1-27 告白



 姚泉ようせんのいた部屋を出て、こう宮から一歩出たその瞬間、無明むみょうはへたりと地面に座り込んだ。


無明むみょう様!?」


 清婉せいえんは驚いてその左横で膝を付き、無明むみょうの細い肩を抱く。


「俺······、上手くやれてた?」


「大丈夫? あのひとが纏っていたこうのせいだね。途中から様子がおかしいと思ったけど、助けてあげられなくてごめんね?」


 逢魔おうまが正面で覗き込むようにして、無明むみょうの頬をその小さな両手で包んだ。その表情は辛そうで、いつも以上に顔色が悪い。


こう? 私は何とも思いませんでしたけど······どうして無明むみょう様だけこんな状態に?」


 こうと聞いて姮娥こうがの邸でのことを思い出し、嫌な予感が過る。あの時のこうは宝具だったらしいが、まさか、と清婉せいえん逢魔おうまの方に視線を向けてその答えを求める。


無明むみょうが衣を剥いだ時、あの女が一瞬だけおかしな動きをした。たぶん、組み合わせることで毒になるこうだろう」


「ど、毒っ!?」


 顔を青くして、清婉せいえんはあわあわと動揺する。


「······平気。ちょっとくらくらするくらいで······なんか、気持ち悪い、だけ」


「それは平気とは言いませんっ」


 無明むみょうの許可を取る前に、清婉せいえんは自分よりずっと小さい身体を抱き上げると、そのまま歩き出す。

 なるべく揺らさないように、ゆっくりと急いだ足取りで。


 呆気に取られていた逢魔おうまが、その後ろを遅れてついて行く。ここでいつもの姿に戻るわけにもいかず、どうしようかと思っていたところだったので、清婉の行動に感謝する。


「俺、清婉せいえん、好きかもっ」


「へへ。俺も好きっ」


 無明むみょうは横に並んだ逢魔おうまと仲良く視線を合わせ、同意する。


「ふたりして揶揄わないでくださいっ」


 顔を真っ赤にして、清婉せいえんは頬を膨らませた。その面白い反応を楽しみつつ、逢魔おうまは上機嫌で鼻歌を歌いながら横を歩く。無明むみょうは安心しきってその身を任せていた。


「もっと早く、俺が神子みこだってことを清婉せいえんにも話したかったんだけど、ごめんね。俺、ちょっとだけ怖かったんだ」


 え? と突然の告白に、足を止めて無明むみょうに視線を落とす。


「せっかく仲良くなれたのに、また離れていっちゃうんじゃないかって、怖くて。でも、それって、すごく失礼なことだよね。そんなひとじゃないって知ってたのに」


無明むみょう様······私も、黙っていてすみませんでした。本当は、碧水へきすいを出る少し前から、なんとなくそうじゃないかって気付いてたんです。でも、隠しているみたいだったので、訊けなくて、」


 そんなに前から? と無明むみょうは眼を大きくして見上げてくる。


「それに、まさかあの神子みこ様が、目の前にいるなんて信じられなくて。でもいつもの無明むみょう様だと気付いてからは、そんなことどうでも良くなっていて······すみません、ものすごく無礼なことをたくさんしました!」


 瞼をぎゅっと閉じて早口でそんなことを言う清婉せいえんに、無明むみょうはじんわりと胸の辺りがあたたかくなるのを感じた。


清婉せいえん、好き! 大好きっ」


 思わず首に腕を回して抱きつく。瞼を閉じていた清婉せいえんは、その突然の行為に驚いて、思わず紫苑色の眼を見開いた。


 こんな光景を白笶びゃくやに見られたら、どうなるかわかったものではない! と命の危険を覚えたが、運良くこの場にはいないので不要な心配だった。


「俺も好き!」


 逢魔おうまが勢いよく腰に抱きついてきて、危うく無明むみょうを落としそうになる。


「や、やめてください! ホントに、そういうの慣れてないんです!」


 と、清婉せいえんは叫びながら真っ赤な顔でそのまま走り出す。それでも、腰にぶら下がった逢魔おうまを落とさないようにする気遣いは忘れない。


 何回このやり取りをすれば気が済むのだろうか。


 清婉せいえんは嬉しくて泣きそうだったが、恥ずかしさの方が勝ってしまい、感情が混乱してしまう。


 本当に、無明むみょうが主で良かった、と。清婉せいえんは他の誰でもなく自分を選んでくれたことに感謝をする。もし戻れるなら、あの日、最悪だ!と心の中で叫んだ自分に教えてやりたい。


(······叶うならば、これからもずっと、あなたのお世話をしたいです)


 いつの間にか、そんな存在になっていた。

 大切な、大切な、主。

 絶対に、この世の誰よりも、幸せになって欲しいひと。


(私は、何の力もないけれど······せめて、無明むみょう様が笑っていられるように、私にできることをしたい)


 ぎゅっとしがみ付いて来る無明むみょうを抱き上げたまま、清婉せいえんはひとり、そんなことを思うのだった。



******



 一旦、珊瑚宮に戻った無明むみょうたちだったが、夕刻前に市井しせいの方へと移動する。その頃には無明むみょうの毒も抜けたようで、いつもの調子を取り戻していた。


 明日、市井しせいの中を花轎かきょうに乗って朱雀宮まで運ばれる、「朱雀の嫁入りの儀」を、急遽行うことになったのだ。


 本来は、朱雀の神子みこ候補が乗るものだったが、今回はすでに決まった神子みこが乗るということで、市井しせいはその話題で持ちきりだった。


 福寿ふくじゅ堂では、白笶びゃくや竜虎りゅうこ無明むみょうたちの到着を随分と前から待っており、たった数刻ぶりの再会だというのに、何年も逢っていなかったかのような気分さえあった。 


「······顔色が悪い」


「あ、ちょっと、色々あって······でも、もう平気だから!」


 白笶びゃくやは心配そうに眉を顰め、無明むみょうを見下ろす。本当は触れたかったが、なんとかその衝動を堪える。

 ここは外で、路は人が行き交っている。誰が見ているかもわからない。


 白笶びゃくや竜虎りゅうこ福寿ふくじゅ堂の臙脂色の仕事着を纏っていたが、隠せない風格が邪魔をして、どちらも変装はあまり意味がなさそうだ。


 無明むみょう老陽ろうようから貰った赤い衣を頭から被っており、近づいて覗き込まなければその顔は見えない。

 その横には幼子の姿をしたちび逢魔おうまがおり、無明むみょうと手を繋いでいる。


「突っ込みどころ満載だが、とりあえず中に入れ。その衣は、ただでさえ目立つんだから」


 まるで自分が朱雀の神子みこです、と言っているようなものだ。まあ、それが狙いでもあるのだが。


竜虎りゅうこ様、無明むみょう様の衣裳はどうなっていますか?」


「ああ、それなら、ここの店主が用意してくれている。一度袖を通してから、長さを調整すると言っていた」


「着付けはお任せください!」


 清婉せいえんはどんと自分の胸を叩いて、なんだかやる気満々だった。主の花嫁衣裳を着付けられるなんて、なんて幸せ! と心の中で思っていたが、よくよく考えたら、おかしな話だと複雑な表情になる。


「あの、無明むみょう様、花嫁衣裳、本当に着たいです?」


 こういうのは、本人の意思もある。女装されられるのだ。しかも衣裳は花嫁衣裳。さすがの無明むみょうも思うところがあるだろう。そう、思っていたのだが。


「花嫁衣裳なんて、きっとこれを逃したら一生着られないものでしょう?楽しみしかないよっ」


「そ、そうです? ならいいんですが、」


 本当に嬉しそうに微笑んだ無明むみょうの顔が、衣に隠れていても手に取るようにわかって、清婉せいえんはほっとする。そして、同時に良いことを思いつく。

 その我ながら良い思い付きに、清婉せいえんは作戦開始の鐘を頭の中で鳴らす。


竜虎りゅうこ様! 少しお話がっ」


 堂に入ろうとしていた竜虎りゅうこを捉まえて、清婉せいえんは自分の提案をこそこそと耳打ちする。


「······まあ、いいんじゃないか。そういう話なら、協力してやる」


 ふたりは頷き顔を見合わせると、まるで共犯者の如く笑みを浮かべるのだった。



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