26歳 理香さんの場合

「こんにちは、よろしくお願いします」

時間ぴったりに理香さんはアトリエにやってきた。知人経由で紹介してもらった、26歳のエンジニアである。

「こちらこそ、よろしくお願いします」


「理香さんがモデルになる理由、改めて聞かせてもらっていいかしら」

「はい。自分にも女の色気があるということを主人に見せたくなったからです」

まず明確に理由を説明してから、理香さんは経緯について話してくれた。


「私は高校から工学の分野に進みました。この分野に進む女性は少ないので、女性というだけで、その、モテたんですよね」

照れくさそうに語る彼女。

「だから、モテるための努力とか、自分磨きのようなものを意識しなくても男性が集まってきて」

確かに同性が少ない環境では、女性が美容やファッションに気を遣うことは難しいかも知れない。

ライバルがいないのでその必要が薄れるだけでなく、一緒に買い物に行ったり相談し合ったりする仲間もいないということだから。

それに、女性のお洒落は異性よりも同性を意識して行うことのほうがずっと多いのだ。

「それで調子に乗ってしまったんですかね……。自分は何もしなくてもかわいいんだ、って」


今のご主人とは就職後に知り合って、すぐに結婚したのだという。

「デートだってろくに化粧もせず、服だって地味なのしか着てこないのにかわいがってもらって。昔からずっとそうだったので気にしていませんでした」

今日の理香さんは、紺のタイトスカートに同色のぴっちりしたジャケットを合わせ、黒縁の眼鏡をかけている。

まるでオフィスからそのまま来たようで、過去にモデルとして来たことのある女性達と比べると地味な印象は拭えない。

「でも、この前主人に『お前は色気がない』と言われてしまったんです。それを聞いたら急に悔しくなってしまって」

おそらく、ご主人は気軽に発言したのだろう。しかし女性にとっては傷つく一言である。

「それで、なんとかして色気を見せて、主人の鼻をあかせないかと思っていたところ、先生のことを知りました」

彼女はネット番組の特集で私のことを知ったと話してくれた。

作品を、モデルになった女性とともに紹介するという形式で「この平凡な女性がこう描かれる!」というギャップを強調していた。

その番組の制作者が理香さんの友人あり、彼女を通じて私に依頼が入ってきたというのが経緯となる。


「モデルになることはまだ主人には内緒なんです。男性画家の前で脱ぐことは嫌がるでしょうけど女性なら大丈夫だと思いまして」

これは私が女性であることの強みである。男性画家であれば、私と同じようには「普通の女性」をモデルにできないだろう。

「わかりました。完成したら真っ先に見せてあげましょうね」

「はい!」

私達は秘密を共有した共犯者のような気分で制作に取り掛かる。

色気の表現。難しい注文だとは思うが、楽しい仕事になりそうだ。


理香さんは化粧も薄く地味な印象だが、すっきりとした日本風の顔立ちはよく整っていた。

身長は160センチ弱だろうか。全体的に華奢な印象で、胸のサイズも控えめである。

しかし、タイトな服装からは女性らしいラインが浮かび上がっている。

「それじゃ、ヌードになってもらえるかしら」

「はい」

彼女は丁寧に服を脱いでいった。几帳面に畳む所作からも人柄を感じさせる。

下着はいかにも機能性重視といったシンプルなデザインで、これも彼女らしいと思った。

「お待たせしました」

ためらわずにてきぱきと脱いで、あっという間に裸になった。

大人しそうな印象とは裏腹に、物怖じしない堂々とした精神の持ち主のようだ。

本人は環境のおかげだと言うが、この潔さも男性にモテた理由の一つだと私は思う。

もっとも、だからこそ「色気がない」なんて言われてしまったのかも知れないけれど。


改めて全身を眺める。華奢な上半身に小さめの乳首と乳輪は幼い印象を抱かせる。

その一方で、ふっくらした臀部と引き締まったくびれ、黒々としたヘアには成熟した女性らしさを感じさせる。

色気をアピールするなら、やはりこの下半身だろう。

「ポーズなんだけど、ベッドに横たわるというのはどう?」

横たわった姿勢では腰のラインが特に強調される。

「いいですね。やってみます」

「横向きで寝て……あ、右側を下にしてね。右手は枕を抱えて左手は腰に。……そうそう、一番楽な姿勢でいいから」

鏡で自分自身を見せながらイメージを伝え、形にしていく。

「もう少し膝を曲げてみて、お尻が盛り上がって見えるように」

自分がこんな格好をするところを見慣れていないのだろう、少し恥ずかしそうにしながらも見栄えのするポーズを探る。

「こんな感じですか?」

「うん、色っぽくていいわ」

「そう、ですか?」

彼女は照れながらも嬉しそうな笑みを浮かべる。


「鏡がよく見えるように眼鏡はそのままでいいからね。絵には描かないから」

「あ、できれば眼鏡をかけた顔で描いていただけますか?」

「え?」

これは少し意外だった。ヌードになるからには何も身に付けない「ありのままの姿」を描いて欲しいという人が多いからだ。

「私は寝るとき以外はいつも付けているので、これを外したら私の絵じゃなくなると思うんです」

眼鏡をかけたヌードモデル、たまには面白いかも知れない。

「いいわ、やってみましょう」

安定したところでさっそくデッサンに取り掛かる。


人間の脳というのは、視覚で捉えた情報を必ずしもそのまま受け取ったりはしないという。

実物を直接見るのと写真で見るのとでは印象が異なるのはそれが理由らしい。

目で見たイメージをそのまま写し取るのは写真家にはできない、画家だけの特権である。

私は理香さんの、華奢だけれど堂々とした肉体美を、少しでも形に残すべく鉛筆を走らせた。


「少し、休憩しましょうか」

理香さんの顔が次第に強張ってくるのを見計らって声をかけた。

横たわるポーズというのは楽なようで、同じ姿勢を続けるのは難しい。ましてプロのモデルではないのならなおさらだ。

「はぁ~っ」

彼女は大きなため息と共にベッドに崩れ、座り直すと上体を起こして体をうーんと伸ばした。

「モデルになるって大変なんですね。私なんて特に体力ないから」

「いえいえ、初めてなのに少し難しいポーズを取らせてしまった私も悪かったわ」

私は描きかけの絵を見せた。

「ここのね、腰からヒップのラインが一番きれいだって思ったのよ」

「うわー、私の体ってこんなにセクシーですか?」

「私にはそう見えたから、そうやって描いてるの」

彼女は鏡越しに自分の目で見た姿と、私が描いた絵を見比べているようだった。

「私にもこんな一面があるんですね」

「そう、だから自信を持って!」

「今夜はこのポーズで誘っちゃおうかしら、……なぁんてね」

「ええ、冗談みたいだけどそういう気持ちって大事よ」

私が茶化さずに肯定すると、ちょっぴり妖しげな微笑みを返してくれた。


「さぁて、この調子だと今日中にデッサンは終わりそうだけど、まだモデルはできますか?」

「はい、頑張ります」

理香さんは再びベッドの上へ戻った。先程よりもこころなしか顔が赤らんでおり、肌の艶も良くなった気がする。

旦那様との夜を思い浮かべているのかしら、等と下世話なことを考えつつ、私はデッサンの仕上げにかかるのだった。

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