から溢れ出すそれを拳にのせて、母親は少女に殴りかかった。
当たれば少女の上半身が吹き飛んでいたであろう一撃だが、そうはならなかった。
「残像?」
目では少女をとらえていたが、母親の拳は空気をえぐるだけで本来の目的は達成されなかった。
「こ、このー!」
再点火したように怒りに任せて左右から拳を振るう母親。
だが、少女は残像を残しながらをそれら怒拳の連撃をかわしていった。
しかも残像は十秒ほど経ってから消えるので、つねに四、五体はある少女の姿に母親は苛立ちと混乱をきたしてきた。
「そろそろいいかもね」
そう呟くと、少女はパチンと左手を鳴らした。
「!?」
すると母親は突然、全身から力が抜け、前のめりに倒れた。
「わたしはかわしていただけじゃない。この鎌であなたを斬りつけていた」
訳が分からず動揺する母親に近づき、見下ろすようにして言う少女。
その言葉で母親ははじめて両手両足から切り傷による痛みを感じた。
極細で血がにじむていどのもののため、殴りかかっているときは気がつかなかった。
「そにれによってあなたの行動を刈り取ったし、あなたの血をギーに飲ませたことで経路ができた。あとは瞬間移動のようにギーがあなたを食べる」
「おのれっ……」
怒りと憎しみ、そして自分の不甲斐なさに、母親は鬼のような形相になった。
「だから、どうして怒っているの?」
「なにっ!」
「わたしはあなたがやったことやっただけだよ。あなたが捕まえて食べさせた男の人だって、親がいる子どもなんだから。感情的になるのは違うと思う」
「くっ……」
「そもそも人間に手を出さなければよかったのよ。さようなら」
少女がそう言うと、足元の茶色いボールが息を吸い込むような動作をすると、それに合わせて母親も吸い込まれ、その姿は一瞬にして消えた。
そして、咀嚼するようにボールは上下に動くと、飲み込んだようなかたちを見せて落ち着いた。
「あとはこの人だね。発見されるように導きの光を」
少女は男の死体の前に立ち、両手で大鎌を掲げると、目に見えない光が天から注がれ、理不尽に殺された者を照らした。
「わたしにできるのはここまで。来世は良き人生でありますように」
言いながら右手で大鎌をもち、跳ねてきたボールを左手で抱きかかえると、少女の姿は消えた。
──翌日。
捜索願を受けて派遣された捜索隊が早々と目標の救助者を発見した。
結果としては残念なものであり、親である老夫婦は涙枯れることなく泣き続けることとなった。
一方、発見場所では奇妙なものが見つかった。
身長二メートルほどの大きな人型が地面にあったのである。
そのため、事件性も考慮して警察が調べるが、男性のもの以外、人間に関係するものは見つからなかった。
そのため、一部の者はこう考えた。
人さらいの魔物が天罰を受けたのではないか、と。
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