第三章 光架
3-1 救われたもの
あの儀式の最中、ひとりの少女が息を引き取った。母親は暗殺された方の宗主の数多いる妻のひとりで、
娘が永遠の眠りについた後も、母親は泣き続け離れようとしなかった。
駆け付けた
「····なかない、で······」
その声は、息を引き取ったはずの少女から発せられた。
「もう、だいじょうぶ、だよ····」
慈しむような眼差しで母親の頭を撫で、少女は青白い顔で小さな笑みを浮かべた。やせ細った手首は痛々しく、しかしその指先は、どこか優雅でさえあった。
母親は驚きのあまり言葉が出ず、目の前の状況を受け止めるのに時間がかかったが、愛する娘が息を吹き返した奇跡に嬉し涙を浮かべて、ぎゅっとその小さな身体を抱きしめる。
その少し後だった。
皆が悲しみに暮れる中、少女は涙を浮かべることもなく、数日経ってもなかなか立ち直れない宮女たちをじっと見つめて、母親に寄り添いながら余計なことは言わずに大人しくしていた。
(
不審な動きをして疑われるのも本意ではないし、なんとか自然に振る舞う必要があった。
唯一、あの三人だけはすぐに切り替えて動き出していた。
「お母さん、ちょっとお庭に行って来てもいい?」
「こんな時間に?」
「お花を見たいの。ほら、夜に甘い香りのするお花、憶えてる?」
「
うん、と頷き、夜に庭に出るための理由を自然に口にする。母親である
暑い気候で育つため、この地は快適なのだろう。夜になると昼間よりさらに強い香りを放つが、真夜中になると甘い香りがなくなるという不思議な花だった。小さな星のような形をしていて、ひと房にいくつかまとまって咲いているのが特徴的なのだ。
この母娘は昔から庭の花の管理を仕事にしており、よくふたりで並んで作業をしていた。
「
「うん。ねえ、ちょっとだけ。すぐに戻るから、ひとりで行って来てもいい?」
「あんまり長くは駄目よ? 約束できる?」
「うん、約束」
夕餉を終えた頃で空も薄暗くなっていたが、
(あの子の代わりに守ると約束した。魂魄が完全に定着するのには時間がかかるから、当分は大人しくしていないといけないけれど)
本当の
庭に降り、辺りを見回す。様々な花が咲き誇る中、見た目は地味だがその香りはどの花よりも存在感のある
「なんであんなことをしたか、訊きに来たの?」
後ろに現われた人物に対して、振り向くことなく
「そうするつもりだったけど、そっちはいいや」
それは少し幼い声だった。またあの幼子の姿になっているに違いない。後ろに立っていた
「ここを発つ前に、あんたに忠告しに来た」
幼子姿の
腰帯に差している黒竹の横笛の端には、藍色の紐で括られた琥珀の紐飾りがぶら下がっている。
前に見た時と少し違うとすれば、臙脂色の膝まである長さの上衣を纏い、黒い上質な腰帯を巻き、白い下衣を穿いていること。
あの時はこの地の一族に合わせて朱色の瞳にしていたが、今は本来の瞳の色である金眼だった。
「あんたは
「悲しむ? 妖鬼に? 神子が?」
それにあの時、
「それで救われたものもあったかもだけど。でも間違ってるってこと、自覚した方がいいよ」
その言い方は決して責め立てるようなものではなく、どちらかと言えば諭すような優しさを含んでいた。いつもの憎まれ口は、今の状況では交わす必要はないということだろう。
「だから、これは忠告。もしあんたがこの先も
(····自分がやろうとしたことで、あの子を悲しませたということ?)
この地に不要な争いを齎していた妖鬼が、いなくなっただけ。ただ、それだけなのに。
しかし今の状況はどうだろう。
予想していたものとは、少し違うのではないか?
(やり方を間違えたとは思ってない。後悔もしていない。でも、やり残したことがないわけじゃない)
金木犀の根本を落ちていた石で掘り、土の中から取り出した小箱に視線を落とす。
大事なものをそっと胸元で抱きしめ、少女は朱色の瞳を閉じた。
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