2-19 夢月の夢



 空に浮かぶ月は、まるで船のような形をしており、あの日のことを嫌でも思い出させる。


 皮肉なことに、あの狼煙ろうえんとまた出逢ってしまった。これはもう、悪縁と言っていいだろう。


 助けてもらったすぐ後、同じ男から報復を受けた。自分を匿ったせいで、妓楼の姐さんたちまで酷い目に遭った。裏路地を引きずり回された挙句、何度も殴られ、最期は古井戸に落とされて殺された。


 肉体は死んで魂だけの状態だったのだが、意識はあって数日辺りを彷徨い続けた。


 ある日、死んで魂が抜けたばかりの女の身体に偶然入り込めた。魂が定着した時、最初にしたこと。自分がされたことと、全く同じ方法であの男を殺した。あの男に加担して、姐さんたちを酷い目に遭わせた者たちを殺した。


 その後は女や子供に酷いことをする男をたくさん殺した。身体が朽ち始めると、新しい身体を捜した。そしてまた悪い男を殺す。


 その行為に飽きて、途中からは自分がやるよりも他人にやらせて、争わせて殺し合う様を楽しむようになっていた。


 そんなことを数年繰り返していたら、いつの間にか妖鬼となっていた。しかも術士たちに等級を付けられる。夢月むげつという通り名まで。


「君、あの時の子でしょ? なんで妖鬼になんてなっているのさ。しかも特級だって? どれだけの人間を殺したの?」


 たまたま、偶然、あの森で助けてくれた鬼と鉢合わせた。あの時は歪んでいてまったくわからなかったが、その話し方や声ですぐにわかった。金眼の鬼の噂。ひとを殺さず同族を殺す、妖鬼の名。


「あなただってたくさん殺したから、特級の妖鬼なんでしょう? 狼煙ろうえんサマ」


 ひとを殺さない、なんて嘘だろう。でなければ術士たちが等級を特級になどしないはず。


 けれども、確かに、あの時自分を助けたのは、彼だ。様々な噂も耳にしている。ではなぜそんな等級を与えられているのか。


「俺はひとは殺さない。困っているひとがいたら助けるのが、大切なひととの約束だから。でも妖者は違う。ひとに害を齎すなら、全部殺す。君が夢月むげつだなんてね。あの後、君になにがあったの?」


 つまり、妖者を殺しまくる妖鬼として、特級になったということだろうか?


「別にどうだっていいでしょ?それに、今は誰も殺していないわよ?」


「直接的には、ね」


 狼煙ろうえんは飄々とした表情と声のまま、話しかけてくる。こちらを咎めている、というよりは、単に興味があって訊いて来るのだろう。


「なんでわかったの、私だって。あなたが私を助けてくれたのは、ずっと昔の話でしょ? それとも、助けた人間の顔を全部憶えてるとか、そういうやつかしら? だとしたらホント、あなたってお人好しの妖鬼なのね!」


 自分をまだ憶えてくれているひとがいる、ということ。


 姿はもう何度も変わっている。妖鬼ではあるが、他の者たちとは違い、特定の身体を持たない自分は、いくらでも好きなように皮を変えられた。


 しかも油断しない限り、絶対に妖鬼としての気配を悟られない、そんな制御能力も初めから持っていた。好き勝手に振る舞ってはいたが、それでも根本は虐げられている女子供のためという、ひとつの理念もあった。


 逆に弱い者を虐げるような男は、いくら殺しても良いと思っていた。男同士で争わせ、殺し合わせるというのは、そういう理由があってだった。


 それ以外の、例えば何の罪もない者を殺したりはしていない。


「君は、自分が助けた・・・女のひとたちを、さっさと忘れてしまえた?その後どうなったか、少しも気にならない?」


「じゃあ私があいつに殺された時、どうして助けてくれなかったの!?」


 本当は、こんな言葉を吐き出したいわけじゃないのに、八つ当たりをしてしまう。

 あの時助けてもらえたら、なんて。そんな都合のいい話があるわけない。


 しかし、狼煙ろうえんは金色の眼を細めただけで、そこになにか読み取れるような感情が浮かぶでもなく、ただ静かに「ごめんね」と答えた。


「でも、それはそれ、これはこれ。これ以上騒ぎを起こして世を乱さないで」


「····嫌よ。これが今の私なの。それに、特級の妖鬼ってお互い干渉しないんじゃなかった? 私は私のやりたいようにやるわ。邪魔をしないで!」


 右手を翳すと、狼煙ろうえんの後ろにあった物置小屋がぐにゃりと歪み、勢いよく弾け飛んだ。


 ここは光焔こうえんの地の外れに在る、とある町の長の屋敷。今はその娘の身体を入れ物にしていた。


「俺は妖鬼じゃないから、関係ないね。とにかく、忠告はしたよ」


「は······? どういう意味? 妖鬼じゃないって、」


 その問いの答えはなく、狼煙ろうえんはその場から煙のように消えてしまった。夢月むげつは呆然と立ち尽くし、粉砕した物置小屋だったモノを見つめていた。


 その後も何度か顔を合わせることがあり、その度に口喧嘩をして、どんどん関係は悪くなり、終いには知らないふりをするようになった。



******



 その数十年後、の一族のこう宮に入り込むことになる。


 そこは最悪の環境で、宗主も強いだけの中身のない男で、術士たちも小競り合いばかりしていた。鳳凰の儀という儀式があり、そこで勝った者が宗主となるらしい。


 夢月むげつが妖鬼となってから、百数十年経っていた。


 こう宮の主となった者の皮を奪い、自分の思うように変えていく。ここで生活をしていく中で、あの時世話になっていた、妓楼を思い出していた。


 最初は上手くいかないこともあったが、土台ができるとその後は楽だった。そしてこの姚泉ようせんの身体を手に入れた時、すべての準備が整った。


 ふたりの老師、次の宗主に添える者、他の協力者たち。それらを上手く丸め込み、後は勝手に動くのを待った。


 奴らはの宗主史上最低最悪の宗主を暗殺し、思惑通りに動いてくれた。その後は、こちらが主導権を握り、宗主になる者を操れば、すべて上手くいくはずだった。


 しかし、ここであの狸、もとい白鷺はくろ老師が動き出す。彼が連れて来たふたりの青年によって、鳳凰の儀は思いも寄らない展開となった。市井しせいにいた名もなき青年が、宗主となったのだ。


 どう出るのか様子を見ていたが、白鷺はくろ老師は、暗殺の件に対する関係者の処罰以外、ほとんど口を出さなかった。代わりに、宗主となった蓉緋ゆうひという青年が、一族を改革していく。


「好きにすればいい。出て行きたい者は出て行けばいいし、残りたい者は残ればいい。あとはそこのこう宮の主に任せる。だが、ひとつだけ言っておく。俺に媚を売っても意味はない。俺が今日以降、ここに来ることはないと思え」


 そう言って、蓉緋ゆうひは去って行った。


 その時から、あの蓉緋ゆうひに対して、敵対心のようなものが生まれる。それはある意味、悔しさから生まれたものと言っていいだろう。


 自分が長い年月をかけて、頭を巡らせて作り上げてきた結果を、簡単に覆されたのだから。


「次の鳳凰の儀を邪魔して、必ず蓉緋ゆうひをあの舞台の上で跪かせてあげるわ!」


 そう意気込んで、新しい計画を立てる。朱雀の神子を用意できないようにし、宗主としての責任を問うように仕向けた。あとひと月と儀式が迫る中、現れた新たな朱雀の神子候補。


 会って話をしてみれば、非常に面白い娘だった。娘だと思ったら、少年だった。しかも自分の事を神子だと言い出す。


 その上、またもやあの狼煙ろうえんと鉢合わせることになり、もはや計画どころではなくなった。


 そして、神子、無明むみょうに真名を教えた。狼煙ろうえん、否、逢魔おうまが言っていた、大切なひととの約束。その大切なひとが誰か、知った。


「······私は、私も、本当は、」


 このこう宮にいる者たちを守る。それがいつの間にか、自分の使命のようになっていたのだ。


 自分は手を下さず、ただ言葉巧みに男たちを操り、争わせて勝手に殺し合う姿を楽しんでいた裏で、酷い目に遭わされ、行き場のない女子供たちを守って来た。


 本当は、ただ、守りたかっただけなのかもしれない。昔、守れなかったものを。


 それを思い出されてくれた無明むみょうのためにも、この儀式は成功させる。垢はすべて取り除く。そのための仕込みは、すべて終わった。


 鳳凰の儀まで、あと数刻。


 庭に架かった渡り廊下の上で立ち止まり、空に浮かぶ三日月を見上げながら、夢月むげつはここまでの長い年月をひとり、振り返るのだった。



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