3-9 手紙



 明朝。無明むみょうたちは荷物をまとめて出立の準備を完了した後、鳳凰殿へと足を運ぶ。鳳凰殿には逢魔おうま以外の全員が広間に集まり、蓉緋ゆうひたちと最後の挨拶を交わしていた。


蓉緋ゆうひ様、花緋かひさん、白鷺はくろおじいちゃん、えんおばあちゃんも····最後に挨拶できて嬉しい。本当に色々あったけど、光焔こうえんで過ごした時間、俺、絶対に忘れないよ」


 無明むみょう蓉緋ゆうひたちを前に、この地で起こった様々な出来事を思い出していた。


 蓉緋ゆうひに求婚されたことも、花嫁衣裳を着たことも、鳳凰の儀のために舞を教えてもらったこと、朱雀老陽ろうようとの契約、鳳凰の儀での共闘、悲しいことも起きた。


 そのぜんぶが、思い出として記憶に刻まれる。忘れない。この先も、ずっと。


「改めて、礼を言う。この地がどうなるか、俺たちがどう変えていくか。時間はかかるだろうが、少しずつ変わっていく姿を、君には見届けて欲しいと思っている」


 言って蓉緋ゆうひは立ち上がると、無明むみょうの前までやってきて、その場に跪き拱手礼をした。同時に、後ろに控えていた者たちも同じように跪き頭を深く下げ始める。


「神子。この地の守護聖獣である四神朱雀の解放、改めて感謝する。あなたはこの先、多くの者に頼られ、この国を導く存在となるだろう。だが、かつての神子のように、自身を犠牲にしてこの国の礎になどなる必要はない。あなたの後ろには我々がいる。すべてをひとりで背負う必要などないということ。あなたを失いたくないと願う者がいるということを、絶対に忘れないでくれ」


 蓉緋ゆうひ無明むみょうを見上げ、その端正な顔に笑みを浮かべた。


「······うん、ありがとう、蓉緋ゆうひ様」


 無明むみょうは小さく頷く。その横顔に、白笶びゃくやは一瞬だけ、胸騒ぎのような、確証のない不安を覚えた。


『俺ね、四神との契約が終わったら、完全な神子になるんだって。不死の身体に、なるって······それって、俺じゃなくなるってこと?』


 ふと、あの時の台詞が頭の中を過った。神子として永遠を生きることに対して、無明むみょうが零した不安。永遠の輪廻の中で生きてきた自分が、繰り返しても繰り返しても宵藍しょうらんに逢えない現実に、何度も折れそうになったように。


無明むみょう····君は、なにを考えている?)


 白笶びゃくや無明むみょうの傍らで、ほどんど変わらない表情のまま考えを巡らせる。せめて自分や逢魔おうまにはすべてを話して欲しい。この先、ずっと傍にいるためにも。守り続けるためにも。


「失礼します。宗主、急ぎ神子殿にお伝えしたいことがあるのですが」


 唐突に、閉じられた鳳凰殿の扉の向こう側から声がかけられる。しかも蓉緋ゆうひにではなく、神子に伝えたいこととはいったいどういうことなのか。


「私が聞いてきます」


 花緋かひ蓉緋ゆうひに目配せをして、そのまま扉の方へと向かった。


(挨拶が終わったらすぐ出立するのに、なにか問題でも起きたのか?)


 竜虎りゅうこは振り向きはしないものの、怪訝そうに花緋かひたちの会話に聞き耳を立てる。どうやら紅宮こうきゅうからの依頼で、神子である無明むみょうに御礼の手紙を届けて欲しいということらしい。


「差出人は、翠花すいかという少女のようです。直接本人が手渡ししたかったようですが、叶わないならそのまま渡して欲しいと。どうしますか?」


翠花すいか?」


 花緋かひの問いに対して、無明むみょうは首を傾げる。


(あれ? それって確か、)


 白笶びゃくやと視線が重なる。こくり、と頷いたのが答えだろう。逢魔おうまから聞いた話だと、姚泉ようせん豊緋ほうひに殺された後、夢月むげつが新しい器として魂魄を宿した少女の名前だ。


 その少女はあの鳳凰の儀で姚泉ようせんが殺される少し前に息を引き取ったらしいが、しばらくして息を吹き返したという。それを事前に知っていたからこそ、夢月むげつは躊躇いもなく姚泉ようせんの身体を捨てて終わりにしたのだと、逢魔おうまが言っていた。


花緋かひさん、その手紙もらってもいいかな?」


 手紙を受け取り護衛を下がらせると、花緋かひ無明むみょうに手渡した。


翠花すいかといえば····酷く病弱な娘で、紅宮こうきゅうからの依頼で何度も医師を派遣した記憶があります。そういえば、鳳凰の儀の最中に一度息を引き取ったが、朱雀がこの地の空に降臨した際に奇跡的に持ち堪えたと聞きました。神子に礼を伝えたいというのは、その偶然が重なったからでしょう、」


 白鷺はくろ老師はもっともらしい理由を口にし、ふむと頷いた。


「神子殿は、その少女をも救ったということですね。素晴らしいことです」


 えんは明るい表情で無明むみょうを称えた。舞を教えていた時は、朱雀の神子として宗主の未来の嫁になる子と期待していた。それがまさか本物の神子と知った時は、腰が抜けるほど驚いたらしい。


「良かったですね、入れ違いにならなくて。なんて書いてあるんです?」


 清婉せいえん無明むみょうに御礼の手紙が届いたと素直に喜んでくれていて、貰った本人である無明むみょうの反応に温度差があることに気付いていないようだ。文が包まれた紙を開き、中に入っている手紙を取り出すと、その内容を目線だけで静かに読み上げる。


「みんな、先に朱雀宮の門のところで待っててくれる? 俺、もう少しだけ蓉緋ゆうひ様たちと話したいことがあって」


「わかった。では、私たちは先に行って待っていよう。では蓉緋ゆうひ殿、白鷺はくろ老師も、私たちはこれで失礼する。竜虎りゅうこ清婉せいえん、行こうか」


 白獅子、叔父である虎斗ことはなにかを察したのか、簡易的な拱手礼をした後、戸惑うふたりを連れて鳳凰殿を後にした。蓉緋ゆうひえんや扉の前で控える護衛たちを下がらせ、その場には無明むみょう白笶びゃくや蓉緋ゆうひの他、花緋かひ白鷺はくろ老師の五人だけになった。


蓉緋ゆうひ様たちに話していないことがあって。本当は内緒のままこの地を離れるつもりだったけど、それを共有する必要があるみたい」


 無明むみょうはそう言って、事の経緯を話す。姚泉ようせんが特級の妖鬼だということは前に伝えていた。その上で、彼女の能力の特徴を話す。魂を入れ替え、違う器をもてることや、その条件。今は魂が完全に定着しておらず、本来の能力を発揮するには数年は大人しくしている必要があること。


「この手紙には、紅宮こうきゅうの次の主を蓉緋ゆうひ様に宣言して欲しいとある。姚泉ようせん様だった頃に書いた後継人の名と、紅宮こうきゅうのひとたちに向けた手紙も一緒に添えられてるみたい」


 姚泉ようせんとして蓉緋ゆうひに頼む、最初で最後の願い。それは自分亡き後の紅宮こうきゅうの存続を願うものだった。元より、蓉緋ゆうひは前宗主、前々宗主の所業をよく思っておらず、その犠牲者ともいえる紅宮こうきゅうに保護されている者たちには相応の詫びが必要だと思っており、自分が宗主になった二年前の時点で対策をしていた。


 出て行くのも自由、残るのも自由。その代わり、自分は紅宮こうきゅうには手を出すつもりはないし、赴くこともないと。紅宮こうきゅうのことはそこに住む者たちで考え、必要なものがあれば言えばいいと。


蓉緋ゆうひ様。俺のお願い、聞いてくれる?」


 無明むみょうは手紙を蓉緋ゆうひに手渡し、にっこりと満面の笑みを浮かべるのだった。



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