人形

『 最高だな』


 男はあらためて思った。


 十メートル四方ある木造の部屋に男はいるのだが、そこは壁に沿って天井までとどく棚があり、それには全て人形がおさまっていた。


 身長が二十センチくらいで、糸をつければ操ることができる木製のもの。

 それぞれ世界各国の民族衣装をまとった五十体がそこで鎮座していた。


 そのうちの一体、ごく普通のサラリーマンという格好をしているものがり、男はその人形の視点から、幸せを感じていた。


 そもそも男はその人形のとおりの存在だったのだが、自動車どうしの事故に巻き込まれ、気がつくとこうなっていたのだ。


 意識はあるものの、身体を自由に動かすことはできないため、本来であれば気が狂いそうになるほどパニックを引き起こす事態だが、不思議と安心感に包まれ、大変だとは思わなかった。


 しかも食事や排せつやもちろん、出勤や各種支払いなどの心配がなく、ただただ何も考えずにぼーっと過ごしていればよかった。


 そして何より、ママの存在が一番だった。


 ママというのは男が勝手につけたものだが、全ての人形はそのママが作成した。


 背中までとどく緩やかな黒髪をした三十代くらいの女性であり、黒いドレスのようなものを着こなしているため魔女を連想させるが、ややおっとりした顔だちから母性が感じられた。


 ママは毎日、この部屋へやってきて、一体一体に優しく声をかけ、抱きしめていた。


 愛でられるこの時を、男は楽しみにしていた。


 こんな日が永遠に続けばいいと思っていた。



 ──だが。



「ぎゃああああ────────────────────!」


 突然の叫び声。


 男は驚いて、一瞬、何が起こったか分からなかった。


 だが、少しずつ冷静になっていくと、叫び声はママが発したものだと気づいた。


 汚く下品さを感じさせるが、いつも語りかける声で間違いなかった。


『ママ……』


 男はこの状態になってもっとも強く不安を感じた。


 すると、部屋の出入り口であるドアが静かに開き、一人の少女が入ってきた。


「私はエフ。死神よ」


 そう名のった少女は十歳くらいに見え、黒髪を左側のサイドテールにまとめた髪型をさせ、両腕が透ける黒のワンピースを着ており、右脇に抱えて何やら茶色いボールを持っていた。


「聞きなさい。あなたたちを縛っていた魔女はいまヴィーが食べた」


『え?』


「よって、人形に封じられていたあなたたちの魂を解放し、等しく人間に転生させるわ」


『人間……、転生!?』


 信じられない言葉が続いたが、男は状況を把握すべく順番に考えてみた。


 少女の言うとおりであれば、ママはヴィーという何かの生き物に食われた。

 そして少女は死神であり、その役割や能力から魂を動かすことができるため、人形から解き放ち、転生させるということのようだ。


『い、嫌だ。人間になんて戻りたくない』


 そう思っているのは男だけでなく、他の人形たちも同じようだった。


 少女はその雰囲気を察し、じーっと人形たちを見た。


「あのね、あなたたちは死んだの。もっと言うと、あの魔女に殺されたのよ。こうやって魂入りの人形を作るためにね。そして、死んだ魂は一度、冥府にいかなければならない。洗浄し、生まれ変わるために。だからこのままいても、魂が穢れていくだけ。いいことなんかちっともないわ。来世で楽しく動き回れるのが一番よ」


『……』


 そう言われても男にはピンとこなかった。


 たしかに少女の言うとおりかもしれないが、別に苦しい思いをしたわけではないし、むしろ心地よかった。

 それに生まれ変わったとして、本当に楽しくいられる保証もない。


 再び平凡なサラリーマンとして、仕事や金銭に追われる生活なら、まっぴらごめんだ。


 男は魂のまま横に振って拒否を示した。


「残念だけど、死神権限で拒否不可能よ。だって、あなたたちは死んでるんだからね。きちんとルールに従いなさい」


 すると少女は右脇に持ったボールを両手に持ち直し、人形たちが飾られた棚の前に向けた。


「それじゃあヴィー、よろしく」


 少女の声にこたえて、ボールの中心から外側へ花が開くように展開され、奥から人のように並んだ歯が現れた。

 その歯は上下に開くと、蒼い空気が吹き出され、人形たちに浴びせられた。


 蒼い空気を浴びた人形は、天に向かって光の粒が弾けるようにして魂が本来行くべきところへと飛んでいった。


『ま、待ってくれ。俺は、このままがいいんだ!』


 男の思いもかまわず、その魂は飛んでいった。


 仕事を終えたボールは内側に閉じていき、もとの球形になった。


「これで全部の魂は解放されたわね。でも、このままだと人形は呪具として残ってしまうし、魔女の残した書物から悪用する者がでてくるかもしれない」


 呟くように言うと、少女の姿が消え、魔女の家を見下ろす空中に現れた。


 人気ひとけのない森の中にある魔女の家は魔法で隠されているが、見るものが見れば、それははっきりとした人型であることが分かる。

 夜空に浮かぶ月も少女の様子を静かに見守っていた。


「ヴィー、もう一回お願い」


 滞空したまま、少女は差し出すようにして持ったままボールに言うと、返事をするかのように一筋の蒼い稲妻が落ちた。


 ボールから魔女の家に落ちた生者には見えない稲妻は、蒼い炎になってその人型を瞬く間に焼き尽くした。


 男の魂が封じらた人形も同様に。


「これでいいわね。帰ろう、ヴィー」


 そう言って姿を消す少女とボール。


 残ったのは人型の焼け跡であり、それは死んだら肉体は消え魂はこの世から去ることをあらわしているようだった。

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