34歳 紗和子さんの場合
「どうぞ紗和子さん、お上がりください」
「それでは、失礼します」
喫茶店で別件での打ち合わせを済ませてから、そのままアトリエに来ていただいた。
「今日は先生のアトリエにお招きいただいて光栄です」
「いえいえ、いつも支えてくださってありがとうございます」
紗和子さんは私と同い年。私が数年前にこの活動を始めた頃からのファンで、個展にもたびたび来てくれた。
そして豊富な人脈で多くのお客様を紹介していただいた。
何よりうれしいのは、彼女自身にも一度絵を購入していただいたことである。今は実家の喫茶店に飾ってあるそうだ。
「その、まさかお願いを聞いていただけるとは思いませんでした。本当に私でもモデルは務まりますか?」
「紗和子さんのような方ならもちろん!」
話を聞くと、少し前に初めての恋人ができたらしい。
今までは仕事ばかりで恋愛もろくにしてこなかったので、女としての自分に自信が持てないという。
「先生に描いてもらえたら、うまく言えないんですが青春を取り戻せそうな気がするんです」
そう言って彼女は微笑んだ。
「それじゃ、準備はできているからそろそろ始めましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
彼女は背中に手を回し、ワンピースのファスナーを下ろした。そのまま肩紐をずらして下におろす。
続いてブラウスを脱ぐと、白いスリップ1枚の姿になった。ブラは付けていないようだ。
「跡が付くといけないと思って、昨夜から下着は付けていないんです」
恥ずかしげもなくそんなことを言う彼女。
「……下もですか?」
「はい。さすがに帰りは履いていきますけどね」
跡が付くのを嫌って、ここに来る日は朝からブラを付けずにいたというモデルさんは多かった。
しかしショーツすら履かないというのは彼女が初めてである。
しかもその格好のまま、厚手のロングワンピースを着ていたとはいえ朝からこの時間まで街を歩いていたのだ。
私が驚いているうちにスリップを丁寧に脱ぎ、最後に残ったソックスも脱ぐと一糸まとわぬ姿になった。
「では早速始めましょう。まず椅子に座ってくれるかしら」
「はい」
私はキャンバスの前に座り、鉛筆を手に取った。
そして改めて彼女の全身を見つめる。
肌の色は白く透き通っていて、まるで陶磁器のよう。
腰はくびれており、胸はやや小ぶりながらもおわんを伏せたような形。乳首も少女のように鮮やかなピンク色だ。
陰毛はきれいに整えられていて、秘部をちょうど覆い隠している。足は長くまっすぐ伸び、足首がきゅっと締まっている。
体の歪みも無駄な肉も一切ない。日頃から食事や立ち振舞には気を使っているのだろう。
その美しい体の上を艷やかな黒髪が流れる。腰まであるロングヘアー、毎日手入れするだけでも大変だろうな。
「あの、あんまり見られると緊張します……」
「あら、ごめんなさい。でも見ないとちゃんと描けないわよ」
「それはわかっています。でも女性相手とはいえ、こんな形で全身を見せるのは初めてのことなので」
裸になるところまではスムーズだったが、表情やポーズはまだぎこちなく、無理をしていることが伝わってくる。
女は歳を重ねると恥じらいがなくなるという人もいるが、私は違うと思う。
確かに気心の知れた夫婦などであればそうなのかも知れないが、初めて裸を見せるのなら別だ。
30代ともなると、10代や20代の若い子よりも確実に自分の肉体へのコンプレックスは強くなる。
彼女の引き締まった体の維持はもちろん、跡が付くのを嫌って下着すら身に付けずにここまで来たことからも並々ならぬ決意を感じるが、それは衰えゆく体に対するコンプレックスの裏返しであるともいえる。
どれだけ体を磨き上げても、それを人に見せるというのは常に不安でいっぱいなのだ。
「決めた。私も脱ぎます」
正直言って私も恥ずかしいけど、彼女の羞恥心を取り除くにはこれしかない。
「……え?」
「私も裸に、紗和子さんと同じ格好になります。そうすれば少しは落ち着くかも知れません」
ヌードモデルを緊張させないために自分も裸になるカメラマンの話を聞いたことがあるが、私もそうする日が来るとは思わなかった。
私はブラウスとキャミソールを脱いだ。スカートのベルトで無理やり押さえつけている少したるんだお腹が現れた。
続いてブラジャー……少しでもサイズを盛るために無理に寄せて上げているきつめのブラを外す。
たいした大きさでもないくせに垂れはじめてきた胸と、すっかり茶色くなった乳首をさらけ出す。
「先生!?」
「恥ずかしいのはお互い様なんですよ」
恥ずかしいのは裸だけではない。描いた作品を公開するというのは、自らの内面を曝け出すに等しい。その意味で、画家とモデルは対等なのだ。
私は立ち上がりスカートを脱いだ。そしてショーツごとストッキングを脱ぎすてる。
ああ、最後にヘアの処理をしたのはいつだったかしら。勢いに任せて脱いだのはいいけれど、人に見せるような体じゃないのに。
最後に、ヘアゴムを外して雑に束ねていた髪を下ろした。ろくに手入れもしていないボサボサの髪が解き放たれる。
これで文字通り一糸まとわぬ、紗和子さんと同じ生まれたままの姿になった。
「ほら、私より紗和子さんのほうがずっときれいなんだから、もっと自信を持ってください」
私は紗和子さんと大きな鏡の前に並んで、お互いの裸を見比べさせた。
今日のために磨き抜いてきたのであろう彼女の体に対して、すっかりだらしなくなった体の私。
この体を敢えて見せつける勇気とその意味が、彼女には伝わっただろうか。
「……わかりました。それじゃあ、絵の続きをお願いします」
彼女は決意を込めたような、それでいて穏やかな声でそう言った。
表情もポーズも、先程までとは別人のように落ち着いている。
どうやら私の意図を理解してくれたらしい。ごく自然に彼女本来の美しさを見せてくれる。
私自身も裸になって吹っ切れたことや、きついブラやベルトの拘束もなくなったので、普段より力まずに描けるようになった。
思えば今まで、彼女に会う時は「理想の先生」を演じるために無意識に窮屈なファッションをしていたのかも知れない。
裸で描くのは今回限りだとは思うけれど、今度会う時はもっとラフな格好で自然に彼女に接してみよう。
「では、今日のところはこのくらいにしておきましょう。モデルお疲れさまでした」
「先生こそ、長い時間お疲れさまでした」
昼過ぎから始めたのだが、いつしかあたりはすっかり暗くなっていた。
途中で何度か休憩を挟みつつも、当初の予定よりもずっと長い時間モデルになってくれたのだ。
私は脱ぎ散らかした服を着直す。紗和子さんも丁寧に畳んだ服を順番に身につける。
長い間ずっと裸だったためか服の感触がどこかこそばゆい。
「では、私は失礼します。ゆっくりお休みになってください」
「そちらもお気をつけて。来週もお待ちしています」
紗和子さんは次の土日も来てくれることになった。絵の完成が楽しみで仕方ないという。
それは私にとっても同じ。今までの作品の中でも会心の出来になりそうだ。
芸術家には「ミューズ」がいるという。その人物のインスピレーションを高め、作品の質を向上させる存在だ。
私にとっては紗和子さんこそがミューズだったのだ。何年も経ってようやく気づくことができた。
今の絵が完成したあとも、人生の節目節目で紗和子さんを描いてみたい。
そして私自身も、これからますます素敵な女性になっていくだろう彼女にふさわしい芸術家になりたい。
アトリエの窓を開けると心地よい風が吹いてきた。西の空に浮かぶ三日月を見ながら私は決意を新たにするのであった。
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