女装

「残念でした、お・じ・さ・ん」


「うぐっ……」


 股間を蹴り上げられ、スーツを着た五十代の男性はうずくまるようにしてその場に倒れた。


 週末の夜十時。


 街の公園にある林のなかは人気ひとけがなく、外灯の光もわずかしかとどかない薄暗さゆえ、暴力などがふるわれても、気づく人間はいなかった。


「そんじゃ、授業料をもらうね」


 そう言いながら、蹴りを放ったグラマーな女性のボディラインをみせる服を着た二十代の男が、気を失った男性の懐から財布を取り出した。


「まあまあかな」


 紙幣だけを抜き取って数え、その金額に満足すると、財布は男性へと投げ捨てた。


「おれは良心的だからさ。お金以外はいただかないよ」


 男性に向かって、にこっと微笑むと、そのまま立ち去ろうとした。


 ──すると、目の前に一人の少女が現れた。


「な、なんだ?」


「こんばんは、お兄さん。私はエフ。死神よ」


 驚く男にかまわず、十歳くらいに見える少女はアイサツをして名のった。


 黒髪を左側で束ねてサイドテールにした少女は、両腕が透けた黒いワンピースを着ており、何やらボールのようなものを両手で持っていた。


「死神だって? ははは、ずいぶんと可愛いね。それに、鎌じゃなくてボールを持ってるなんて、ちょっとイメージから外れてるなあ」


 軽い口調で女装の男は言った。


「容姿は関係ないわ。それにいまは死神も多様化してるの。まあ、私が異端なのは認めるけど」


 ややつんとした感じながらも、少女は答えた。


「で、その死神エフちゃんはいったい何の用でおれの前に現れたのかな。まさか、おれがおじさんを懲らしめたから、じゃないよね?」


「ええ、違うわ」


 死神、命を刈り取る者が自分の前に現れた心当たりを言ってみたが、それは即、否定された。


「じゃあ、なんで現れたのかな?」


「あなたを守るためよ」


「おれを、守る?」


 何を言っているのか分からない顔をする男だったが、その意味はすぐに理解することとなった。


「やれやれ、男だったとはな。おじさん、驚いたよ。やはり、いくら腹が減ってるとはいえ、見た目で判断しちゃいけないね」


 そう言いながら、気を失っていたはずの男性がゆっくりと立ち上がって二人に顔を向けた。


「お、おっさん……」


 思わず声をもらす女装の男。


 男性は、やや前かがみになって両手をだらりとさげ、頭を左に傾けて見るその目は赤く発光して人ではないことを示していた。


「下がって。あれは悪魔よ。ああやって若い女性を誘い出し、精気を吸い取って存在している」


 赤い目の男性を見据えながら、少女は前に出た。


「あ、悪魔? マジかよ……」


 架空のものとしての名称だったが、目の前にある現実として女装の男は納得せざるを得なかった。


「死神の娘か。まあ、女であることに変わりはない。偽物はぶち殺し、おまえの命をいただくとしよう」


 そう言うと、赤い目の男性は背中から地面に倒れ込み、人間の骨格を捨て去って蛇のように身体をくねらせると、少女に襲いかかった。


「ヴィー!」


 少女が叫ぶのと同時にボールから電撃が発せられ、はじくようにして迫る脅威を退けた。


「精獣か。おもしろい」


 バチィ、と火花が散って派手ではあったが、ダメージにはならず、赤い目の男性は速度を倍に上げて、再び少女へと襲いかかった。


「!?」


 さすがに反応できず、少女の唇に赤い目の男性が近づく──────────が、同時にボールは花が咲くように外へ展開し、人間と同じく並んだ歯が現れると上下に開いて、主の敵を吸い込んだ。


「な、なに?」


 状況が理解できない赤い目の男性にかまわず、開いた歯の奥へと飲み込んでいくボール。


 物理法則を完全に無視して、標準的な成人男性一体分の身体を体内におさめると、ボールは閉じて元の球形になった。


「あっぶな。危うく貴重なファーストキスを悪魔に奪われるところだったわ。ありがとね、ヴィー」


 そう言いながら、ボールを撫でて褒める少女。


 現実を超えた出来事に、女装の男は力が抜け、尻もちをつくようなかたちで地面に落ちた。


「は、ははは……」


 とりあえずの笑ってみせる女装の男。


 すると少女は向き直って言った。


「よく分かったでしょ。そんなことをしてると、いつか必ず大きなしっぺ返しがくる。命を失うことになるのよ。だからもう、こんなことはやめて、別の生き方を見つけなさい」


 少女の性格がよく分かる、説教。


 しかし、意外にもそれは不快に感じず、むしろ有り難いものに感じられた。


「そうだね」


 そう言って女装の男が立ち上がった。


「おれってさ、見た目がめっちゃ女っぽいから子どものときからずっとからかわれたり、意地悪されてきたんだ。そのせいで大学を出ても仕事が長く続かなくて、どうしようかと思っていたときに、お金を持っていそうなおっさんを見つけて思いついたんだ。下心のあるおっさんを懲らしめるかたちでお金を頂戴しようってね。でも、今夜のことでよく分かったよ。命が一番大事だ。ひっそりこっそり生きていける方法を考えるよ」


「そう。それがいいわ。それに、人間がいるのはここだけじゃなく、世界中にあるんだからね。あなたを受け入れてくれるところが必ずあるわ。それじゃあ、私はいくわ」


 そう言い残すと、少女は姿を消した。


 ぽつんと残され、少女がいた空間を見つめる女装の男。


「世界か……」


 言葉を思い出して呟くその表情には気づきにつながった、清清すがすがしさがあった。

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