1-11 痴れ者、求婚される



 突然立ち上がった無明むみょうに、皆の視線が一気に集まる。今度は何を言い出すつもりなんだ、と竜虎りゅうこは疲れた表情で見上げる。正直、先程の話を聞いて動揺してしまい、上手く思考が働く自信がなかった。


蓉緋ゆうひ様は、それを知っていて俺にそんな危険な役目をお願いしたの? 俺がただの第四公子だから、どうなってもいいってこと?」


 その言葉は、竜虎りゅうこの想像していたものからかけ離れていて、思わず白笶びゃくやの方を見てしまった。白笶びゃくやは無表情のまま、真っすぐに宗主たちの席を見据えている。

 無明むみょう無明むみょうらしくない言動をしているというのに、なんの色も浮かべることなく、微動だにせず座っていた。


「俺は、あなたが信じられないよ······」


 その言葉に、蓉緋ゆうひは一瞬暗い表情を浮かべ、それはすぐに皮肉な笑みへと変わった。口の端が歪み、斜めに顔を向け、無明むみょうを見据える。


(所詮、君も··········ただの他人、か)


 眼を細めた蓉緋ゆうひが口を開こうとしたその時、音もなく、黒い衣が軽やかに目の前に舞い降りた。

 その正体を認識したのも束の間、顔を覗き込むように腰を屈めて、無明むみょうはにっこりと対照的な笑みを浮かべた。


「なーんてね!」


「····················は?」


 それは本当に油断していたこともあり、その直前まで胸の中で渦巻いていた様々な感情が、一瞬にして吹き飛んだ。蓉緋ゆうひは自分がどれだけ間の抜けた顔をしているか、知る由もないだろう。


「ふふ。面白かった? 人を試すのは、俺の方が上だったみたいだね、」


 自分のすぐ目の前で腰に手を当てて、満足げに仁王立ちしている無明むみょうを見上げ、蓉緋ゆうひだけでなく、花緋かひまでも言葉を失っている。ただひとり、白鷺はくろ老師だけは、ふむふむと頷いていた。


「これは、これは。私も一杯食わされましたな」


「おじいちゃんは、解ってて合わせてくれたんでしょ?」


 ほっほっ。と老師は素知らぬ顔で明後日の方向を見ている。


「宗主は、本当に自分が心を預けても良い相手かを、人を試して判断する悪い癖があるので困っていたのです。そういうのは良くないと日頃から教えておるのですが······いやはや、お恥ずかしいかぎりですな、」


 無明むみょうはその場に片膝を付き、ごめんなさい、と先に謝った。


「あなたは、そうやって今まで生きてきたんだね。でも信じて欲しい。俺は、あなたを裏切らないし、この役目を最後まで果たすよ」


 翡翠の大きな瞳が、蓉緋ゆうひを真っすぐに見上げてくる。こんなにも嘘偽りのない瞳を、見たことがなかった。


 昔から、裏切りと嘘と偽りの中で生きていた蓉緋ゆうひにとって、信頼できる者は少ない。仲間と呼べる者はごく僅か。花緋かひと老師、あとは昔の仲間くらいだろう。

 そんな中で身につけた処世術が、人を試すという行為。その見極めの中で、一体何百回と諦めたことか。


「······俺の負けだな。本当に、君は、俺が頭を下げるだけの価値があるひとだ」


 蓉緋ゆうひは一度その場に立ち上がり、そしてそのまま跪いた。それには花緋かひが驚き、思わず「蓉緋ゆうひ!」と名を呼んでしまったくらいだ。


の宗主、蓉緋ゆうひ。改めて、金虎きんこの第四公子殿に冀う。この地の真の朱雀の神子みことなり、俺の傍にいて欲しい」


「うん、よろこんで! ··········ん? あれ? ちょっと待って、」


 無明むみょうは元気に返事をしておいて、首をだんだん横に傾げていく。


無明むみょう、」


 白笶びゃくやが怖い顔でこちらを見ている気がする。そんな視線を背中に感じつつ、無明むみょうは「やっぱりもうちょっと、考えてもいい?」と困った顔で蓉緋ゆうひに懇願する。


 蓉緋ゆうひは、鳳凰の儀式において"朱雀の神子みこの役目を果たして欲しい"という意味ではなく、これからずっと自分の傍で"真の朱雀の神子みこ"として支えて欲しい、という意味で言ったのだ。


 真の朱雀の神子みことは、一体何なのか。竜虎りゅうこは嫌な予感しかしなかった。しかし、その答えは宗主の口からすぐに告げられる。


「まあ、いいだろう。婚姻というは、お互いの気持ちが大事だからな。だが、俺はそんなに長くは待てないし、誰かに渡すつもりもない」


 にやりと自信満々に浮かべたその笑みは、彼の本性だろう。

 竜虎りゅうこ花緋かひはほぼ同時に叫ぶ。


「こ、婚姻!?」


 よりにもよって、婚姻?どうして婚姻?なんでこの流れでそうなる!?


 確かに無明むみょうは、見た目は少女のように美しく、初対面の人間なら、男だと言われなければわからないだろう。

 しかし、目の前のの宗主はそれを知っていて、求婚したのだ。

 しかも数人の立会人の前で、だ。


「馬鹿だ馬鹿だとは思っていましたが、ここまで馬鹿だとは! 自分が何を言っているか、解ってます? 頭は正常ですか? 一回、殴っても良いですか?」


 花緋かひは混乱しているのか、主である蓉緋ゆうひの胸ぐらを掴んで、そんな物騒なことを言い出す。これが彼の素なのだろうか。そうだとしたら、本当に好感度が上がるんだが、と竜虎りゅうこは頷く。


「俺は本気だが? 何か問題でもあるのか?」


「逆に、なんで問題がないという思考になるのかが、私には理解不能ですが?」


 ぱんぱんと老師は手を叩いて、皆に自分の方を見るように促す。


「これは、面白い。だが、別に問題はないし、過去に事例もあるから、私は反対はせんよ。この地の宗主たる条件はただひとつ、誰よりも強ければいい。子はできずとも、問題ない。つまり、嫁が男でも問題ないということですな」


「いや········そっちは良くても、こっちには大きな問題が······、」


 竜虎りゅうこは恐る恐る自分の左隣を見上げる。白笶びゃくやがその無表情の中にどんな感情を渦巻かせているかなど、恐ろしすぎて知りたくもなかった。

 無明むみょうはちらちらとこちらに視線を送ってくるが、助けようにも、こちらはただの公子で、あちらは宗主。立場が違いすぎる。


無明むみょう······どうする気だ?)


 自分があの神子みこだと皆の前で言ってしまえば、少なくとも老師と、なにも言わず黙って様子を見ていた虎斗ことだけは、この騒動を穏便に収めてくれるだろう。もちろん、それは本意ではないだろうが。



 その夜の宴は、色んな意味で大問題に終わった。


 そしての宗主が、ちょっとあれ・・なで有名な、金虎きんこの第四公子に求婚したという噂が、一晩のうちに光焔こうえんの地に広がったとか、なんとか。



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