売買

「五百万か」


 意外に儲けたなと思い、男は思わず呟いた。


 五十代であるその男は有名ブランドのスーツを着こなし、いかにも実業家、金持ちといった雰囲気をしていた。


 実際、男はかなりの額の金を持っているのだが、その出所はとても大っぴらに言えるものではなかった。


 なにせその主だったものが人身売買によるものであり、それが明るみに出れば逮捕はまぬがれない。


 そのため男は表向き投資家ということにし、顧客である権力者や資産家に保護されながら商売をしていた。


 今日の予定をこなし、男は秘書が運転する高級車の後部席に座って、帰路についていた。


 郊外にある豪邸に向かって夜道を進むと、一瞬、何かに飲み込まれたかのように男は車外から白い光に包まれた。


「うっ……」


 眩しさに思わず目をそむけ、姿勢を戻すと、となりに一人の少女がいた。


「こんばんは。おじさん」


「な……」


 男の右側にちょこんと座る十歳くらいの少女は小さな声ながら挨拶をした。


 薄暗い車内ではっきりとは分からないが、黒髪をボブカットにして黒いワンピースを着ているようだった。


 しかし、瞳は紅く、まっすぐに男の顔を見ていた。


「おじさん、いままでたくさんの人を捕まえて、教育して、売ってきたんだね」


「あ、ああ……」


「どうして?」


「どうしてって、まあ、儲かるからな」


「儲かる?」


「そうだ。身寄りがなかったり、才能があっても活かせない人間が世の中には多いから、俺はそういう奴らを連れてきて目覚めさせ、求める者の下へ届けている。結果、お互いがウィンウィンになるんだし、法がなければ問題ないことだと考えている。そのために高めの報酬を貰っても悪くはないだろう」


「そう。確かに、おじさんによって売られた人のなかには幸せになった人もいる。だけど、ほとんどの人が買った人の玩具のようなものになっている。それは悪いことじゃないの?」


「そこまでは知らんよ。売ったらあとは客のものだ。客がどうしようと関係ない」


「おじさんが勝手に連れてきて、勝手に売らなければ、その人は自由でいられたはずだけど、そうは思わないの?」


「思わんね。何せ、放っておけば野垂れ死ぬような奴らだ。それが食うに困らず生きていけるんだからな。感謝しろとまでは言わないが、生きていける道を与えたんだから、それは納得してもらいたいね」


「そう」


 少女の問いに対し、男は迷うことはなくはっきりと答えた。


「じゃあ、おじさんも私が連れていって売ったとしても、文句はないわね」


「なに?」


 少女の意外な言葉に男は驚いて答えた。


 そして、ふと運転席を見ると、そこに秘書の姿はなく、無人だったが、ハンドルだけがわずかに動いており、自動車自体は走行しているようだった。


「じつはね、おじさん。並行世界に生きるもう一人のおじさんが、お金持ちのおじさんを偉業ポイントで買ったの。たったいま。だから、おじさんはもう一人のおじさんと入れ替わることになる」


「な、何を言って……」


「たくさんの並行世界でお金持ちのおじさんもたくさんいるけど、いま私の目の前にいるおじさんが選ばれた」


「……」


「たくさんのおじさんのなかで選ばれたのは、自由を踏みにじる悪を肯定したから。だけど、幸せになった人もいるから、裁定することになって私がきたんだけど、結果、おじさんになった」


 男にとって、にわかに信じられないことを言った少女。


 だが、突然現れた少女のことや、無人で走る車のことを考えれば、信じざるをえなかった。


「それじゃあ、俺は……」


「おじさんはこの世界を押し出され、おじさんという一人の人間がまったく存在しない世界へ転移する」


「……」


「このまま人の売買を続けて不幸になる人を増やしたら、おじさんはビーに食べられるところだったけど、生きていける可能性があるんだから、おじさんが言うようにまだましかもしれない」


「……」


「それじゃあね、おじさん」


 少女がそう言うと、車内は強烈な光に包まれた。


「──は!」


 気がつくと、男は多くの人が行きかう街のど真ん中で膝をついていた。


 何かに吐き出されたような感覚を覚えつつも、まわりを見回すと、若者を中心に気持ち悪そうな顔で男を見ていた。


「そ、そうだ」


 何かの間違いかも知れない。


 そう信じたい一心で、男は背広の内ポケットからスマホを取り出し、秘書へ電話しようとした。


 だが。


「契約されてない?」


 ついさきほどまで使っていたスマホだったが、契約されていないため電話できない旨が画面に表示された。


「そんなばかな」


 家族や知人にも電話をかけてみるが、結果は同じ。


 しかもネットですらつながることはなかった。


「そんな……」


 少女の言うとおりだと実感し、男は月のない夜空を見上げた。

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